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悠々自適 悠雅彦Monthly EditorialNo. 238

悠々自適 #78 「あれもこれも」

text: Masahiko Yuh 悠雅彦
photo: Tak Tokiwa 常盤武彦

 

2018年が明けて、はや3週間が過ぎようとしている。

振り返ってみれば、昨2017年は<忖度>(そんたく)に終始した1年だった気がしないでもない。『忖度』と銘打った時代小説(上田秀人著/講談社)まで現れているほどだ。秋以降はハリウッドの有名プロデューサーによるセクハラ事件が引き金となった、米政界をも揺るがした性暴力の告発が、「MeToo」という言葉に乗って世界中を駆け巡ったことで、<忖度>騒ぎは陰にまわり、外見には沈静化したかに見えるが、なにゆえこの言葉が日本中を駆け巡ってさまざまな憶測を生み、議論の的とさえなったのだろうかと立ち止まって考えてみると、さまざまな示唆を得ることができるだろう。

<忖度>とは、広辞苑には「他人の心中をおしはかること」とある。これが政治の世界で羽を広げると「いちいち説明しなくても分かるはず」となり、権力者の意向を慮った言い方に早変わりする。もともとは学校法人「森友学園」が国有地を極端な安値で入手したときに、学園の籠池泰典氏が外国特派員協会での会見で「役人が忖度をしたということでしょう」と答えたことが、ある意味で議論のひとつのきっかけとなったと記憶する。すなわち、官僚が政治家の顔が立つように言葉でさばき切る能力を<忖度する>というらしい。

外国特派員協会での会見は3月23日(2017年)だったが、その2日後の朝刊各紙が報じた教科書検定の結果には驚いた。それまで特別の教科書がなかった小学校の教科外の活動としての「道徳」に、教科書が導入されることになり、その結果何がおきたか。怒るよりも余りの馬鹿馬鹿しさに噴き出す人の方が多いのではないか。すなわち「パン屋」が「和菓子屋」にあらためられ、「アスレチックの遊具で遊ぶ公園」のくだりが「和楽器を売る店」に差し替えられたりしたというのだが、いったい何のためにかくも無意味な変更がよりによって「道徳」の教科書で行われなければならなかったのだろうか。たとえば、「パン屋」を「和菓子屋」に変え、「アスレチックの遊具で遊ぶ公園」を「和楽器を売る店」に変えることで、「指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ』という点が足りないため」という文科省当局の指摘が的を射ているという結果に添ったといえるのだろうか。だが現実には、この文部省の指摘を受け入れて書き換えた教科書が検定を通ったというのだ。これについて、池上彰氏が『新聞ななめ読み」(朝日新聞3月31日朝刊)で、文科省がかくもえげつない指示までしているわけではなく、むしろどうすべきかと迷った教科書会社の方で文科省の顔色をうかがい、文科省の認可を得やすいように先に手を打って、文科省の追認を得やすいように配慮したということだろう。池上氏は述べている。「文科省は細かい点を指摘し、その後の修正は教科書会社に任せる。その結果、教科書会社は文科省の顔色をうかがって<忖度>し、「和菓子屋」や「和楽器店」を持ち出す、という構造になっている。小学校の道徳で教えなければならない項目の中には「個性の伸張」という項目もあるが、教科書会社に<忖度>させて内容をコントロールさせる。ここに個性の出番はない」(<>は筆者)。

忖度汚染された日本社会の一端がはからずも浮かび上がったことにならないか。

少なくとも、「パン屋」を「和菓子屋」に変えれば事は万々歳とは決していえないと思う。朝日新聞によると、1980年代から93年ごろまで、全国版の紙面に登場する「忖度」は年間数件だった。これが94年に、15件に増えた。これは、国会で論戦が闘わされた「臓器移植法案」の中で、ドナーとなるべき本人の生前の意志が不明確な場合、家族が忖度して承諾すれば提供が可能になる、という項目が含まれていたからだ。この忖度が本人の意志を拡大解釈することにつながるのでは、と議論を呼んだ。97年には、当時のオウム真理教による一連の事件に絡み、法廷で「グル(教祖)の意志の忖度」が取りざたされた。このころから、明確に指示を出さない、上の立場にいる人間の意向を、下の立場の人間がくんで行動する、といったケースが増え、忖度を前提にした日本の経営といった記述も目につくようになる。

他方、「MeToo」で世界中に反響を呼んでいるセクハラ告発は、「MeToo」に象徴される性暴力は犯罪にほかならないと多くの人々から当事者を糾弾する声が高まる一方で、フランスの著名な女優カトリーヌ・ドヌーヴが「一方がもう一方を口説く自由はある」というような言い方で牽制したのには、インターネットという独特の場で告発すれば、告発した側の一方的な言い分だけが幅を利かすというある種の不公平に注文をつけたという意味での正当性があったことは認めたい。しかし、そうした一方的な動きをたしなめる一方で、彼女自身はセクハラに関するそうした不具合を否定しているわけではなく、「口説き」という行為を通してのある種の自由までを頭ごなしに否定する過剰な制裁に彼女なりの嫌悪感を示そうとしたのだろう。しかし他方で、事の発端となった米ハリウッドの女優たちがスクラムを組み、被害者を救済するための基金を設けたと発表し、私も敬愛するメリル・ストリーヴやスティーヴン・スピルバーグら多くの女優や映画監督ら多数が名を連ねているところを見ると、ことはもはや単なるセクハラ事件を超えて社会問題化しているといってもいいといわざるを得ない。「Time’s Up」という名がついたこのキャンペーンがどこまで広がりを見せるのか、少なくとも目をそらせない動きとなっている。新聞報道によると、「あらゆる職域で権力の中枢に女性が少ないために、この種のセクハラが生まれやすいという構造的な問題がある」と全面広告がうたっており、すでに日本円で20億円に達する支援金が寄せられているところから窺うと、すでに大きな社会問題となった観さえあるこの「MeToo」 が一件落着することを予想するのはいたってむづかしい。すでに「Me Too」の広がりは最初に告発した女優たちの訴えを瞬く間に越え、ハリウッドからさらに多様な多くの世界へと広がり始めている。中でも世界的な大物指揮者たちが過去に共演したオペラや舞台の有名歌手や舞台女優たちから告発されており、中には現NHK交響楽団の音楽監督をつとめる超大物指揮者もいる。この告発がいったいどこまで広がるかということを予想することさえ現状では極めて難しい。この指揮者の中には実は私が個人的に大好きな指揮者も含まれており、その指揮者の名が取りざたされたときの心情は実に複雑だった。ハリウッドの女優たちは、自分たちが始めたキャンペーンを、「Time’s Up」(すべて終わりだ)と名付けたが、この広がりに目をやれば、忌まわしいこのセクハラ事件がもう終わりだなどとは断じていえないのではないだろうか。

いい加減にせよとうそぶくことにして、話題を変えよう。

私の2018年は、1月8日の新宿ピットインで始まった。田村夏樹・藤井郷子夫妻から例外的とでもいいたいコンサートのお招きをいただいたからだ。今年の新宿ピットインは明けて2日から3日間、森山威男 3DAYS と銘打ったスペシャル・イヴェントを例外とすれば、8日が新ピの2018年の幕開けの日だった。その皮切りが田村夏樹・藤井郷子による Day & Night 、というわけだった。新ピのスケジュール表には『あれもこれも』というタイトルが付されており、午後2時から第1部が始まり、6時半に客人の入れ替えを済ませたあと、7時からは第2部に入るると予告されていた。

<第1部>
14:30 田村夏樹 (trumpet) 岡部洋一 (percussion)
16:00 藤井郷子 (piano solo)
17:00 This Is It ! ~ 田村夏樹 (trumpet) 藤井郷子 (piano) 井谷享志 (percussion)

<第2部>
19:00    NatSat  Duo  with 森田浩彰(美術)
20:30    お年玉:巻上公一 (voice) 田村夏樹 (trumpet) 広瀬淳二 (tenor sax) 藤井郷子 (piano)
ナスノミツル (bass) 芳垣安洋 (drums) 井谷享志 (drums)

以上が前もって送られてきたフライヤーの告知だが、田村=藤井夫妻による当初の計画通りに、つまりは夫妻がピットインを借り切る形で現在の夫妻が活動の軸としているバンドや夫妻の個人的演奏を披露した丸1日だったといえるだろう。ちらしの冒頭に、「またやっちゃいます。昼から夜までぶっ続けのあれもこれも。あらゆる角度から魅せます、聴かせます!」とうたった通りの正月公演であったことは間違いない。聴きごたえがあったのは第1部。とりわけ滅多にない藤井郷子の単独ピアノ演奏と、田村・藤井夫妻にドラマーの井谷享志の3者による This Is It 。夫妻の演奏はいつに変わることなく、奔放に、ときに無邪気に、ユーモア精神を失うことのないプレイで、相も変わらぬ気力のみなぎったサウンドをほとばしらせた。

実はこのピットイン演奏会の数日前、藤井郷子からCDが1枚送られてきた。12月31日の日付が記された短い添え書きには、「これが着くころはもう新年だと思います。2018年、私は還暦を迎えます。そのスペシャル・プロジェクトで、毎月CDをリリースすることを予定しています。その第1作目、Soloをお送りします」とあった。

ちなみに、夫妻は今年、赤坂の住まいはそのままにして、神戸にも活動する拠点としての住居をもうけ、東京と神戸を行ったり来たりする生活をはじめており、昨年11月末に私が日本芸術振興会の調査で神戸市室内合唱団のコンサートを聴きに神戸を訪ねたときもおいしいカレーの店があるといって案内してくれた。話を元に戻すが送られてきたCDの添え書きに、私が驚いたことがふたつあった。ひとつは、今後毎月、藤井郷子名義のCDを世に発表すること。もう1つは藤井郷子が今年の10月(9日)に還暦を迎えること。私にとっても感無量の観が深い。夫妻が留学していた米国から帰国した確かその年には、わたしがDJをしていた「トーキンアップ・ジャズ」(ミュージック・バード)にゲスト出演したはずで、この記憶が正しければ彼女が40代に入ったばかりの頃だったはず。光陰矢の如しとはよくいったものだ。この月1枚のCDリリースを彼女は自ら『月刊・藤井郷子』と名付けた。その記念すべき第1作が『Solo』だ。

Satoko Fujii / Solo(藤井郷子ソロ)(Libra Records  201– 046)ボンバ・レコード発売
1. Inori(祈り)2. Geradeaus  3. Ninepin  4. Spring Storm  5. Gen Himmel   6. Up Down Left Right  7. Moonlight Executive Producer (田村夏樹)
Artist Photo & Liner Notes(井谷満)
2017年7月9日 八幡浜ゆめみかん(八幡浜文化会館)にて録音

もし目隠しテストされたら、このピアニストが藤井郷子だとは分からなかっただろう。どうしてかくも素晴らしい演奏が可能になったかは、CDのライナーノーツ及び「還暦記念『月刊  藤井郷子』創刊」と題して自ら執筆した宣伝パンフレットをお読みいただきたい。ノーツを一読して井谷満氏のピアニストとしての藤井郷子への飽くなき情熱がこのソロ・アルバムの制作を可能にしたことがよく分かった。ノーツの冒頭で氏はこう書いている。「藤井郷子のピアノをソロで聴きたい。それもコンサート・グランド・ピアノで。さらには出来ることなら” Steinway D 274 ” でとの思いをずっと胸に秘め、松山ライヴがあるたびに彼女に向かって、松山にソロで来ませんか、と声をかけてきた」、と。その情熱が昨年夏、ついに実ったのである。

八幡浜は愛媛県西端、ちょうど佐多岬半島の付け根のところにあって、伊予灘と宇和島をのぞむ温州ミカンで名高い美しい町。ゆめみかんはこの八幡浜市の文化会館(812席)で、ライヴ演奏はピアノの音が最良の音質で楽しめる300人の観客を集めて行われた。彼女は書いている。「状態の良い素晴らしいピアノと、豊かな鳴りの音楽ホール、八幡浜ゆめみかん。ピアニストなら誰でも垂涎の環境でのソロ・コンサートの機会を与えていただいた。即興でのソロ。事前に何も準備せずに臨んだ」。

よほど響きのいいホールなのだろう。「ホールの美しい余韻は演奏に余裕を与え、呼吸をするように弾いているうちに、自然にオリジナルの楽曲が顔をのぞかせた」と彼女自身は語る。よほど最良の条件が整った中で彼女は演奏したのだろう。彼女が帰国以来、私は何度か彼女のピアノ演奏を聴いてきたが、今回ほど藤井郷子のピアノ演奏で感動を味わった例はないといっても過言ではない。もしポール・ブレイが存命してこの演奏を聴いたら何といって讃えただろうか。たとえば、「ナインピン」での、アコースティック・ピアノの清透な響き。弾き手が世界超一流のピアニストであることを疑わずに、思わず唸らされた。「スプリング・ストーム春の嵐」での左手と右手の対話の妙。そのサウンドと奏法は私の知っている郷子ではないみたいだ。最後の1曲のみ彼女のオリジナル曲ではなく、かつてウディ・ハーマン・オーケストラの名アレンジャー(「Four Brothers」が有名)にしてバリトン奏者として活躍したジミー・ジュフリーの作品。この1曲には驚いた。この1曲での藤井郷子の融通無碍にして自由奔放な奏法と表出、またピアノと対話するような慈しみの表情に私は言葉を失うほど胸打たれた。

この1作の発売後、2月にはKAZE の第4作、3月に入るとオーケストラ・ベルリンの新作などがすでに決まっており、9月にはベースのジョー・フォンダとのツアーが予定されている。とにかく月に1枚のペースでCDを発売する藤井郷子と田村夏樹夫妻の動向からは目が離せない。

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

悠々自適 #78 「あれもこれも」」への1件のフィードバック

  • 手違いにより「郷子」と入力すべきところ「聡子」と誤入力がありました。
    他に本年9月の来日予定を「ジョー・フォンダ」とすべきところを「アリスター・スペンス」とするなど数カ所思い違いにより事実に反する記述がありました。
    藤井郷子さんの指摘を受け修正いたしました。
    藤井郷子んと読者の皆様にご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。
    編集部

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