JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 49,960 回

Local(国内)News

追悼 志村けん〜スカパラと三味線でCM出演、ソウルへのオマージュ

Text by Hideo Kanno 神野秀雄

志村けんが、新型コロナウイルス(COVID-19)による肺炎のため3月29日に亡くなった。志村の逝去は、新型コロナウイルスの深刻さを含めて日本中に衝撃と悲しみをもたらしたが、音楽ファンでもある志村なら、ブラスバンドのグルーヴとともに明るく見送り、またミュージシャンとしての姿を観ていただきたいと思い、その動画をシェアしたところたいへんな反響をいただいたので、志村の音楽愛も含めここでも紹介させていただく。

志村けんとザ・ドリフターズを巡るタイムラインを確認すると、「ザ・ドリフターズ」は1956年にバンドとして活動を開始し、いかりや長介と加藤茶が1962年加入、1966年にビートルズ来日公演の前座を務める。志村けんは1950年2月20日、東京都東村山市生まれで、1968年に付き人となり、1974年に正式メンバーとなる。当初キーボード担当で後にギターに替わるがバンドとしての出演機会は少ない。日本中を熱狂させた「8時だよ全員集合」は、TBSで1971年〜1985年に放送されていたが、メンバーによって大真面目に必死に練られた緻密な構成に基づきながら、あくまでも観客を前にした生放送のライブパフォーマンスにこだわった点、ビッグバンド「岡本章生とゲイスターズ」による生演奏(歌手約2,800人の伴奏を務めたという)であった点を強調しておきたい。つまり日本人の半数がその瞬間のライブを共にする今はもうあり得ない番組だった。1985年以降は、志村は独自の活動が多くなるが、真面目で緻密な構成はその後も徹底していた。

2016年にキリン「氷結」のCMとして、東京スカパラダイスオーケストラの<Paradise Has No Boarder>が採用され、さまざまなゲストとのコラボレーションが「あたらしくいこう」としてシリーズ化されたが、その第2弾として、上妻宏光の監修による、志村けんとのコラボで、2016年7月12日にWebムービーが公開され、追ってTV CMが放映された。



KEN from EVM/志村けん(三味線), 上妻宏光(三味線)
NARGO(Trumpet), 北原雅彦(Trombone), GAMO(Tenor sax), 谷中敦(Baritone sax)
沖祐市(Keyboards),加藤隆志(Guitar), 川上つよし(Bass), 茂木欣一(Drums), 大森はじめ(Percussion)

【志村けんからCM出演のコメント 2016年7月】
ついに、僕の出番が来ましたね。 これまで密かな趣味として、腕を磨いてきた大好きな三味線を披露する機会を探していました。今回、キリンさんにお声がけいただき、スカパラさんのナウいバンドと僕の渋い三味線による新しくてかっこよくてアイ〜ンなコラボレーションが生まれました。
それぞれ音楽のジャンルが違うから、今回のようなコラボレーションはなかなか見れないし、だからこそ絶対面白い。
話が来たときはすごく嬉しかったです。是非、お楽しみください。惚れちゃや~よ。だっふんだ。

20年近くに亘る三味線の師匠は、塩谷哲とのデュオユニットAGA-SHIOでも知られ、ジャンルを超えて活躍する上妻宏光

【志村けんから上妻宏光への祝辞 2020年2月】
上妻さんソロデビュー20周年おめでとうございます。
僕のラジオに出て頂いたのがキッカケで弟子入りをお願いしてから、16年ぐらいになりますが、時の経つのは早いもんですね。この間に色々な経験をさせてもらいました。ライブに参加したり、CMで共演したり、僕の演奏をCDに収録して頂いたり色々な事がありました。中でもライブに参加させてもらってから、もう10年経つとは考えられないくらい鮮明に出番前の事を覚えています。舞台でもご指導頂き、弟子入りのキッカケでもある「紙の舞」を舞台で弾けるようになり、上妻師匠にはとても感謝しております。
ありがとうございます。今後ともご指導宜しくお願い致します。
この度はソロデビュー20周年誠におめでとうございます。

