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悠々自適 悠雅彦Monthly EditorialNo. 234

#76 第16回 東京JAZZフェスティバル

2017年9月1,2,3日 渋谷NHKホール他

text: Masahiko Yuh 悠雅彦
Photo:©16th TOKYO JAZZ FESTIVAL / 中嶌英雄 Hideo Nakajima / 岡 利恵子 Rieko Oka

 

昨年まで丸の内(JR有楽町駅に隣接)で開催されていた東京JAZZフェスティバルが、今年から主催団体NHKの地元、渋谷に会場を移して開催されることになった。渋谷駅を降りて通りへ出ると、あちこちでジャズのサウンドが耳に入ってくる。NHKホールへ向かう通りからけやき並木通りへ入ると、歩くのも儘ならぬくらいに人、人、人の波でごった返している。

9月1日に蓋を開けたフェスティバルは3日間の開催期間中、メイン会場のNHKホールを中心に多くのファンでにぎわった。会場移転はスムースに運んだといって差し支えないだろう。

渋谷にはジャズ愛好家には人気のライヴハウス“JZ Brat”があるが、ジャズ祭は JZ Brat とも手を組んだ。のみならず東急百貨店に設けられた特設スペースで出演グループが演奏したり、けやき並木通りのストリート演奏では注目のニュー・センチュリー・ジャズ・クィンテットをはじめ、さまざまな外国のグループの演奏がファンの注目と喝采を浴びたりと、どこも大にぎわいだった。私は残念ながら聴けなかったが、セルリアン・タワーの能楽堂で演奏したギタリスト、アル・ディメオラのソロ(3日)や、オーストラリアのピアニスト、ポール・グラボウスキー・クィンテットの演奏が素晴らしかったとの声があり、クラブ(WWW、WWWX)演奏も注目を集めたことなどを含めて、渋谷に移転しての東京JAZZフェスティバルは第1回としては成功裏に再出発したといってよいだろう。

今年はジャズの録音がレコード化されてから100年。たった100年、されど100年か。見方次第で長い歳月でもあり、しかし一方でたった100年という見方が出来ないわけではない。ジャズの進化が50~60年で終わったと考えると何やら空しさをおぼえないわけでもないが、もしかするとそんな空念を打破するかもしれない新しい期待の叡智が現れないとも限らない。

当局がそうした「JAZZ 100年プロジェクト」と銘打って、NHKホール(3601席)における最大のイヴェントと位置づけてファンへのアピールを掲げたプログラムが、ディレクターに世界的な注目を集めている新進気鋭の作編曲家・挟間美帆を起用し、北欧からデンマーク・ラジオ・ビッグバンドを招いて9月3日の劈頭を飾った、「JAZZ 100年プロジェクトdirected by 挟間美帆 withデンマーク・ラジオ・ビッグバンド featuring リー・コニッツ、日野皓正、山下洋輔、リー・リトナー、コーリー・ヘンリー、トレメ・ブラス・バンド、アモーレ&ルル」だった。

じつを言えば、最終日の3日は、チック・コリアとゴンサロ・ルバルカバのピアノ・デュオ、夜の部の最後を飾って渡辺貞夫が70年代から80年代にかけてデイヴ・グルーシンと組んだ大ヒット作『カリフォルニア・シャワー』の2017年版などが並んでおり、しかもその間にイスラエルのシャイ・マエストロ・トリオにチリのカミラ・メザがギターと歌で共演するステージや、若い女性ドラマーの川口千里がフィリップ・セスらと組んだTRAIANGLE(トライアングル)の演奏もあったほか、80歳を迎えたロン・カーターがトランペットのウォレス・ルーニー、紅1点のピアノのリニー・ロスネス、ドラムスのペイトン・クロスリーのクァルテットで登場するなど、ファンがエキサイトしてもおかしくないプログラムだった。だが、私が最も期待したコリアとルバルカバのピアノ・デュオ演奏は期待を裏切る平凡な演奏に終始した。東京文化会館での忘れがたいソロ演奏が脳裏にわだかまっている私には、ゴンサロの平凡な演奏には失望した。そんな中で意外に目をみはらせたのが川口千里のトライアングル。分けてもYouTubeで20歳の女子大生ドラマーとして注目を浴びた川口千里がフィリップ・セス、アルマンド・サバルレッコと手を組み、切れのよさとスピード間溢れるスティックさばきで会場の若いファンの喝采と歓呼を浴びた。ジャズ・ドラミングの極意に触れるところまできたら、女性ドラマーとして面白い存在になるかもしれないと、そんな期待さえ抱きたくなるほど、実に闊達にして闘志あふれるドラマーだった。セスが彼女と意気投合しあう気持が分かるような気がした。

