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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江No. 278

#26 The 50th Moers Festival 第50回メールス・フェスティヴァル
〜コロナ時代を経たフェスティヴァルのあり方を問う

text by Kazue Yokoi  横井一江
photos: courtesy of moers kultur gmbh

 

50回目という節目の年を迎えたメールス・フェスティヴァル、残念ながら今年もコロナ禍の中での開催となってしまった。ライヴ・ストリーミング+有観客でのコンサートで、ストリーミングも他にない手法によるものだった。幾つか尋ねたいことがあったことから、音楽監督ティム・イスフォートに書面で質問を送ったところ、丁寧な回答が返ってきたので、彼の言葉を引用しながら、今年のメールス・フェスティヴァルについて、フェスティヴァルのあり方について考えるところを書いていきたい。(文中の引用部分はティム・イスフォートの言葉である)。

メールスに観客が戻ってきた!

当初、新型コロナ対策を行った上でコンサートホールと屋外の公園の2箇所の会場で公演を行うことが発表され、4月にはチケットの販売が開始されていた。だが、ドイツに住む友人は訝しげな反応をしながら「多分無理だよ。キャンセルになるだろう」と言う。メールス市のあるノルトライン・ヴェストファーレン州の新型コロナウイルスの感染状況で思わしくない数字が出ていたからである。案の定、いったん有観客での開催は出来ないとのことで、チケットの払い戻しを始める。だが、フェスティヴァルが開催される直前の5月20日になって、4つの屋外コンサート「フライルフト・フリージャズ・コンサート Freeluft Freijazz Koncerts」 を有観客で開催するという発表があった。いったい何があったのか、狐につままれたようだった。いくつかのオプションは当然用意されていたに違いない。どのような経緯があったのだろうか。

ティム・イスフォート(以下、TI): ドイツでパンデミックが発生した最初の年である2020年の経験から、私たちは早い段階で、多くのシナリオを計画することが最善であると判断した。これによって組織の作業量は増えたが、私たちは常に計画されたシナリオのいずれかで、物理的な観客とのコンサートを再び体験できるかもしれないという希望を持っていた。フェスティヴァル・ホールでのコンサートを計画し、大空の下の公園でのコンサートを計画し、複雑な衛生保護のコンセプトに基づく準備をし、屋内外の観客のキャパシティを計算するなど万全の準備をした。州政府が2021年5月13日に新たに発表した新型コロナウィルス感染予防条例で、物理的な観客を伴う音楽祭は禁止されたため、販売された音楽祭のチケットはすべて回収しなければならなくなった。フェスティヴァルの直前だっただけに、私たちは大きな不満を抱いた。しかし、この条例の中に「500人までの観客を対象とした個別の野外コンサート」の開催を認めるという、ある種の矛盾を発見したのである。そこで、私たちはすぐにフェスティヴァルの週末に4つの個別コンサートを申請することにしたが、これは本当に偶然だった。ところが、当局は長い時間をかけて慎重にチェックしたため、許可証を受け取ったのはフェスティヴァルが始まる3日前。それはチケット販売にはあまりに遅く、本当に「コンサートのチケットが再び買えるようになった」ことをファンに信じてもらえないのでは、とさえ感じた。しかし、少なくとも、何ヶ月も “ライブ体験 “ができなかったドイツで最初のフェスティヴァルとして、週末に1,000人近くの人々に本物のコンサートを体験してもらうことができた。比喩的な意味で、私たちはここでも “前衛的”だったと言える。

ドイツでは、州によって違いがあるが、新型コロナウイルス感染者数の7日間指数(直近7日間の人口10万人あたりの新規感染者数)によって、様々な行動制限措置がとられている。緊急事態宣言下でも全て「要請」や「協力」にすぎないユルユルな今の東京とは全く違う。昨年と同様のオンライン中継のみでフェスティヴァルが開催されると誰もが思っていただけに、音楽フェスティヴァルの一環の「個別のコンサート」という位置付けではあるが、規制の隙間を衝いてそれを実現させたことには驚かされた。これは奇跡的なことだったといえる。

 

コロナ下でのフェスティヴァル

とはいえ、今年もフェスティヴァルの大半はライヴ・ストリーミングで行われた。昨年からコロナ禍のために多くのフェスティヴァルが一斉にライヴ・ストリーミングにシフトした。フェスティヴァルに限らず、コンサートがストリーミングで中継されるのは日常的に行われている。これはつまり、世界中どこに居てもインターネット環境さえあれば見ることが可能であり、世界中どこに居ても世界に向けて演奏活動を発信できるということである。昨年のベルリン・ジャズ祭のように、ベルリンとニューヨークでコンサートを行い、それを繋ぐということも可能だ。果たして、国際的なフェスティヴァルを催すことは意味があるのだろうか。その疑問を覆すように、メールス・フェスティヴァルの場合は、愚直にもメールスにミュージシャンが来てもらうということに拘り、そのストリーミングの手法も昨年の経験に基づいた、その延長線上にある全く独自のものだった。昨年既に、ありきたりのインターネット・コンテンツになることを拒否し、そしてまたお祭り気分を出すための工夫がされていたことは、それを観た人ならばわかるだろう。

TI: 私たちは生き生きとしたお祭りの最大の要素である社会的な体験をできる限り維持したいと考えた。そこで、すべてのミュージシャンを招待し、彼らに旅をしてもらい、フェスティヴァル・ホールですべてのコンサートを開催した。インターアクションが実際に起こる瞬間、ライヴ・コンサートは魔法にかけられる。2020年は、ジャーナリストや技術者、そして架空の人物「ミス・ユニメールス 」(ホールにいる唯一の観客として、すべてのメールス ・ファンを代表)だけが物理的に体験できただけだったが、このエネルギーは世界中の多くの観客(バラバラだけれども集まった人たち)に伝わった。それは単なる “テレビ観戦 “とは違う。

そして2021年、私たちは今、さらにもう一つ上のレベルを提供している。物理的なコンサートとライヴ・ストリームに加えて、私たちはバーチャルリアリティへの実験的な進出を試みた。超現実的で芸術的にデザインされた “空間の存在”、”メールスランド Moersland “への音楽の “旅 “だ。パンデミックは、その愚かなモンスターとともに、私たちのアナログでの物理的な空間を一時的に奪った。だから、私たちはクリエイティブになって、失われた空間を他の場所で巧妙に再生しなければならない。「メールス 」はアナログで世界的に注目されるようになったが、50周年はまさに過去と未来の可能性を重ね合わせて議論するのに適した時期なのかもしれない。

photo: Nils Brinkmeier

コンサート会場にはグリーンスクリーンが置かれ、緑色の大きな風船が浮かんでいる。実際にコンサートが行われている最中、クロマティ効果を用いて、そこに様々なビデオクリップを映し出すという試みを行ったのである。屋外の会場では芝生もスクリーンの役目を果たした。その中には故副島輝人制作のメールス映画から切り出したクリップもあった。リアルとバーチャルだけではなく、時空間さえも交錯する空間を創りだしたのである。これらの映像は演奏風景が継続的に映し出されるよりも、視覚的に面白いものだった。また、コンサートの合間の時間帯も有効に活用され(このためにずっとディスプレイの前に座り続ける羽目になったが)、インタビューやディスカッション(なぜかスイミングプールで行われた)の中継やメールスランドへの招待を映していた。ここでもメールスの先取の精神は生かされていたといえる。

このような形態でフェスティヴァルを開催できたのは、2017年にイスフォートが音楽監督になり、グラフィック・アーティスト、デザイナー、コーダー、演劇人、ビジュアル・アーティストなども参加するチーム体制が作られたことが大きいのではないか。まだアナログな開催が可能だった2019年に訪れた時でさえ、ステージデザインなどにそれを強く感じた。2020年からはそれがさらに進化している。

photo: Nils Brinkmeier

TI: 2020年からは、舞台デザイナーのビルギット・アンゲレと一緒に仕事をしているが、彼女は空間、時間、深さについて素晴らしい感覚を持っている。音楽に精通したビジュアル・ディレクターのトビアス・クレーメルと、若手プログラマーのフェリックス・ヘッカーがサポートをしている。チーム内では、グリーンスクリーンの表面を使って、現在とメールス・フェスティバルの歴史とSF的な仮想世界との間の時間的な境界線を曖昧にして、遊び心のある実験的な方法で対処するというアイデアがあった。実際、これはさらに新しい種類の即興演奏だ…。

