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悠々自適 悠雅彦No. 215

Vol.68 | 食べある記 XIV

photos:VOLCAN (古賀恒雄 Tsuneo Koga), EDMAR & GONZALO (佐藤拓央 Takuo Sato), 提供:Blue Note Tokyo

 本音を吐けば、「食べある記」への関心が失せていた。というよりも、質の高い単独演奏会が立て続けに連続して、「食べある記」を書く暇がまったくなかった、と言った方が正しい。とはいえ、ふと気がついたら、もう1年以上も「食べある記」を書いていない。もともと個別にリポートを書く作業を敬遠する気持があった。こちらの方は嘘偽りのない本音だ。それくらい少なくとも私にとっては、ライヴ・リポートを仕上げるエネルギーは1本書き上げると,そのエネルギーが底をついてしまうと思うほどなのだ。けれど、個別にライヴ評を書くことに集中していたこともあって,取り上げ損なった中身の濃い、あるいは味わい深いコンサートがかなりあった。というわけで、平成27年の最後の巻頭文は「食べある記」で締めくくることにしたい。
久しぶりにジャズとジャズ・ヴォーカルから。

(1)高瀬アキ+ルディ・マハール+ニルス・ヴォグラム(12月2日 ドイツ文化会館ホール)
*Photo by 横井一江
(2)フレッド・ハーシュ(11月26日 コットンクラブ)
*写真提供/COTTON CLUB 撮影/米田泰久
(3)イザベル・ラングレン(11月24日 スウェーデン大使館内ホール)
(4)加藤アオイ(11月25日、銀座ヤマハホール)
*Photo by田口久徳

