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悠々自適 悠雅彦~No. 201

#54 食べある記 Xl

年が改まってはや3ヶ月。時の流れは予想を超えて速い。早くも鞭が入ったかと錯覚するほど、2013年の幕が開いてほどなく、次々とジャズの威勢のいい演奏と出会った。そこで、その幾つかをピックアップすることから本年最初の<食べある記>を始めることにしよう。


狭間美帆の<作曲家宣言>

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口火を切ったのは、1月11日(東京オペラシティ・コンサートホール)の山下洋輔プロデュースによる挟間美帆のいわば本格デビューというべきニューイヤー・ジャズ・コンサート。<挟間美帆のジャズ作曲家宣言>と銘打った、いささか大仰なタイトルに眉をひそめる人もいた中でのこのコンサートは、作曲家・編曲家としての彼女の桁外れの才能を大々的にアピールする例外的な場となった。東京フィルハーモニー交響楽団との共演を念頭に書き下ろした2つの組曲風作品(1曲は山下洋輔のソロ・ピアノ集『耳をすますキャンバス』のオーケストラ化)は、いわゆる “ジャズ” を期待した人々の不興を買ったらしいが、ジャズであることの是非はさておき、すでに優れて個性的にして高度なオーケストレーション書法を身につけている彼女のペンの冴えはこの分野の新人の追随を許さないほどのレヴェルにあるといって疑いない。
それから約3週間後、狭間はストリング・クヮルテットをプラスしたユニークなジャズ・アンサンブル(竹野昌邦、庵原良司、竹村直哉、田中充、香取良彦、佐藤浩一、サム・アニング、ジェイク・ゴールドバスほか)を率いて再登場し、自身のオリジナル曲ばかりで構成した眩いばかりに変身したステージを披露した(1月31日、六本木・STB139スイートベイジル)。先のオペラシティでのコンサートと違って、ジャンルを超えた作曲家らしい曲が並ぶ。作編曲と指揮に専念する彼女はまさに<作曲家宣言>通りの才媛だった。

 

Rioのバリトン・サックスに完全にノックアウトされた

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お次ぎは、ジャズの熱風を真正面から受けて思わぬ快感を味わったコンサート。こんな感激はジャズでは久し振りで、年甲斐もなくエキサイトした。筆頭は、早坂紗知が「BUDDY」(東京・江古田/2月26日)で催した毎年恒例の226コンサート。おしどり夫婦は田村夏樹&藤井郷子の専売特許ではない。永田利樹&早坂紗知のよきコンビぶりを特に強調したくなったのは、当夜のコンサートにおけるRio の存在が際立っていたからかもしれない。Rio は永田&早坂夫妻の愛息。かねてより噂を耳にして、実際に聴いてみたいという願いがこの夜、ついに叶った。それが今年27回目を数える226コンサートで、この若きバリトン・サックス奏者に完全にノックアウトされた。実を言えば聴いてみたい願望はあったものの、評判倒れということもあると高をくくっていた気持がなかったといったら嘘になる。だが、噂以上だった。おかげで過去にも何度かお招きを受けた226コンサートの中で、これほど膝を乗り出して聴いたエキサイティングで中身の濃い226は過去になかったのではないかと思うほど。もっとも、早坂個人に限っていえば、この人はいつだって力を抜いたりすることなどない、身を燃え尽くしてなおジャンプアップせんとする気概溢れるプレイに徹することを忘れない人。この夜もオープニングから闘志満々の怪気炎で聴く者を自分たちの術中(演奏)に呼び込んだ。
この夜は超満員。立ち見のファンも大勢いて熱気ムンムン。226同志の山下洋輔が久し振りに出演するのに加え、宇崎竜童がゲスト出演するとの告知があったからだろう。加えて大儀見元も久し振りに加わって古巣での演奏を楽しんだ。宇崎竜童とは故原田芳雄のライヴで共演した間柄で、彼の作曲に惚れ込んだ早坂が声をかけたことから実現したらしい。最後のセットで歌った「On a Slow Boat to China」の軽快な歌いぶりに触れると、学生時代(明大)にジャズをかじっていただけのことはある。根っからジャズが好きなのだろう。
また、山下が彼女にリクエストして実現したデュエットによる、コール・ポーターの佳品「Every Time We Say Goodbye」の聴く者を泣かせるバラード演奏には心が潤う充足感で満たされた。しかし、私にとっての最良の収穫はこの夜Rio のプレイに接したことに尽きる。彼が故ジェリー・マリガンを敬愛しているらしいと察したが、反面その力強い自信に満ちたプレイぶりにはむしろペッパー・アダムスやサージ・チャロフを彷彿させる柔軟性が窺える、その度量と恰幅のよさに注目させられた。何よりプレイが半端じゃないところが頼もしい。一聴荒削りだが、いや荒削りに見えてパワーと繊細さを同居させながら質の高い演奏を展開しているところがいい。永田夫妻がどんな子育てをし、プレイヤーとしての息子の能力をどう鍛えたのかを聴きたいものだ。

 

天才的な俊英ピアニストの再登場を思い切り堪能 エルダー・ジャンギロフ

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注目したもう1人はエルダー・ジャンギロフ。キルギス共和国出身で、10歳のとき米国へ移住(カンサスシティ)し、10代後半をサンディエゴで過ごしたいわばロシア系アメリカのピアニスト。まだ27歳になったばかりだが、すでに10年以上の吹込歴をもつ。その1部を聴いた限りでは伝統的なロシアのピアニズムの風格を感じさせるスケールと超絶的なテクニックが脳裏に焼きついていた。今月発売された『Breakthrough』(インパートメント)のオープニング曲「ポイント・オヴ・ヴュー・リダックス」のトリオ演奏を聴いた瞬間、以前聴いたときの印象が甦った。その俊英がCDと同じトリオ(アルマンド・ゴラ/b、ルドウィッグ・アフォンソ/ds)で来日(3月5日、丸の内「コットン・クラブ」)した。これは聴き逃せない。その第一声は、何とオスカー・ピーターソン・トリオが64年にマーキュリー吹込で演奏した『カナダ組曲』の「Place St. Henri」。これにも驚いた。この曲をピーターソン以外のピアニストで聴いた初の体験だったからだが、なるほど彼の優れたピアノ技法の一半がピーターソンに負うていると思えば、ロシア的ピアニズムとピーターソン流のピアノ技法のよき合体がジャンギロフの音楽と奏法に華麗な花を咲かせていると言ってもあながち間違いではあるまい.それをさらに強く印象づけた演奏が3曲目の「The Exorcist」。この夜のライヴで分かったのは、ジャンギロフがほとんどの曲で演奏を閉じる直前にカデンツァ風のソロ演奏を設けていること。ここでも滑舌が10本の指に乗り移ったかのようなスピード感横溢するフィンガリングで聴衆を魅了した後、間髪を入れずソロ演奏を開始した。ところが、単なるカデンツァではない。しばらくして、これはプロコフィエフではないかと思いはじめた。あとでこれがそのプロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番の第3楽章と分かったのだが、「Exorcist」の流れで聴いてもこれといった違和感がないこのソロに彼はどんな意図で臨んだのか。じかに訊ねてみたいものだ。実は、CD収録曲でもある「誰かが私を愛してる」(ガーシュウィン)の最後に奏したソロも曲調がシューマンかメンデルスゾーンのピアノ曲風。これも確かめておけばよかったが、後の祭り。最後の「Point of View」から、アンコールの「モーニン」(!)まで、ジャンギロフの演奏ときたらスケールの大きさに加え、痛快なくらいにスピーディーな両手の運動性が終始聴き手を圧倒し続けた。「モーニン」ではストライド奏法を挿入するなど、ジャズのさまざまなピアノ奏法にもたけている。ハヴァナ出身のアルフォンソの端正にして精確なドラミングも秀逸。天才的な俊英ピアニストの再登場を思い切り堪能した。

 

黒沼+ユストゥスの師弟共演が実現 「千の音色でつなぐ絆」

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いったんジャズのパートを閉じて、クラシックと邦楽で遊んでみたい。
現代メキシコの優れたヴァイオリン奏者、アドリアン・ユストゥスの日本公演で、本当に久し振りに黒沼ユリ子の演奏に接して感慨深かった。ハンガリー系のメキシコのヴァイオリン奏者ユストゥスは黒沼ユリ子が1980年にメキシコ市で開校したアカデミア・ユリコ・クロヌマに学んだいわば彼女の秘蔵子ともいえる人で、今日ではメキシコを代表するヴァイオリン奏者。日本ではこれといった格別な注目を集めたわけではないが、情熱をほとばしらせた奔放なナマ演奏を初めて聴いて、ロマ音楽(かつてのジプシー音楽)に通じる一種の快感をおぼえた。日本のクラシック・ファンが眉をひそめそうな奔放ぶりを発揮したりする。その意味ではラヴェルの「ツィガーヌ」や、後半のレオナルド・ベラスケス「序奏と舞曲」、サンサーンス「ハバネラ」、ヴィニアフスキー「スケルツォ・タランテラ」といった規模の小さい作品の方が面白く聴けた。
黒沼が登場したのは第3部とでもいうべき第2部の後半。注目を惹いたのはヴァイオリン・ドクターとして世界的にも著名な中澤宗幸氏が制作した楽器を介して両者のいわば師弟の共演が実現したことだ。すでに本誌JazzTokyoの先月号で紹介されているので簡略にするが、プログラムには東日本大震災の被害者支援のためのプロジェクト「千の音色でつなぐ絆」とある。かいつまんでいえば、震災で亡くなった方の魂を鎮め、被災者を励ます有志の善意を受け、中澤氏が被災地の流木素材でヴァイオリンを製作。プロジェクトに共鳴した両者がこのヴァイオリンを使って演奏したというものだ。曲は、「3つの二重奏曲」(ショスタコーヴィチ)と「ナヴァラ」(サンサーンス)。黒沼ユリ子が受け持ったのは第2ヴァイオリンだが、音の表情のこまやかさや演奏する喜びが横溢しており、第1ヴァイオリンのユストゥスの影が薄くなったようにすら感じられるほど彼女の喜びの波長が聴く者の琴線を振るわせる。とても70歳を超えた人とは思えない色つやのいい響き。流木で製作されたヴァイオリンの響きからは天使の翼が見えるようだった。黒沼の自若さは彼女が単に演奏家というにとどまらず、メキシコでの演奏家を超えたさまざまな活動(メキシコの子供たちのために日本の関係者と連携しあった楽器援助活動など)を通して日本とメキシコの架け橋となりながら心身の健康を獲得しているからだろう。

 

ロシア楽派の伝統を感じさせた デニス・コジュヒン

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ジャンギロフの演奏評で触れた20世紀におけるロシアの偉大なピアノ系譜の凄さを、デニス・コジュヒンの演奏(2月1日、東京オペラシティ)にも見出した。今回はオール・ショパンのプログラムを引っさげてのリサイタル。ソナタ第2番を皮切りに、24の前奏曲、締めくくりはソナタ第3番。前奏曲も全24曲だから、特にショパン愛好家には垂涎ものといえるほどの贅沢な内容。かなりの力技が要求されるはずのこのラインアップで、この若きロシアのピアニストはしかし、最後の第3ソナタを弾き終えてもケロリとしてつかれた素振りなどまったく見せず、何事もなかったかのようにバッハの「プレリュード」(ジロット編)など2曲のアンコールまで、まさに変わらぬ颯爽とした弾きっぷり。風のように現れ、何事もなかったかのように演奏を終えて、風のように去っていった。しかしこうして思い出しても、演奏はドラマティックで、一見機械的に見える指さばきの中に見せる、舞台の何人かの登場人物が会話するとおぼしき激しい強弱の音使いが印象的だった。その濃淡が極めて鮮明な強弱、特に強烈な打鍵はエミール・ギレリスを思わせるロシア楽派の伝統を感じさせるものだった。60年代初頭だったかリヒテルが初めて米国へ行ったときに吹き込んだバッハを、初めて耳にしたときの驚きを思い出した。ショパンよりもむしろ彼のプロコフィエフが聴きたいと思ったが、そういえばプロコフィエフを弾いたジャンギロフと、彼は同世代(1歳上の86年生まれ)だ。

 

邦楽での二つの出来事~『幸魂奇魂~さきみたまくしみたま』と「春迎え~伝統芸能見本市」

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とりわけ近年、伝統芸能という文字をよく目にするようになった。江戸文化への関心が高まってきたことと表裏一体の現象かもしれない。関心が集まっているそんなさ中に、二つの出来事があった。1つは、藤舎貴生の『幸魂奇魂~さきみたまくしみたま』(日本伝統文化振興財団/ビクター)が今年のレコード大賞で企画賞を受賞したこと。これは思わぬ朗報だった。「古事記」からの「八俣の大蛇」など9話をもとに松本隆が作詞し、藤舎貴生が曲をつけた。市川染五郎らの朗読をはじめ、今藤政太郎、清元美寿太夫、山本邦山ら邦楽界の大御所を集めた豪華な顔ぶれもさることながら、藤舎を軸にした乾坤一擲ともいいたい聴きごたえ充分の音楽的成果をこの場を借りて称えたい。
yuh-54- (7)もうひとつは、日本舞踊、文楽、舞楽、大田楽を一堂に集めた「春迎え~伝統芸能見本市」と銘打ったコンサート(2月6日、東京芸術劇場)。わが国の誇る芸能を単に4つ並べただけではない。日本列島のあちこちに点在し、今なお生き続ける芸能を色々なスペースを使って紹介したという点では、江戸時代の日本情緒を楽しめる稀有な機会となった。たとえば、木遣り、新内流し、神楽舞、太神楽などがロビーや場外の空いたスペースを利用して提供され、人々の大きな関心を集めた。江戸消防記念隊による木遣りや新ばし芸者衆の応援を得た道行(みちゆき)など、まず普段は滅多に触れることができない日本独特の様式や歌唱法を興味深く味わうことができた点など、この企画を実現させたスタッフや関係者の労を称えたい。私にとっては長唄をバックに花柳美輝風が舞った寛政時代以来の日本舞踊「手習子」(てならいこ)を、今日珍しい完全版で鑑賞できたことが嬉しかった。一度途絶えながら現代演劇として蘇生され、数年前には文化庁芸術祭賞を受賞した大田楽が、野村万蔵らによって演じられた舞台など、収穫と見どころの実に多いイヴェント。細かな注文はあるがまたの機会にする。それよりもぜひ、今後も続けて催して欲しい。関係者の労をねぎらうとともに要望しておきたいと思う。

 

印象深かったジャズ演奏を2つ~ロバータ・ガンバリーニと小曽根 真

最後は、ジャズに戻って印象深かった演奏を2つ。yuh-54- (8)
まず、ブルーノートに再登場したロバータ・ガンバリーニ(3月4日)。意表を突くかのようにアカペラで、しかもヴァースから名曲「スターダスト」を1コーラス。客席が静まり返った。うまい。とにかく文句を付けようもないくらいうまい。だが、4、5曲感心しながら聴いているうちに耳に疲れをおぼえるのに気がついた。うますぎるといえば、決して手放しで誉め称えたことにはなるまい。得意の「明るい表通りで」におけるソニー・スティットの歴史的ソロのヴォーカリーズなど、他の歌手は太刀打ちできない歌唱の数々。スキャットも申し分ない。何が不満かと問われると答えに窮するが、サラ・ヴォーンやカーメン・マクレーを聴きたくなった。これが私の目下の答え。彼女の能力を思えばもったいないが、彼女ならそのうち出口を見つけるだろう。

yuh-54- (9) 次はピアノ・ソロ。チューチョ・ヴァルデス(2月27日、丸の内「コットン・クラブ」)の、天馬空を往くがごとき超絶的フィンガリングに、いつものように圧倒された。残念だったのは期待したキューバの曲がミゲル・マタモロスの「ソン・デ・ラ・ロマ」など数曲だけだったこと。次回はキューバ色満載のソロを願いたい。それに比較すると、それらすべてを計算して手の内が見えないようにステージを運ぶ小曽根真はクレバーなピアニスト。ステージでも自然な振る舞いができる人だ。ステージ上のピアノ(ヤマハX)に開口一番「マイ・フェイヴァリット・ピアノ!」。いかにも彼らしい。即興で作曲、演奏した4曲で開始したソロ・コンサート(3月8日、東京文化会館小ホール)だ。ホール企画「プラチナ・ソワレ」と題した第5夜のジャズの夕べ。独断で言えば、前半の最後を飾った「Dancing at BPC」と休憩後のオープニング曲R・ブライアントの「クバーノ・チャント」が聴きものだった。特に前者での、超急速調で「スウィート・ジョージア・ブラウン」の調べを変形させながら追いつ追われつの競走を目の当たりにするような快感をピアノで演じた1曲が圧巻だった。近年はクラシックづいている小曽根の巧まざるジャズ・スピリットには平伏。計算があってもそれを感じさせないのも優れたテクニックだ。BPCとは母校バークリー音大のホールで、作曲家ジェリー・ゴールドスミスの祝賀パーティーで誰もが口ずさめるような曲ばかり演奏して師のゲイリー・バートンに通りいっぺんの言葉しか貰えなかった彼が、これ以上速くは弾けない超高速スピードで演奏した後日の演奏ではバートンから “お前弾けるじゃないか” と認めてもらったというエピソードなど、トークが面白い。話術にもたけているのだ。その滑空するがごとき当意即妙を得た彼の演奏は臨機応変に盛り上げる話術(演奏術)といってもいいだろう。その小曽根真、6月には師のバートンを迎えてデュオ・コンサートを行う。
(2013年3月15日記)

初出:2013年3月31日 JazzTokyo No. 184

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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