#03 アーカイヴ、未来へ遺していくもの
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Text by Kazue Yokoi 横井一江
去る7月11日、上野ストアハウスで開催された『ソエジマナイト』に出かけた。ストアハウスカンパニーの主宰者木村真悟が2014年7月に亡くなったジャズ評論家、副島輝人の意志を継いで、氏と関わりのある音楽家、アーティストに声をかけて続けているイベントである。これについては、ゲスト・コントリビューター玉井新二が本号にレポートを寄稿しているのでお読みいただきたい。(リンク→)
そもそも『ソエジマナイト』のスタートは、故人が存命中に行った『今、伝説の国際美術展 Documenta 9 を観る』だった。このことからもわかるように、彼の興味はジャズはもちろん、広範な芸術分野に及んでいた。彼が1978年から1988年にかけて8ミリでメールス・ジャズ祭のステージを撮影・記録し、それを各地で自ら上映してきたことは、ファンの間でよく知られているとおり。ドクメンタの開催年は、メールスに行った折、カッセルにも立ち寄り、多くのスライドを撮ってきて、それを映写しながら報告会も行っていたのである。
そのようなわけで、彼が亡くなった後には、LPやCD、本などの資料の他に、自ら撮影した8ミリフイルムやスライドなどが遺された。特に8ミリは、ビデオが普及する90年代以前に、軽量で持ち運びに便利なメディアだったこともあり、海外へ出かける時など、彼はよくそれを持って出かけていたのである。メールスやイタリアのピサ・ジャズ・ミーティング、ロシアなどで撮影した映像の上映会はそれぞれ行っていたので、観た人も少なくはないだろう。CDやLPは市販された商品だから、仮にそのコレクションが散逸しても、その音源自体は失われることはない。レアな盤でも探せばどこかで見つかるだろう。だが、8ミリフイルムの複製はない。一部デジタル化していていたという話も耳にしたが、全てかどうかは不明だ。副島夫人や弟さんがお元気なうちはいいが、後々のことを考えると、資料としても貴重な記録の行方が、故人と親しくさせていただいた私としてはずっと気になっていたのだ。
朗報を耳にしたのは今年になってからである。慶応義塾大学アート・センターに「副島輝人アーカイヴ」を設立するために動いているという話を聞いた。そこには現在、土方巽(身体表現)、瀧口修造(造形・評論)、ノグチ・ルーム(彫刻・建築・環境デザイン)、油井正一(ジャズ評論)の4つのアーカイヴがある。ジャズ評論の油井正一、そして、副島とも交流のあった土方巽のアーカイヴもあるだけに、彼の遺品が収蔵されるのにふさわしい場所だ。資料が研究者などに活用されること、また著作権がらみの問題はクリアしないといけないと思うが、映像の上映会などの催しが行われることを期待したいと思う。
しかし、懸念がないわけではない。もし、それを利用する人が少なかったら…。
今年の4月、「新京都学派」の代表的存在で仏文学者の桑原武夫が亡くなった後、京都市右京中央図書館にあった遺族から寄贈された約1万冊の蔵書が、利用頻度が低かったために重複図書として廃棄されていたことが発覚した。確かに図書館とはいえ限られたスペースの中で維持、管理していくには人的リソースを含めてコストの問題があろう。少し前のツタヤ図書館を巡る報道からも、今や公共図書館は貸本屋化していることを知った。図書館と貸本屋は似て異なるものである。だが、その2つを混同し、図書館の役割を短期的な費用対効果で計っているように受け取れた。このように、公共文化施設の末端にまで、新自由主義的な考え方が浸透していることに末恐ろしいものを感じたのだった。
アーカイヴは図書館とはまた異なり、そこに保管されているのは書籍には限らない様々な文書、画像、映像など資料の類である。その主な利用者も一般市民ではなく、研究者や専門家だ。コンサートやライヴの前に配られて、その後多くが捨て去られるフライヤーもここでは立派な資料で、本人が書き残した日記やメモの類、書簡、本の余白の書き込みも資料的な価値を持つ。一見何の価値もなさそうなものだが、それらは一次資料であり、後々の研究には欠かせないものなのである。作品にはならなかった映像の断片さえも、ある日何かの役に立つかもしれない。だが、それだけに整理・保管は大変なことはよくわかる。場所ばかりとって、何も活用されないのなら維持費の無駄使いと言われても返答に窮せざる得ないだろう。それだけに、「副島アーカイヴ」が日の目を見たら、一般市民へのアピールを含めた開かれたアーカイヴのあり方を考えてほしいところである。
アメリカでは大学図書館などにジャズ関係のアーカイヴがある。ドイツには故ヨアハム・E・ベーレントのコレクションを基に作られたジャズ・インスティテュート・ダルムシュタッドもあり、そこでは様々なイベントも行われている。日本ではどのくらいアーカイヴというものが認識されているのかわからないが、ジャズの研究は音盤のみで出来るものではない。それにまつわる様々な資料も含め、今後の歴史考証なり、文化研究等々のためにも遺していかなければいけないものなのである。なぜなら、それは後々、未来の音楽ファンや社会に還元されていくものだからだ。