 ベルリン在住のピアニスト、高瀬アキが里帰りの形で12月に演奏することがこのところ恒例化した観がある。新宿ピットインでのセッション5日後、ドイツ文化センターが主催した<ユーロ・ジャズの祭典>と銘打ったジャズ・フェスティヴァルの最終日に登場した高瀬アキは、現代ドイツ屈指のサックス奏者でバスクラでは右に出る者はないと評判のルディ・マハール,2年前にアルバート・マンゲルスドルフ賞を受賞したトロンボーン奏者のニルス・ヴォグラムと、あたかも1年ぶりの日本を謳歌するかのような溌剌とした快演を披露した。マハールやヴォグラムとは別のプロジェクトで共演している間柄ゆえか,気心通じあった淀みない演奏で会場をホットに包み込む。オープニングの「New Blues」から空を切り裂くような鋭いトーンが交差し、弾ける音が勢いよく耳元を刺激する。彼女が愛してやまないエリック・ドルフィーの「17 West」、「245」、「Miss Ann」、あるいはドイツ在住の作家・多和田葉子の詩に高瀬が作曲した数曲など、アンコールを含めて全10曲。マハールの炎が迸るかのようなクラとバスクラの熱いソロ、マンゲルスドルフ得意のダブル・トーンなどの至難な技法のソロで会場を沸かすヴォグラムを逆手にとるかのような、高瀬の気迫が耳元に迫ってくる演奏を堪能したひとときだった。
演奏者が変わるとこんなにも同じピアノが違う音を出すのか。フレッド・ハーシュの演奏はソロということもあって、さすがピアノの詩人と形容されるにふさわしい世界を表出する。2年前だったかに同じコットンクラブで聴いたときより、カルロス・ジョビンの「Picture Black & White」やジョニー・ミッチェルの「Both Sides Now」など毛色の変わった曲を挟み、自身も常より能弁で機嫌のいい演奏を披露した。最終日の演奏ということでホッとした気分が出たのかもしれない。ミッチェルの曲にしても、草むらに隠れて咲く名もない花に語りかけるかのような口調。柔らかい。声高の物言いは一切ない。4曲目からは自作が数曲続く。1ヶ月前に60歳を迎えたばかりのハーシュの流暢な言葉遣い。ピアノが詩を歌うこの流暢さは一味違う。めっぽう心地よいのだ。昔、ガーシュウィンがアーヴィング・バーリンを「ジャズのシューベルト」と称えた賛辞を思い起こさせる。ハーシュ自身の語法と言葉遣いのイントネーションゆえだろう。
お次ぎはジャズ・ヴォーカル。
Spice of Life が日本のジャズ・ヴォーカル・ファンに紹介したイザベラ・ラングレンが最新CDの発売に合わせて初来日し、全国の主だったライヴハウスでその優れた歌唱を披露した。日程を消化した11月24日,赤坂のスウェーデン大使館が関係者を招いて用意したラングレンを聴く一夕を聴いた。カール・バッゲ(p)、ニクラス・ファーンクヴィスト(b)、ダニエル・フレドリクソン(ds)のCD盤同様のトリオに、北欧きってのトランペット奏者ペーター・アスプルンドという優れたバックで「As Long As I Live」を歌って口火を切ったイザベラは、新作『シングス・ハロルド・アーレン』のアーレン作の名曲を次から次へと歌って聴く者を堪能させた。「虹の彼方に」は言うに及ばず、「降っても晴れても」、「Stormy Weather」,「Let’s Fall in Love」等々。思わず聴き入ったのは繊細な歌唱力を要求される「Last Night When We Were Young」。とかくドラマティックに歌いがちなブリッジなどでも情感を押さえてソフトに歌い上げるイザベラのセンスと表現力は通を唸らせるものだった。バッゲのトリオもセンスのいいバッキングでイザベラをバックアップし、アスプルンドのよく歌うトランペット・ソロも花を添えた。
何よりも驚いたのは加藤アオイの『AOI in Concert Vol. 7』。打ち明ければ、当初から相談相手になっていた私本人が実際に驚いたのだ。というのは、彼女は前半で何とクラシックのピアニストとして1曲は「テンペスト」の名で名高いベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番(ニ短調、作品31-2)の全曲。何ともう1曲ある。それがジャズ・ヴァイオリン奏者として頭角を現したマイコとの「スプリング・ソナタ」で、これもベートーヴェン。彼の有名なヴァイオリン・ソナタ第5番 へ長調 作品24である。
後半は辛島文雄(p)、鈴木良雄(b)、大坂昌彦(ds)という極上のピアノ・トリオをバックに、こちらも何と(とあえて書く)故アビー・リンカーンのレパートリーを,ジャズ・シンガーとして歌う。こちらでは一人娘の加藤真由が賛助出演した。
加藤アオイはなぜ今さらクラシックを演奏したのか。京都の有名な市立芸術大学音楽部ピアノ科を彼女は卒業した(ちなみにマイコも同大学の出身)。在学中からジャズにのめり込んだ彼女は授業そっちのけで、彼女にいわせれば大学側の温情で卒業した。それが胸のつかえとなっていた彼女は大学への感謝を、遅まきながらの卒業演奏を決行して応えることにしたのだ。で、結果は?最初の驚きからいえば、分かってはいたものの彼女がこれほど力強く「テンペスト」を弾きこなすとは実は想像もしていなかった。細かいことにこだわって、重箱の隅を突くようなことはしたくない。ン十年も弾いていなかったベートーヴェンを、にわか仕立てのレッスンでここまで仕上げた情熱を讃えることにする。また後半のアビー・リンカーン。ここでも加藤はアビーが61年に吹き込んだキャンディド盤のタイトル曲「Straight Ahead」を歌うという。二重に驚いた。彼女がマックス・ローチと結婚する直前で、ローチの人種差別反対運動に共鳴していた彼女の黒人としての誇りと闘いの意志を託した歌、それが「Straight Ahead」だったからだ。彼女が初来日した73年のツアーで司会をして親しくしたアビーを思い出し、その最も重要な彼女のレパートリーを加藤が後半の主要曲に選んだアオイさんとの縁の不思議さを思った。その他オスカー・ブラウンJrの「マリンディが歌うとき」、「ブルー・モンク」、「ウイスパー・ノット」などで、クルト・ワイルの「My Ship」は弾き語り。特に批評したいとは思わない。彼女がアビーの曲を愛唱していることが分かっただけで胸が熱くなった。もうひとつ、ピアノの辛島文雄がハットをかぶってピアノを弾いたこと。すでに彼自身が公言していることだが、癌を患って薬剤投与による治療を続けているその彼の、後ろを振り向かない姿に同じ病を患った私は言いようのない感動を覚えた。70年代に彼の初リーダー作をプロデュースしたのはほかならぬ私だが,彼の帽子姿に胸打たれる気持で,今や円熟期にある名手ならではの達者なピアノ演奏に聴き入った。回復を衷心から祈る。

ジャズから一転,山田流箏曲と九州系地歌へ。

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(1)山登松和の会(2015年11月29日、紀尾井小ホール)
・秋風曲 ・新ざらし ・長恨歌曲
(2)藤本昭子/地歌 Live at 求道会館(2015年12月5日)

2009年に続く第4回山登松和の会。演奏曲を一瞥した瞬間、ある種の思い入れとともに、今や山田流派の中堅としての山登の意気込みを実感した。実際、山田流箏曲の真価を問われる光崎検校の「秋風曲」での筝演奏といい、「秋風曲」と同じ玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスを題材にとった山田検校の奥の四つ物のひとつ「長恨歌曲」で、会の最後を飾った田中奈央一(筝),千葉真佐輝(三弦)、善養寺恵介(尺八)との変化に富んだアンサンブルの妙を発揮した長尺のドラマといい、山登の思い入れの強さが熱演として滲み出た演奏だった。だが、それ以上に不思議な感銘を得た演奏が亀山香能との「新ざらし」(北沢勾当原曲/深草検校編曲)であった。谷垣内和子氏の解説文には、「高校生の頃聴きに行った亀山効能リサイタルで、中能島欣一師の「新ざらし」の三弦の素晴らしさに度肝を抜かれ」たことが彼を奮い立たせたこと。この「中能島の三弦に真正面から立ち向かっていたのが亀山香能師」だったこと。「彼女との一対一の共演はそのころからの夢」だったことが明かされている。それにしても活火山が爆発するような亀山の,意気軒昂ぶりが手の動きや身体から噴き出す熱気は、目を閉じて聴いていても私の心を激しく揺さぶった。彼女はこの3ヶ月前のリサイタルで、藤本昭子との「御山獅子」や師である中能島欣一の「平調合奏曲」,娘の中彩香能(三弦)と組んでの「海鳴り」(石井由希子)などに、情熱と格調を溌剌と溶け合わせた意気盛んな演奏を披露したのだが、その好調ぶりがさらに勢いよく爆発したのがこの「新ざらし」だったといっても過言ではないような気がする。山登の三弦はやや意識が過剰な感じだったが、しかしまさに丁々発止の風。亀山とのカデンツァの応酬といった合の手での好演が印象的だった。しかし聴きものは何といっても亀山香能の、土壇場の手事における単独ソロ。この場面がもともと三弦が参加しない筝の単独演奏と指定されているかどうかを私は不勉強で知らない。だがいずれにせよ、彼女の気魄の凄まじさは筝の糸が聴く者の琴線と直結しているのではないかと思わせるほど強烈。年齢を超越した演奏の迫力に圧倒されながら会場をあとにした。
人間国宝の故藤井久仁江の愛娘、藤井昭子は結婚して姓が変わった。彼女は母の薫陶を実地に活かしながら<地歌Live>の看板を下ろすことなく精進し続ける。今回は第76回と知って、その大半を聴く機会に恵まれた私にとってもすこぶる感慨深い。
この日は手事物と言えばこの人、松浦検校の「四季の眺」。先の山田検校の「長恨歌曲」と同じく松浦四つ物の1曲に始まり、端唄の「影法師」(幾山検校,北村文子共作)から,後半の「八重衣」と続く。
「四季の眺」ではこのライヴでよく共演する岡村慎太郎の奥方である岡村愛が筝で初共演。それ以上に心地よかったのが久しぶりに聴いた三弦で弾き語りする「影法師」(藤本はこの1週前の11月27日に催された高橋翠秋の『胡弓の栞』でもこの曲を共演した)。このしっとりした情緒とユーモラスな味は京都端唄ならでは。誰に語っている歌かと聴いていくと、最後に自分の影法師に語りかける独白だったと分かって、むしろ心に灯が灯されるようなしっとり感が何ともニクい。母の藤井久仁江が得意にしていた曲で、彼女は色気を出してはダメと教えられたとか。だが、仔細を知らぬ翠秋さんから昭子さんにこれで色気があったらねと言われてムッとしたとも。これも解説は谷垣内和子さん。彼女の丁寧な解説は邦楽に疎い私のような人間にはとても勉強になる。最後の「八重衣」は私が地歌を大好きになった因縁の1曲でもある。むろん石川勾当作曲の有名な手事物だが、最初の長い手事はときに手に汗することがある聴きもの。私が最初に好きになったのはほかでもなく、小さい頃親しんだ百人一首の「衣」の字がつく4つの和歌が歌われていたからだ。この曲はいわば、クラシックの「ツィゴイネルワイゼン」や「ハンガリー狂詩曲」、ジャズなら「A列車で行こう」や「ワン・オ・クロック・ジャンプ」に相当するか。私は「八重衣」と聴いただけで心が躍る。この日の共演は遠藤千晶(筝)と芦垣皋盟(こうめい/尺八)。このライヴに初登場の芦垣は岡村愛同様(第15回)邦楽技能者オーディションの優勝者(第8回)。山本邦山や山口五郎に師事した琴古流奏者。出だしの一句「君がため、春の野に出でて若菜摘む、我が衣手に雪は降りつつ」の最後句は至難な低音。昭子さんが正確にこの低音を発したのには驚いた、というより感嘆した。

締めくくりはクラシック。

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(1)新日本フィルハーモニー交響楽団(11月20日 すみだトリフォニーホール)
(2)ゴーティエ・カプソン&児玉桃(11月27日 東京文化会館小ホール)
(3)エリソ・ヴィルサラーゼ(11月21日 すみだトリフォニーホール)
Photo: (C)西巻 平/すみだトリフォニーホール
(4)ベン・キム・ピアノ・リサイタル(12月1日 浜離宮朝日ホール)
(5)小曽根真とブランフォード・マルサリス(10月24日 東京文化会館大ホール)

 50年代から60年代にかけて華やかな脚光を浴びたピアニスト,レオン・フライシャーが、約17年ぶりに新日本フィルとの共演を果たした演奏会が(1)。60年代半ばに右手の筋失症のためピアノを断念して指揮者への転身を試み、新世紀に入って右手の機能を取り戻してピアノ演奏に復帰したあとも指揮者としての活動を持続させているフライシャーが、この夜も前半でモーツァルトのピアノ協奏曲第12番(イ長調 K. 414 )を弾き振りした休憩後の後半、ラフマニノフの交響曲第2番(ホ短調 op. 27 )で指揮台に立った。ピアノ演奏しか知らない私がフライシャーの指揮に期待したわけではない。ところが演奏が開始されてまもなく、知らず知らず私は彼のタクトが描きだす美の花園に引きずり込まれていった。彼がかくも素晴らしい指揮者であるとは、失礼ながらはなから思っていなかった私は驚いた。いつしか私は身を乗り出すようにして聴いていた。派手な、人目を驚かせる類いのラフマニノフではない。凡庸な指揮者の演奏だと、ラフマニノフのこの曲は退屈極まりない代物としか聴こえないのだが,フライシャーはラフマニノフが書いた緻密な設計を丹念にトレースした上で新日本フィルの各セクションを有機的に束ねながらロマンの香りをたたえた音の花園をつくりあげることに成功したのだ。新日本フィルもフライシャーの意図を汲み、音楽的達成に応える渾身の熱演を展開した。
(2)はデュオの形では初の共演と聞いた。トップ・チェロ奏者として飛躍しつつあるゴーティエ・カプソンと児玉桃のこの2人は初の共演とはいえ、恐らく余程うまが合う間柄と見た。両者ががっぷり四つに組んで音楽的な交感を果たし合いながら丁々発止とプレイし合ったブリテンの「チェロ・ソナタハ長調 op. 65 」。機知に富む輝きを示し合う一方で呼吸のズレが致命傷になりかねないきわどさがなくはない。だが、これもまた特にデュエットならではのスリルを生んで聴く者の心を鼓舞する。全編ピツィカートの第2楽章や無窮動と題された第5楽章など、ブリテンらしい技巧がカプソンのような洗練された人の手にかかると活きいきと映える。デュエットとして一級品だったのはドビュッシーの「チェロ・ソナタニ短調」。溌剌とした音の交感がモネの絵画を彷彿させるような色使いの中にキメの細かさと颯爽とした大胆さがたくまずして同居し合う心地よさは、やはりカプソンと児玉が意気投合し合って生んだ成果といえるだろう。
オープニングはシューマンの「幻想小品集」で、最後はブラームスの「チェロ・ソナタ第1番ホ短調」。カプソンは以外にもドイツロマン派の曲がお好きらしい。
ピアノと言えば、昨年の好評に応える形のエリソ・ヴィルサラーゼの演奏会が聴衆を魅了した、というより聴く者を圧倒した。昨年の残像が残っている中での再演は案の定多くのファンを会場に呼び込んだ。教育者としての名の方が通っていた彼女だが、大家リヒテルが絶賛したと伝えられるだけあって、モーツァルトのピアノ・ソナタ第13番変ロ長調から最後のシューマンの「謝肉祭」など4曲の中では、とりわけリヒテルが賛辞を惜しまなかったというシューマンが印象的だった。この曲は全21曲の弾き分けがききどころ。曲によってはスピーディーに、ときに無邪気な表情で、ゆったりした曲では情感豊かに。心地よく堪能した。彼女の「クライスレリアーナ」や「交響的練習曲」が聴きたくなった。いささかびっくりしたのが2曲目の「熱情」。ベートーヴェンの傑作ピアノ・ソナタ(第23番へ短調作品57)だ。昔、大相撲で東富士という横綱の寄り身によく使われた「怒濤の」という形容詞が、彼女の演奏を聴いた瞬間、何故か脳裏に思い浮かんだ。鍵盤の押さえ方もあたかも横綱の踏む四股のように,がっしりとして力強い。次の「トルコ行進曲」(モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番イ長調)の爽やかさと、まさに好対照の弾きぶり。それにしてもグルジア(現ジョージア)出の彼女の老いて?ますます盛んな演奏には目をみはらざるを得ない。
米国生まれの韓国系ピアニスト、ベン・キムの一昨年に続くリサイタル。こちらはヴィルサラーゼとは対照的にヤナーチェクで開始し、ジェフスキーの「夢」からスクリャービンのピアノ・ソナタ第5番とドビュッシーの「喜びの島」、休憩後のブラームスのピアノ・ソナタ第3番へ短調。30歳を超えたばかりの若々しさが匂う。終わって振り返ってみたとき、なぜか印象深く心に残った演奏が、彼が唯一スコアを譜面台に置き、みずから譜めくりしながら演奏したヤナーチェクだった。といって他の演奏がダメだったというわけではない。短いジェフスキーとドビュッシーを挟んで演奏されたスクリャービンのソナタが力強い演奏で光った。神秘和音を案出して独自の音宇宙に入ってゆく時代の作品ではなく、その直前の作品を選んだキムの選択を私は支持する。最後のブラームスは意気込みもさることながらスケール感が強烈だった。やや情熱に任せて畳み掛け過ぎのところもあるが,若い頃に書いたブラームスの心情を写し取ったかのように情熱の限りを打鍵に託した演奏として聴く限り、納得できる演奏だった。8年前にミュンヘン国際コンクールで優勝した才能が開花してきたといってよいだろう。
昨年のアルトゥーロ・サンドヴァルとの共演に続き、<Jazz Meets Classic w. 東京都交響楽団>で小曽根真はプロコフィエフの代表的なピアノ協奏曲(第3番ハ長調 op. 26)を弾く一方、ゲストに盟友ブランフォード・マルサリスを迎えた。ブランフォードが演奏したのは米国の作曲家ジョン・アダムスが2年前に、ジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィー、ウェイン・ショーターらジャズの巨大なサックス奏者を念頭において書いたという作品で、「なんでこんな難しい曲を選択したんだろう」と小曽根にこぼしたほどの難曲。3楽章だが休みなしに奏される。至難な曲とブランフォードがこぼしたのは多分第3楽章で、相当な読譜力を要求される、聴いていても難曲と分かる楽章だった。その一方で第2楽章のリリカルな美しさを彼は淡々と演奏した。米国の若い指揮者エドウィン・アウトウォーターの采配が的確で、要所をきちんととらえて全体を活きいきとまとめあげた手腕には拍手を贈りたい。
小曽根真の回想では、プロコフィエフのコンチェルトは自分がクラシック音楽に目覚めたきっかけとなった作品だとか。バークリーを卒業したとき、クラシック音楽から何かヒントが得られないかと模索したときに出会った曲だったそうだ。関心はユーモアを含んだ抒情的な第2楽章の彼の解釈にあった。彼は第1主題のところは噛んで含めるようにアクセントをたっぷり付けて,ほどなくスピードに乗りながら余裕を持って弾き、最後は一気に駆け上った。小曽根はアフタートークで、これは正確には<ジャズ・ミュージシャン・ミーツ・クラシック>だと言ったが、なるほどこれは正論だ。アンコールではむろん小曽根真とブランフォード・マルサリスとのデュエットが実現した。2曲目の「Stardust」。ヴァースから淡々と吹くブランフォードに、コーラスに入ってから小曽根が親しく寄り添う感じが実に好ましかった。
東京都交響楽団は現在屈指の充実ぶりを示している。幕開きに演奏したレナード・バーンスタインのミュージカル『オン・ザ・タウン』の中の「3つのダンス・エピソード」。実は、前日の23日にパスカル・ヴェロ指揮仙台フィルの演奏でこの曲を聴いた。オケのスマートな洗練味では都響の方がかなり上だが、曲の味付けや盛り上げ方でパスカル・ヴェロの情熱迸るタクトが引き出すオーケストラの色彩姓やジャズ的リズムの方に軍配を上げる。この「ダンス・エピソード」はもっと頻繁にプログラムに乗っていい曲だけに、他のオーケストラの演奏でも取り上げて欲しいものだ。(2015年12月11日記)

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悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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