2/12 ミルフォード・グレイヴス逝く

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パーカッショニストでエデュケイター、漢方研究家でもあったミルフォード・グレイヴスが2月12日亡くなった。行年79。2018年以来、硬化性心疾患のため闘病中で診断された時は余命6ヶ月を宣告され、未だ治療法の確立されていない難病に自ら研究を続けていたという。
ミルフォードは、1941年8月20日、NY州ブルックリンの生まれ。幼少の頃より打楽器、とくにコンガを学んだ。とくに、インド、アジア、アフリカの音楽に興味を示し、それらの要素を取り入れた独自のソロ演奏を確立した。60年代早々、ジョン・チカイ(sax)、ラズウェル・ラッド(tb)、ルイス・ウォレル(b)と フリージャズ・アンサンブル New York Art Quartet を結成、1964年、ESPに同名のアルバム (ESP DISK 1004) を残している。同年、「ジャズの10月革命」に連帯、ポール・ブレイの『Barrage』(ESP, 1965) を経てジャズ・コンポーザーズ・オーケストラの『Communication』(JCOA, 1966)  、ジュゼッピ・ローガンの『モア』(ESP, 1966)とレコーディングが続きフリージャズ・ドラマーの第一人者としての地位を確立。1968年にはアルバート・アイラーの『Love Cry』(Imoulse) に参加。自らがリーダーを務めるユニットの中には去る2月9日に亡くなったチック・コリアをフィーチャーした Milford Graves Latino Quintetもあった。70年代には各国の文化の研究成果として YARAと称する独自のマーシャル・アーツを編み出している。
1977年に来日、いくつかのコンサートの他、高木元輝(ts)、近藤等則(tp)、阿部薫(as)、土取利行 (ds,perc) とともに自らは ドラムスとパーカッションに加えピアノとヴォイスを駆使、アルバム『メディテーション・アマング・アス』(Kitty/Polydor MKF1021)を制作した。また、2016年9月にも土取利行の招きで来日、「宇宙律動」を共演している。2018年にはドキュメンタリー映画『ミルフォード・グレイブス・フル・マンティス/ Milford Graves Full Mantis』(Cinama Guild、DVDとして入手化)が公開され、日本で撮影された映像も収録されており話題となった。
https://www.cinematoday.jp/news/N0102257
エデュケイターとしては、70年代より39年間にわたってベニントン・カレッジの ブラック・ミュージック部門で教鞭を執りつづけ、死を前に名誉教授の称号を授与された。

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https://jazztokyo.org/news/local/post-7983/

ミルフォード・グレイヴスと田中泯の共演
1981年にミルフォード・グレイブスはデレク・べイリーと共に田中泯の招きで来日「MMD計画」と題して日本各地で公演。また、1988年、1998年のアートキャンプ白州(1988年〜1992年: 白州・夏・フェスティバル)にも招待され、田中泯と共演している。下記映像は1988年に撮影されたもの。

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