今年は、まったく異なるパペットとフェスティバルの仲間たちと一緒に仕事をした。アナログ空間では緑色の全身スーツを着て、ストリーミングの中で消える役者たち。彼らはグリーンスクリーンの一部になるが、アナログではそれがわからない。それが明らかになるのは、ストリーミングの中だけだ。バーチャルな “メールスランド “では、自分のアバターを通して、彼らと直接コミュニケーションをとることもできた。他に等身大の人形や巨大な人形も登場する。一例をあげよう。1976年のメールス・フェスティバルでの写真で、抱き合っているカップルの後ろにルノーの「R4」が写っているのを発見したので、この車を布と竹で再現し、2021年のフェスティバルのマスコットにした。だが、1976年のヒッピーカーに恨みを持つ巨大なネズミから逃げ続けなければならなかった。この巨大な人形を作っているのは、シュトゥットガルト出身のステファニー・オーバーホフ。また、ここ数年は、オーストラリアのスナッフ・パペット社と共同で、想像力に富んだユーモラスな方法で、フェスティバルとメールス 市の人々とのつながりを表現している。

Pianomobile (Elvin Brandhi & Joel Grip)
photo: Andre Symann

街中ではどうだったのだろう。今年も小型トラックの荷台にアップライトピアノと演奏者を乗せたピアノモビレが市街地をゆっくりと走っていたようだ。それに同乗してストリートで演奏するミュージシャン達や、大きなパペットもフェスティヴァルホールや公園だけではなく、市街地でも動き回っているのが映し出されていたのである。

『華氏451度』

コンサートの合間、ストリーミングではレイ・ブラッドベリのよく知られたSF『華氏451度』の部分的な朗読も流されていた。音楽家・芸術家だけではなく、舞台芸術周辺で仕事をする人々も含め、コロナ禍で活動がままならなくなった人は多い。『華氏451度』に共感する気持ちは言われなくてもわかる。あえて、ここで取り上げたのはなぜだろう。

TI: Covid-19と当然必要な措置の結果、ドイツでは、より正確に言えば、独立した芸術コミュニティのシーンで、ほぼ3分の1のアーティストが仕事を失ってしまった。これだけでも破滅的なことだ!さらに、完璧な衛生保護対策をしても、ドイツの文化部門、すなわち劇場、美術館、コンサートホール(クラブやフェスティヴァルも含む)は、2020年3月以降、仕事をしたり、リハーサルをしたり、提供したり、組織したりすることが事実上認められず、できなくなっている。

ブラッドベリの『華氏451度』では、昇火士は本を燃やす。芸術、成長した文化、想像力、自由な発想を破壊する。小説の中で、昇火士のガイ・モンタークは、全体主義体制から逃れるために地下の「ブック・ピープル」に加わり、文化的な宝を後世に残す手助けをすることになる。ドイツでは、政府が文化や芸術を強力に支援する体制が整っているので、単純な比較はできない。しかし、私たちの社会における芸術や文化の価値は、特にパンデミックの時代には、しっかりと検討され議論されるべきだ。私は、2020年3月までのようにすべてが正常に戻るとは思っていない。私たちは、これまでのように文化的・社会的な生活が失われつつあることを目の当たりにしている。これこそが、私たちが朗読シリーズによって人々に認識してもらいたいと考えていることであり、あらゆるバックグラウンドを持つ人々が参加してくれていることを非常に嬉しく思っている。

確かに日本以上にドイツでは音楽家・芸術家の活動が制限された。日本に比べて経済的なサポートが厚いとはいえ、危機感も大きいのだろう。だが、日本では連綿とライヴ活動は続いている。国によって状況は違う。地域差は確かにあるが、それぞれに大きな問題を抱えている。『華氏451度』は単純なディストピア小説ではない。コミュニケーションのあり方、メディアが果たしていること、権力というもの、知識人と大衆、様々に考えさせられる要素がそこにある。それゆえに、文化的・社会的な生活が壊されそうになっている今、この本を取りあげ、考えることを促すことには頷かされた。

コロナ禍の中でプログラム制作

新型コロナウイルス感染拡大防止策は人々の動きを止める。それは国際的な催しに大きな影響を与えた。会議はズームになり、公演はオンラインになった。外国からの入国が大きく規制されたことは、フェスティヴァルのプログラミングにも大きな影響を与えたことは想像に難くない。ビザや検疫の問題もある。実際のところはどうだったのか。

TI: ジュビリー・イヤーだったので、素晴らしいコンテンツを作ることに専念した。私たちは、海の怪物「Covid-19」に私たちの喜びや意志を台無しにされたくなかった。誰もパンデミックの発生を予測できないことを知っていたが、不測の事態に縛られたくなかったのである。フェスティヴァルのおよそ2カ月前には、最初のキャンセルに対応しなければならなくなった。私たちはそれに応じ、即興で対応したが、時には新たなブッキングの可能性に恵まれ、プログラムのギャップを埋めていった。アーティストの中には、自国が感染率の高い地域となり、ビザを取得できなかった者もいる。また、ワクチン接種が完了していなかったり、単に旅行するのを怖がったアーティストもいる。すべて正当な理由で、私たちはそれを尊重した。

Courvoisier Trio
photo: Kristina Zalesskaya

ジョン・スコフィールドは、予防接種を受けていたので、かなり早い段階で受け入れてくれた。彼はこの1回のコンサートのためにメールス に来る価値があると言ってくれた。 「14ヶ月ぶりのコンサートです。とても嬉しい!」と。一方、ブラッド・メルドーは、フェスティバルの数日前に、とても自発的に私たちのアイデアを受け入れてくれた。私の記憶では、シルヴィ・クロヴァジェはドラマーのケニー・ヴォレセンのワクチン接種のために、当初のラインナップで参加できないという理由でキャンセルした。しかし、私たちが文化の重要性についてポジティブなサインを出したいと考えていることを知ると、彼女はすぐに考えを変えてくれた。代わりにジョーイ・バロンがドラムスを叩いてくれたのだ。

しかし、結果的に最初に作成したプログラムの3分の1ほどしか残らなかった。残りは入国制限や検疫規制の犠牲になった。そして残念なことに、フェスティヴァル前日に予定していたメールス ・ラボラトリーで行われるはずだった国際的なコラボレーションなど、多くのユニークな特別企画は、結果的に実現しなかった。

では、今年できなかったプログラムは来年に持ち越しということなのだろうか。

Fendika & Han Bennink
photo: Kurt Rade

TI: 今年予定していたことの多くが、来年の開催で実現できることを願っている。2020年以降に考えていたこと、予想とは全く異なる結果となった。私は、毎年終了時にはある種のメールス・エネルギーが発する特別なスペクトルをフェスティバルで毎日、毎回目撃することができたと信じている。世界中で新しく立ち上がってくるジャンルや発展を見せることは、メールス のDNAの一部であるアーティストたちに、頻繁にメールス に立ち寄ってもらい、彼らの創造的な道程を目撃し、メールス のコミュニティを彼らの旅の一部にしてもらうことと同様に、私たちにとって重要なことだ。例えば、ハン・ベニンクは、1972年に初めてメールス ・フェスティバルでコンサートを行ったが、2021年、80歳近くになって、エチオピアの友人たちと一緒にステージに戻ってきた。アンソニー・ブラクストン、ペーター・ブロッツマン、ジョエル・レアンドレ、ローレン・ニュートン、フィル・ミントンなど、多くの人が同じようなストーリーを共有している。

ストリーミングで閲覧

時差7時間の日本に居るため、全てリアルタイムで閲覧することは難しかった。1週間かけて、見逃した分も含め、ひととおり観た。「ラ・テーヌ」というヨーロッパ鉄器時代の遺物が出土した地名をバンド名にした儀式的でミニマルなサウンドを奏でるフランスのグループの演奏でフェスティヴァルは始まったが、実に多彩なグループ、プロジェクトが出演していた。それらに共通するメールス的な要素があるとするならば、どのようなジャンルにせよ従来の音楽概念から一歩踏み出した要素がある、あるいは即興性があることだろうか。

第1回インプロヴァイザー・イン・レジデンスのアンゲリカ・ニーシャーから、今年度のタリバム!まで様々な個性を持つレジデント総勢による「グロース・クライネ・アリー・バンド」は、メールスならではのプロジェクトである。即興演奏には開かれた可能性あることを再認識させてくれた。即興演奏といえば、ジョエル・レアンドレとジェラルド・クリーヴァーのセットのように、これまでないような顔合わせによるセッションの妙もあった。かつては早い時間に別会場で行われていた「スペシャル・プロジェクト」を引き継いだといえる「メールス・セッション」はメールスのある種の伝統を示すもので、このディレクションはヤン・クラーレだ。かつては急に想定外のセッションに出演することになるミュージシャンもしばしばいた。異なるバックグラウンドを持つミュージシャンの顔合わせは、新鮮で時にチャレンジャブルなサウンド、響き、空間を聴かせてくれるものである。

50周年ということで、古くからのファンには懐かしい顔も帰ってきた。第25回のステージで「あと25年続けよう!」と言ったデイヴィッド・マレイや第34回(ブーカルト・ヘネン音楽監督最後の年)のポスターに写真が使われたジャマラディーン・タクーマがそうである。80年代に登場した女性即興演奏家のパイオニア達、ジョエル・レアンドレ、ローレン・ニュートンにマイラ・メルフォードが加わったセッションは即興演奏ならではのハイレベルな交歓を聴かせてくれた。また、デコイ(アレクサンダー・ホーキンス、ジョン・エドワーズ、ハミッド・ドレイク)にジョー・マクフィーが参加したステージなど、レジェンド達の健在ぶりは嬉しかった。

 

現代音楽に近いところでは、故齋藤徹が日本に紹介したフレデリック・ブロンディが設立したONCEIM(Orchestre de Nouvelles Créations, Expérimentations et Improvisations Musicales)が2ステージに登場し、即興的な作品<ラミネール>、そしてエリアーヌ・ラディーク作曲の現代曲<オッカム・オーシャン>を演奏、従来の即興演奏とは異なるサウンド・インプロヴィゼーション色の濃い美学を呈示していた。また、連続音楽/持続奏法という独自のピアノ奏法を駆使した作曲を長年追求している、ウクライナのピアニスト、ルボミール・メルニクも招かれていた。興味深かったのはセイチェント・ヴォカーレとライヴ・エレクトロニクスのリチャード・スコットの共演、17世紀の声楽曲とライヴ・エレクトロニクスの意外な相性を知ることができたのは発見である。またワールド・ミュージックではハン・ベニンクと共演したエチオピアのフェンディカなどが出演していた。

注目すべきプロジェクトとしては、クリス・ピッツィオコスが昨年9月にリハーサルを始めたという新プロジェクト「ストリクトリー・ミッショナリー」がある。このプロジェクトで、ピッツィオコスはEWIも用いており、音楽的にも一歩歩みを進めていることが感じとれた。これまでとは違ったサウンド展開が期待できる。ボストンのギタリスト、ウェンディ・アイゼンバーグの参加もキモだ。

また、十代を対象にした従来の作曲概念に捉われない作曲コンテストの入賞者による「メールスタークラス」、昨年度のコンポーザー・キッズ(現メールスタークラス)の入賞者ユリウス・フォン・ローレンツによる作品をジョー・マクフィーやパット・トーマスを含むバンドで演奏した「ミーティング・ポイント」のような未来へ繋がるステージもあった。

そして、80年代ニューヨークのダウンタウンシーンから出てきて注目されたフレッド・フリスに、アヴァ・メンドゥーザ、オーレン・アンバーチという3人のギタリストによる「バック・トゥ・ベイシック」がフェスティヴァルの最後を締めた。全部で38ステージあったのでとても全ての詳細は書ききれないが、過去から現在、未来を見通すようなメールス精神が十分に反映されたプログラムだったといえる。

50周年特別企画
Pianomobile
Marvin Bohm

メールス・フェスティヴァルは今年50回目を迎えたことで、50歳を迎える来年まで様々な関連企画が予定されている。「50ウィーク、50グリーティング」シリーズもそうだ。

TI: 50周年を記念して送られてきた音楽的、芸術的なビデオのシリーズだ。50周年を記念して、2021年と2022年のフェスティバルの間に、50の音楽的、芸術的な挨拶が私たちに届けられる。それらは、現代の目撃者からの挨拶であったり、古い知人からの挨拶であったり、小さな親密な話であったり、カラフルなコンサートの挨拶であったりする。毎週土曜日の19:72(CET)には、新しいサプライズアイコンがメールス星の周りを回る。私たちと一緒にお祝いしてください。

50の音楽による挨拶に加えて、メールス市の公共スペースではフェスティバルに関するいくつかの展示が行われている。 ”Leichtsinn! 50 Jahre Weltrevolution links des niederen Rheins”(ライン川下流の左岸における世界革命の50年)では、50年のフェスティバルの歴史の中で起こった大きな出来事や小さな出来事が、QRコード付きの大判写真で紹介されている。例えば、1979年にフェスティバル会場で行われたサン・ラーのコンサートの途中で雨が止んだとき……(副島輝人さんも写っています)。また、フェスティバル期間中に日本人カップルの結婚式を執り行ったメールスの僧侶も。公園では、25年間一貫してほとんどすべてのミュージシャンの演奏後の姿を撮影してきたフランク・シューマンの写真を歩きながら見ることができる。(これら展示は、この夏からウェブサイト上にデジタル表示される予定)。

photos: courtesy of moers kultur gmbh

50の音楽による挨拶には、どこかで渋さ知らズも登場するだろう。公園で写真展を行なっているフランク・シューマンは会場バックステージのスタジオ用テントで出演ミュージシャンを撮影していた。『Shibusa Shirazu / Lost Direction』(2002, Moers Music) の表紙写真も彼が撮影したものである。

TI: 同様に、現代の目撃者やアーティストから50のストーリーを集めた、出版されたばかりの本『(Re)Visiting Moers Festival』も、間もなくウェブサイト上でデジタル閲覧できるようになる。また、年間を通してコンサートやイベントが開催される予定だ。そして、2022年の第51回フェスティバルに向けて、メールス はどのようにして「精神的な若さ」を保つかを考えなければならない。

Tim Isfort
photo: Miriam Juschkat

『(Re)Visiting Moers Festival』には、第1回のポスターのドローイングで描かれたペーター・ブロッツマン、アンソニー・ブラクストンを始めとするミュージシャンや様々な人が文章を寄せている。他に3つのコラム、年表、もちろん写真などが掲載されている。私も「副島輝人とメールス・フェスティヴァル」ともう1本短いテキストを寄稿させていただいた。他に、35年ぶりの新作LP / CD『Sven-Åke Johansson, Jan Jelinek / puls-plus-puls』がリリースされた。これらは “moerschandise “ショップで販売されている。日本への発送も可能であるとのこと。
https://moers-festival.de/en/moerchandise

メールス・フェスティヴァル・ウェブサイト
https://moers-festival.de/en

コロナ後の世界へ

パンデミックはまだ続いているが、遅かれ早かれ終息する日が来るだろう。新型コロナウイルスは災いをもたらした。経済的困難に直面したり、精神的に疲弊した人も少なくない。だが、もし立ち止まって、何事かを考えることの大切さに気づいた人がいれば、不幸中の幸いである。

最初にメールス・フェスティヴァルが開催された1972年は、まだ世の中に黒人運動や学生運動の残滓が残っていた。メールスは決してフリージャズ版ウッドストックではない。時代の流れはメールス・フェスティヴァルおよびフリージャズ〜即興音楽〜オルタナティヴな音楽シーンの変遷とシンクロするのだ。フェスティヴァルの過去のプログラミグを眺めるとそれが浮かび上がってくる。偉大なる個性によって音楽史は語られてきた。そういう時代は去りつつあるが、異なった形で新たな才能は生まれてきている。

しかし、そのような中で、今日的なフェスティヴァルのあり方はまだ模索中だ。思考が追いついていなかったのかもしれないが、それについては情報技術の発達と並行してもっと早く再考、どんどん議論されるべきだったのだろう。音楽だけではなく(もちろんそれが中心にあるが)様々なクリエイターとの協働による先駆的手法、ローカルとの繋がりも含めて、フェスティヴァルはどうあるべきかという一例を試行錯誤の中からメールス・フェスティヴァルは我々に発信しているのではないか。それはパンデミック後のフェスティヴァルのあり方にも繋がる。それでこそ前衛だし、即興というのは常に開かれたものだ。メールスのスピリットは受け継がれている。

 


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Moers Festival 2019 ~ Photo Document Part 3
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横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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