【上妻宏光からの動画メッセージ〜<紙の舞> 2020年4月10日】

志村は、1980年頃多忙を極める中、音楽雑誌「ジャム」(シンコーミュージック)に毎月アルバムレビューを寄稿していたほどの音楽ファンであったし、その文章は音楽への愛とリスペクトに溢れた真剣なものであった。関心は洋楽に留まらず、演歌までも含め”音楽全般”だったと言う。代表的なコントのいくつかもソウルミュージックにインスパイアされて編み出された。「8時だよ全員集合」の1979〜80年の通称”ひげダンス”の音楽<「ひげ」のテーマ>は、テリー・ペンダーグラスの1979年7月にリリースされたアルバム『Teddy』に収められた<Do Me>のベースラインとリズムパターンを取り入れたものであることはよく知られている。

「ひげ」のテーマ (K.Gamble & L. Huff – Do Me)
志村けんプロデュース、編曲:たかしまあきひこ 演奏:たかしまあきひこ & エレクトリック・シェーバーズ

Do Me – Teddy Pendergrass

また、1980年に始まった「ドリフの早口ことば」のバックミュージックは、1971年のウィルソン・ピケットの<Don’t Knock My Love>を参考にした上で、たかしまあきひこ作曲となっている。子供たちに無意識にラップを持ち込んでいたことは驚きだ。この他、<ドリフのバイのバイのバイ>(1976)などにもソウルミュージックの影響があるとされるが、末尾のリンクをご参照されたい。

ドリフの早口ことば

Wilson Pickett / Don’t Knock My Love

「8時だよ全員集合」とは全く別な話題になるが、番組にレギュラー出演していた「キャンディーズ」も、この頃、スティーヴィー・ワンダーの<Sir Duke>(1976年)をヒットする前に超速攻でカヴァーしていた。デューク・エリントンに捧げた曲であり、藤村美樹の発案と推定されるが、この事象も含めて、洋楽と芸能界の距離感は今以上に近かったのかも知れない。(余談だが、武満徹がデューク・エリントンを生で聴いたわずか8年後だ。ここでのバンド「MMP」は後にブラスロックバンド「スペクトラム」として再結集する。)
動画: Sir Duke (Stevie Wonder) / キャンディーズ & MMP

映画「鉄道員」(ぽっぽや、1999年)を例外として、志村は映画・ドラマの俳優になろうとしなかったが、2020年4月〜9月期のNHK連続テレビ小説「エール」に出演し収録を行っていた。福島県出身で作曲家の古関裕而と、愛知県出身で声楽家の古関金子の夫婦をモデルにした物語で、志村は山田耕筰がモデルとなっている、主人公の尊敬する大作曲家、大山田耕三の役となっており、収録分は放送される予定だ。なお、志村は福島育ちの加藤茶と深く繋がり、また「だいじょうぶだぁ」を兄嫁の実家の福島県喜多方市の言葉から採るなど、福島とは縁がある。

志村の音楽愛と知識とアイデアを持ってすれば、それを語ったり、音楽と関連したプロデュースもできたかも知れないし、それを観たかったとも思うが、音楽のグルーヴから生まれる笑顔を日本中のあらゆる世代に届けたことで十分だったのかも知れない。山下達郎の言葉を借りて締め括りたい。「僕がなんで志村けんさんが好きかと言いますと、あの方は絶対に文化人になろうとしなかったんです。いちコメディアンとしての人生を全うされようと努力されまして、、、僕はそれが尊敬に値すると思いました。」(TOKYO FM『サンデー・ソングブック』2020年4月5日放送)

心よりご冥福をお祈りしたい。

※この追悼記事の後半については、以下の二つの記事を参照させていただいた。前者は2018年に書かれたもので、ウイルスというタイトルを今回あえて改題しなかったという。遺伝子を持ち込んだという意味で的確な表現だと思う。
志村けん 〜日本にファンク・ウィルスをばら撒いた男〜
高橋芳朗の洋楽コラム「追悼 志村けんさん~志村さんが愛したソウルミュージック」 (TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」より、2020年4月3日)

神野秀雄

神野秀雄 Hideo Kanno 福島県出身。東京大学理学系研究科生物化学専攻修士課程修了。保原中学校吹奏楽部でサックスを始め、福島高校ジャズ研から東京大学ジャズ研へ。『キース・ジャレット/マイ・ソング』を中学で聴いて以来のECMファン。Facebookグループ「ECM Fan Group in Japan - Jazz, Classic & Beyond」を主催。ECMファンの情報交換に活用していただければ幸いだ。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください