悠々自適 # 84 秋のコンサートから
text by Masahiko Yuh 悠 雅彦
年が押し詰まってくると、なぜか訃報が相次ぐ。はじまりは世界中でヒットした映画「ある愛の詩(うた)」など数々の映画音楽で誰知らぬもののない作曲家として名を馳せたフランシス・レイだったか。11月8日の各紙夕刊が報じた。彼はジャズの作曲家ではなかったが、クロード・ルルーシュと組んだ映画音楽でジャズとも相通じる曲をいくつも書いた。私の記憶では、彼がブルーノート東京に出演したことなどはなかったと思うが、ある意味ではジャズ史を飾った巨人たちとも交流し、のちに「シェルブールの雨傘」や「ロシュフォールの恋人たち」などの傑作映画の音楽を生んだミシェル・ルグランと双璧ともいえる存在だったことだけは間違いないだろう。ルグランの方は去る7月にトリオを率いてブルーノート東京に出演した。1932年(2月24日)生まれの彼は86歳だが洒脱なプレイぶりは相変わらずだった。さらなる来日演奏が期待できるのではないか。ちなみにフランシス・レイも享年86だった。
それ以上に驚いたのはフランシス・レイの訃報の翌々日、トランペットのロイ・ハーグローヴが亡くなったというニュースだった。まだ50にもならない若さで腎障害で倒れ、透析治療の最中に亡くなったと知ったとき、私の脳裏に蘇ったのは確か1990年か91年だったと思うが、Novus(RCA)への吹込で一躍注目を集めることになったハーグローヴを日本のRCAが招いて、アルトのアントニオ・ハートに加えて日本の台頭する新進気鋭の若手ミュージシャンが結成したJazz Networksと共演させるレコーディングを敢行したときの、和気藹々とした雰囲気と若さ横溢する伸びやかな演奏だった。ハーグローヴとハート、そして日本の大坂昌彦や椎名豊らがもう何年も共演しているかのように打ち解けあった演奏を繰り広げていた姿が、いまだに私の脳裏に焼きついている。そのロイ・ハーグローヴ(1969年10月16日~2018年11月2日)が突如この世を去ったとは。ブルーノート東京で元気なプレイを披露したのは、つい半年前の去る2月のことだった。今はただ、『ハバナ』などで2度もグラミー賞を獲得した彼の冥福を祈りたい。
ハーグローヴの死からおよそ10日後の11月13日、今度はかつて梅津和時らと生活向上委員会やD・U・Bで活躍し、90年代には渋さ知らズや林栄一とのデ・ガ・ショーで存在感を示した異色的なテナー奏者・片山広明(1951年3月1日生まれ)が肝臓癌で生涯を閉じた。67歳だった。私自身は彼の演奏について語るほどそのプレイに親しく接したわけではないが、そのユニークな個性をサックスの演奏に託したソロを耳にするたび、あの忌野清志郎がなぜああも彼のプレイに惚れ込んでいたかが分かるような気がしたものだ。私にとっては2005年か6年だったか渋さ知らズのコンサートで彼の音を聴いたのが最後だった気がする。かつて地底レコードが送ってくれたサンプル盤を聴きながら、彼が石渡明廣、早川岳晴、湊雅史と吹き込んだ『Last Order』なる最後の1作に想いを馳せながら冥福を祈った。過ぐる日、NHKラジオの昼のお茶の間番組、普段ならジャズなどがかかることのない「昼の憩い」で、アナウンサーのトークの合間に片山広明の音楽が2曲、追悼風に流された。RCサクセションとの「山の麓で犬と暮らしている」と、彼のサックスをフィーチュアした「そうかなァ」。彼の音楽はつまりジャズとは無縁のどんな番組にも合うのだ。
ところが、訃報はこれで終わらなかった。その2日後の11月15日、今度はハーグローヴ以上に多彩なジャンルで活躍していたピアニストの佐山雅弘の訃報が突然、飛び込んできたのだ。11月14日に胃がんのため死去したという。取り立てて親しい間柄ではなかったが、会えば気さくに話がかわせる人で、私の好きなミュージシャンのひとりだった。ポンタ・ボックスの1員としての活躍を通してその存在がファンの間で話題になったころに話を交わすようになり、ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」やラヴェルの「ボレロ」のジャズ化の話で盛り上がったことがあった。つい昨日のことのようだ。彼が世を去ったとはとても思えない。「自分の出会った人々で僕という人間が出来ている」や、あるいは「ジャズとの出会いで楽しさこの上ない人生を送った」とはいかにも人のいい彼らしい言葉だ。亡くなる直前に綴った(に違いない)別れの言葉が彼のサイトに載っていた。「皆様の今後の良き日を祈りながらお別れします」。片山広明の演奏がNHKラジオから流れた翌日、今度は佐山雅弘が忌野清志郎と共演した曲がかかった。琴線に触れた。佐山さん、またね。さようなら。
突然、前田憲男氏の訃報が舞い込んだ。
氏はアレンジャーとしてのみならず、ピアニストとして、しかも音楽家としては専門のジャズにこだわらない姿勢を終生貫いた稀有な人だった。生前の大橋巨泉が司会をする「11P M」で巨泉氏のダジャレにも悠々と応えてファンを惹きつけた魅力を私も高く買っていた。その前田憲男がさる11月25日、肺炎のため亡くなったと各紙がいっせいに報じた。83歳(1934年12月6日、大阪生まれ)だった。そこで窮余の一策として巻頭文でこの11月に亡くなった方々の音楽や業績を振り返ってきたページに、前田さんを悼む一文を挟み込ませていただいた。彼は専門のジャズを嬉々として飛び越え、専門のジャズのみならずクラシックから歌謡曲やニュー・ミュージックにいたるあらゆるジャンルの音楽を分け隔てなく扱い、ユーモラスなタレントとしての能力も発揮した多彩な人だった。かつて私が好きなグループに猪俣猛とウェストライナーズがあって前田憲男は欠かせぬアレンジャーだった。その猪股は言った。「半生を振り返ると、何と言っても前田さんの存在が大きい。私たちは決して馴れ合わず、互いに刺激し合う無二の間柄だった」と。ピアニストとしての前田さんの魅力を発揮したグループとして佐藤允彦、羽田健太郎とのトリプルピアノがあったが、羽田氏の急死で活動が停止したのは実に残念だった。スイング・ジャーナル時代の南里文雄賞をはじめ数々の栄誉のも輝きやレコード大賞の功労賞をはじめ数々の栄誉に輝き、「題名のない音楽会」などのテレビ番組でも腕を振るった名物音楽家がまた一人この世から姿を消したことになる。
今月はこの秋以降に聴いたコンサートで特に印象深かったものを、しばらくご無沙汰していた<食べ歩き>風に書くつもりでいた。ところが、予想もしなかった訃報が相次ぎ、<食べ歩き>で触れたいと思っていたコンサートのすべてをカバーすることがむづかしくなった。そこで今回は窮余の一策として8月末から11月にかけて聴いた全コンサートから印象深かったものを列挙し(全14公演。下記一覧)、その中の数点を選んでコメントを付すことにした。
このアイディアがひらめいたのは、ジャズの演奏家が普段は決して演奏しないクラシックの楽曲を演奏した聴きごたえのあるコンサートが幾つかあったからだ。最初のアヴィシャイ・コーエンと、文字通り「ジャズがクラシックと出会う」と名打った小曽根真とエリック・ミヤシロの演奏会がそれ。
アヴィシャイ・コーエンの公演は、ワーナー・ミュージック・ジャパンから2014年に発売された『アルマー』を事前に聴いていたら驚くこともなかっただろうが、未試聴だった私はいささか面食らった。ステージには女性の弦楽奏者が17人勢ぞろいし、その前後を現コーエン・トリオのイタマール・ドアリ(percussion)とオムリ・モール(piano)が、中央のベース奏者コーエンを的確にバックアップした。確かなことは、コーエンの卓越したベース技法と幅の広い想像力豊かな音楽性。ストリングスだけで演奏されたバルトークの有名な『ルーマニア民族舞曲』を皮切りに、「Hayo Hayta」、「Puncha Puncha」や「Arab Medley」などアンコール2曲を含めて全10曲(後半も全10曲)を熱演した。ヴォーカルも披露したコーエンだが、「Dreaming of a Dream」と「Dreaming」が印象深かった。
ピアノのオムリ・モールと打楽器のイタマール・ドアリの技術と音楽性に裏付けられた演奏の素晴らしさも特筆に値するものだった。このところ様々な形で来演するイスラエルのプレイヤーには目を見張らされることが少なくない。チック・コリアに抜擢されて世に出たコーエンは別格かもしれないが、彼に続くさらに若い世代の演奏家にはまさに注目をそらせない。
たとえば、イスラエル出身の注目すべきピアニストがいる。シャイ・マエストロだ。かのキース・ジャレットも賞賛したというニュースが伝えられたことも手伝って、私が聴いたブルーノート公演の最終日は満席の賑わいだった。彼はアヴィシャイ・コーエンのグループに抜擢されて活動した後、2010年に自身のユニットを結成し、やがてECMとの吹込契約を果たして活動が軌道に乗った。ECMでのデビュー作は『The Dream Thief』。今回のトリオはベースがノーム・ウィーゼンバーグで、ドラムスがアーサー・ナーテク。1987年生まれの31歳という若きピアニストの活躍に注目したい。
近年しばしば気づくことだが、先記イスラエルの若手以外にも注目すべきプレイヤーが台頭し、日本へも登場して目を見張らせている。1例を挙げれば、キューバのピアニスト、アロルド・ロペス・ヌッサの伸びやかで豊かな音楽性と優れたピアノ技法。ガストン・ホーヤのベースとロイ・アドリアン・ロペスのドラムスとのコンビで、キング・インターナショナルから紹介された『ウン・ディア・グァルキエーラ』や新作の『エル・ピアッヘ』(同)から演奏した数曲を聴くと、自分が学生だったころ虜になった米国のジャズ一辺倒の時代が懐かしい、というよりもジャズは今まさに世界の音楽になったという感を深くする。そうでなければ、モントルー・ジャズ祭でのソロ・ピアノ・コンペティションでアロルド・ヌッサが入賞する(2005年)ハプニングが生まれるはずもない。
<Jazz meets Classic with 東京都交響楽団>と銘打ったコンサートがある。クラシックとジャズの両道に長けた小曽根真を軸に、コンサートやワークショップを教育プログラムという視点でアプローチする試みの一環だ。『小曽根真&エリック・ミヤシロ』をメイン・タイトルにした今回のコンサートでは、何と言ってもエリック・ミヤシロに注目した。何を演奏するのかと思ったら、ヴァイオリン・ソナタ「悪魔のトリル」で有名なタルティーニが作曲したトランペット協奏曲ニ長調。彼はその第1、および第3楽章をエドウィン・アウトウォーター指揮東京都交響楽団の演奏をバックに吹いた。ちなみに原曲はトランペット協奏曲ではなく「ヴァイオリン協奏曲」をジャン・ティルドがトランペット用に移し替えた作品。エリックはやや遠慮がちな感じながらも第3楽章などはさすがに持ち前の輝かしいトーンを発揮し、特にピッコロ・トランペットによるカデンツァでジャズ界屈指のテクニシャンぶりを披露して喝采を博した。クラシックのコンサートでは滅多にないが、第1楽章が終わったところで拍手が起こったのもいわばご愛嬌で悪くない。一方、小曽根が演奏したのはガーシュウィンの「ピアノ協奏曲ヘ調」。この曲は前号で山下洋輔が新日本フィルとの共演による演奏をコンサート評として紹介したが、私は大好きなコンチェルトだ。なぜこの曲があまり演奏されないのか個人的には合点がいかぬ。小曽根も同じような気持ちだったのではないか。山下洋輔とは全く違うアプローチで、しかもいつになく神妙に、いつものジェスチュアや誇示もない、しかしよく考えられた解釈の堂々たる演奏だった。ここでも第1楽章が終わったとたん拍手が湧いた。おそらく拍手した人々は第2部の<ジャズ・セッション>をお目当てに来場したジャズ愛好家たちだろう。エリックがフリューゲルホーンでボビー・シューの「ブレックファースト・ワイン」を。小曽根がショパンの「プレリュード4番」を弾き、これをもとにアントニオ・カルロス・ジョビンが作った「ハウ・インセンシティブ」を演奏するなど工夫を凝らした展開が良かった。エリックが朝顔が3つもついた馬鹿でかいトランペットを持って再登場した時は場内に爆笑が起こった。内容の盛り沢山で、終了したのが7時40分過ぎ。2時間半を超えるコンサートだったが、長さを少しも感じなかったのは2人の演奏が充実していたからだろう。
小曽根真は「ラプソディー・イン・ブルー」をしばしば演奏するが、11月30日にはニューヨークに住むピアニスト野瀬栄進が、静岡フィルハーモニー交響楽団と当地でこの曲を披露することになっている(できたら聴きに行こうかと考えているが?)。なお、彼が打楽器奏者の武石聡と組むThe Gate なるデュオの演奏も新鮮だった(渋谷・高木クラヴィア)。
山下洋輔といえば、ベースのセシル・マクビー、ドラムスのフェローン・アクラフと組んで1988年に結成したニューヨーク・トリオが、ついに結成30周年を迎えた。このトリオが30年に亘って活動するとは大方のジャズ愛好家が予想だにしなかったことではないだろうか。その中でマクビーは今年83歳を迎えた。私が1976年にプロデュースしたチコ・フリーマンのデビュー作の録音で説得に応じてシカゴまで飛んでくれたときの彼は、まさに働き盛りの41歳であったが、その真摯な言動はあれから40年以上経った今日もまったく変わらない。デトロイト生まれながらシカゴのAACM派との活動で注目されるようになったアクラフとてすでに60歳を超えた。88年といえば山下は46歳。血気盛んだった彼がこの両者と組んで、まさか30年もの長きに渡って活動を持続させようとは少なくとも私は夢にも思わなかった。去る11月2日に催した記念コンサートは山下ら3者にとって感無量のコンサートだったのではないかと想像する。だが内心はともかく、表向きの彼らはいつに変わらぬ、いや30年前とまったく同じ演奏態度で、オープニング曲「ブルー・キャッツ」を皮切りに、30年の歳月に自らエキサイトさせながら、しかし和気藹々とした演奏でファンの声援に応えたのであった。この溌剌さだと、少なくとも後4、5年はマクビーとアクラフが元気な限りグループはニューヨーク・トリオとして持続するのではないかと思ったりする。
毎年のようにお里帰りをしては元気な演奏を印象づけている高瀬アキが、今年はつれあいのアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハと待望久しい前衛ジャズ全盛期の立役者の一人だったエヴァン・パーカーを伴って帰国し、演奏会を催した。前半の第1部はシュリッペンバッハと高瀬アキのピアノ連弾。後半の第2部はシュリッペンバッハ・トリオ(ドラマーはロンドン生まれで、パーカーとは半世紀にわたって活動をともにしてきたポール・リットン)の演奏。この後半はすこぶる興味深かった。ただし、演奏評についてはJAZZTOKYOの副編集長、横井一江氏が高瀬アキとも昵懇の間柄であり、加えてヨーロッパ・ジャズの動向に詳しい。もし昵懇ゆえに関われないとおっしゃるなら、専門のヨーロッパ・ジャズの観点からせめてエヴァン・パーカーか、シュリッペンバッハ・トリオについて書いて欲しいと思っている。
すでに予定の字数を超過している。最後にクラシックと邦楽から1点づつ取り上げて簡単なコメントを付して締めくくることにする。
小倉美春と鈴木知裕の「2台ピアノの新たな可能性」と題したコンサートは、ブーレーズとシュトックハウゼンの作品を集中的に演奏するプログラムに強く惹かれ、こちらから連絡をして招んでいただいた。招待されたわけではない。結果的にプログラムがすこぶる新鮮だった。目星をつけた私の勘は間違いではなかった。ちなみに、二人は桐朋学園でピアノと作曲を専攻し、鈴木知裕は卒業。他方、小倉美春の方は現在同学園の4年生で、今年のオルレアン国際ピアノコンクールで自作自演に対する作曲賞など7つの賞を射止めた、とプログラムにはある。両者のデュオは昨年結成され、同年のアンサンブル・アンテルコンタンポランのピアニスト、セバスティアン・ヴィシャールのレッスンを受講したのち、このデュオでのコンサート計画を軌道に乗せたということだろう。ブーレーズの「構造第2集」は1961年の作品。まさに2台ピアノの存在性を主張して見せた今や古典的作品。それだけに観客の中にはその譜面を持参して楽譜をチェックしている学生もかなりいた。この曲は2人のピアニストが相互に異なった時間軸を疾走し、それぞれに独立した演奏を持続させながらアンサンブル化させていくところがユニークで面白い。両者がそれなりにシャープで決然とした音の連なりを構成できたのは、パリでのレッスンを経験した賜物でもあろう。2曲めの「宙 SORA」は石島正博の作品。石島は両者が師事した恩師にあたる。彼はプログラム解説で「2人のデュオは2台ピアノにおける<比翼の鳥>だ」と言っている。比翼の鳥は一つの翼と一つの目しか持たぬという古代中国の伝説上の鳥。雌雄が互いに助け合わないと飛べないことを、ピアノ・デュオの比喩として引用したのだろう。2人の演奏家が4つの手で創り出す音響の不可思議さを、小倉=鈴木が引き出して宙へと連ねている。プログラムの宣伝章句<新鋭デュオが創る宇宙的音響世界>がピタリ。
後半の「マントラ」は打楽器+変調したピアノによる壮大な音響世界。前半とは逆に小倉美春が右、左に鈴木知裕。小倉はときに左手でピアノのキーを、右手でスティックを使ってマントラ模様を描き、一方鈴木は左手でエレクトロ・サウンドを操作し、変調された音で、小倉のスティックとピアノによるサウンドに対抗する。最後は変調から解放されたアコースティックピアノの両者の疾走するスピード感が聴くものをエキサイトさせる中で、小倉の言葉を借りれば「人間的で、演劇的で、宗教的で、儀式的で、宇宙的である一つの舞台作品として、また未知の音響体験として」壮大な宇宙が現出していく。音をキャッチする速さ、空間を切り拓く確かさには舌を巻いた。<北とぴあ国際音楽祭2018>に参加公演した小倉と鈴木の闘志溢れる演奏に拍手を贈りたい。
日本伝統文化振興財団という組織がある。13年前にビクターが拠出した基金をもとに設立された財団だが、当時ビクターで腕をふるっていた藤本草氏が中心になって今日まで傑出した若い新鋭演奏家を発掘し,「日本伝統文化振興財団賞」の一環として顕彰するとともに、伝統芸能のCD録音、映像刊行をはじめ数々の貢献を果たしてきた。これまでに受賞者は22人を数えるという。その中の19人が出演するというデラックスとしか言いようがない特別公演が去る11月にあった。①狂言「柿山伏」(山本泰太郎、山本典孝)に始まり、②琉球舞踊「かせかけ」(佐辺良和、仲村逸夫、池間北斗、入高西諭)③上方舞「ゆき」(山村友五郎、菊央雄司、川瀬露秋)④新内「日高川 飛込みの場」(新内多賀太夫、新内仲三郎、鶴賀喜代寿郎)⑤清元「鳥刺」(清元美寿太夫、清元清美太夫、清元美次郎、清元栄吉)⑥女流義太夫「本朝廿四孝十種香の段」(竹本駒之助、鶴澤都賀寿)⑦地唄「根曳の松」(藤本昭子、山登松和、善養寺恵介)⑧大和楽「おせん」(大和左京、大和久悠、大和久萌、大和櫻笙、大和久喜子、大和久貴、藤舎呂英社中⑨箏曲「楓の花」(米川敏子、遠藤千晶)、⑩長唄「勧進帳」(杵屋直吉、松永忠次郎、杵屋巳之助、杵屋正則、今藤長龍郎、今藤政十郎、松永忠三郎、松永忠一郎、福原寛、藤舎呂英、堅田昌宏、藤舎呂近、望月太津之)
思わず溜息しか出てこない、どれも垂涎ものの演目、いやそれ以上に人間国宝の竹本駒之助をはじめとするその分野の第一人者の顔、顔、顔、そして華やかにして深い芸。しかし余白がない。窮余の一策として、最後の「勧進帳」に代表してもらうことにする。歌舞伎の伴奏音楽として発展してきた声と三味線(細棹)による音楽を松永忠治郎をはじめとする豪奢な出演者たちの熱演で、聴くうちに源頼朝、義経、弁慶の絡みなどすっかり忘れて、まさに名曲(三世並木五瓶=詞、四世杵屋六三郎=曲)の活気に富んだ歌と演奏の世界に浸りきった。
○ アヴィシャイ・コーエン・トリオ with 17 ストリングス(8月26日15時、紀尾井ホール)
○ Jazz meets Classic/小曽根真&エリック・ミヤシロ with 東京都交響楽団(9月29日17時、東京文化会館大ホール)
○ アロルド・ロペスーヌッサ・トリオ(10月11日18時30分、丸の内 Cotton Club)
○ The Gate~野瀬栄進&武石聡(10月16日20時、渋谷・高木クラヴィア)
○ 30光年の浮遊/山下洋輔ニューヨーク・トリオ(11月2日18時30分、東京文化会館小ホール)
○ シャイ・マエストロ・トリオ(11月13日18時30分、ブルーノート東京)
○シュリッペンバッハ・トリオ+高瀬アキ(11月23日15時、座・高円寺ホール2)
○ 東京ニューシティ管弦楽団/指揮・ヌーノ・コエーリョ(9月25日19時、東京芸術劇場コンサートホール)
○ 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団/指揮・トンチェ・ツァン(10月19日19時、東京オペラシティ・コンサートホール)
○ 新日本フィルハーモニー交響楽団/指揮・ハンヌ・リントゥ)(10月20日14時、すみだトリフォニーホール
○ 日本フィルハーモニー交響楽団/指揮・小林研一郎(10月27日18時、横浜みなとみらいホール)
○ 2台ピアノの新たな可能性~マントラをめぐって~小倉美春&鈴木知裕(11月9日18時30、北とぴあ・つつじホール)○ ブランデンブルグ協奏曲(全曲公演)/延原武春指揮テレマン室内オーケストラ(11月18日14時30分、東京文化会館小ホール)~日本テレマン協会創立55周年事業
○ 萌(きざし)山本亜美/二十五絃筝ソロリサイタル(10月22日19時30分、杉並公会堂小ホール)
○ 伝統芸能の現在と未来~古典継承の最前線を聴く(11月6日18時、紀尾井ホール)
○ 胡弓の栞(しおり)/高橋翠秋(11月17日17時、紀尾井小ホール)