さて、肝腎の「JAZZ 100年プロジェクト」だが、あれもこれもとファンの立場で勝手な注文をつけるわけにはいかない。何しろジャズはたった100年の間に西洋音楽の数百年分の進化を遂げてきた音楽だ。スウィング・ジャズ、ビ・バップ、クール・ジャズ、モダン・バップ、フリー・ジャズ、フュージョンと単に回顧するだけでも目が回るほど。ディレクターに指名された挟間美帆はどう頭を捻ったか。プログラムはゲストのトレメ・ブラス・バンドによるニューオリンズ・マーチング・バンドの<聖者の行進>で始まり、スウィング時代の<シング・シング・シング>へ。次いでチャーリー・パーカーとともにバップ時代を牽引したディジー・ガレスピーの人気曲<チュニジアの夜>で、何と日野皓正が力強いトーンと豪快にして流麗なフレージングで喝采を浴びた。しかし、フリー・ジャズのオーネット・コールマンにいたるまでジャズ史の表舞台を闊歩したジャズの名匠や巨人たちのほとんどすべてのクリエイターたちはこの世にいない。というわけで、たとえばフリー・ジャズのソロイストには狭間にとっても縁浅からぬ山下洋輔が起用された。いささか驚いたのはクールからポスト・バップ期に活躍したリー・コニッツが意外に達者だったこと。というのも、あと1ヶ月もしたら彼は卒寿、つまり90歳を迎えるという中での演奏だったからだ。ギル・エヴァンスの<Boplicity>で元気なソロをとり、さらに予定にはなかったスタンダード曲をひとくさり吹いたこのアルト演奏は彼がまだまだ活躍できることを信じさせるに充分だった。それにしても、マイルスやコルトレーンやアート・ブレイキーらがいたらどれほどエキサイティングだったかと想像せずにはいられなかった。

じつを話せば私自身は、挟間美帆がどの曲にどんなアレンジ(編曲)をするかと、そればかりが気になっていた。といっても、彼女自身は「お客さんがジャズに詳しくなくても楽しめることを考え、オリジナルの譜面を使うことにした」(8月21日・朝日新聞夕刊)と語っていたので、どの曲で挟間美帆編曲をアピールするかを注視していた。山下洋輔をフィーチュアしたフリー・ジャズの曲も瀬川昌久氏の推察によれば松本治の編曲とあったし、フュージョン時代の<The Chicken>もボブ・ミンツァーの編曲だった。結局、最後の現在のジャズという場面で、コーリー・ヘンリーをフィーチュアした<When the Saints Go Marching in Now>だけが狭間の純粋な編曲作品だったようだ。このコーリー・ヘンリーについては、私自身はグラミー賞を2度も受賞しているスナーキー・パピーの黒人キーボード奏者程度の知識しか持ち合わせていなかったが、彼がファンク・アポッスルズを率いて東京JAZZに出演すると知って初めて関心を持つことになった。とはいっても、スナーキー・パピーをほんの少し聴いただけで、コーリー・ヘンリーの音楽について語る資格は私にはない。当日、挟間美帆の編曲で演奏したヘンリーの演奏も、私がその才能を高く買うロバート・グラスパーの演奏以上のものではなかった。もちろん狭間がその才を認めて編曲の労を買ったくらいだから、きっとこの日の演奏以上のものを持っているのだろう。彼の音楽とプレイに集中していたせいで、残念ながら肝腎の狭間のアレンジに耳が充分に届かなかった。挟間美帆の作曲と編曲力については、ここで声を張り上げなくても彼女のこれまでの作品やコンサートを通して世の評価も高いというだけでなく、今後さらに驚くべき仕事をするものと確信しているし、彼女が敬愛するマリア・シュナイダーと競い合って作編曲の新しい境地を切り開くことはもはや間違いないだろう。

締めくくりに一言。渡辺貞夫の元気なプレイぶり。彼が84歳と知ったうえでなお、その洒脱で何より若々しいプレイぶりには改めて感心させられた。90に近いリー・コニッツがあれだけの演奏をしてみせるのだから、我らがナベサダにも負けずに演奏してもらいたいものだ。(2017年9月20日記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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