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BooksNo. 214

#082『日本のジャズは横浜から始まった』

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌


タイトル:
日本のジャズは横浜から始まった
Japanese Jazz Historia
著者:瀬川昌久+柴田浩一
編者:ジャズ喫茶ちぐさ/Chigusa Records
発行者:藤澤智晴
発行所:一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館
初版:2015年11月29日
定価:本体1000円(税別)


『日本のジャズは横浜から始まった』。神戸のジャズ・ファンが目を剥きそうなタイトルである。横浜と神戸は共に港町、外国航路を通じた海外文化の流入窓口でもあり、ジャズについても嚆矢(こうし)を競ってきた歴史がある。しかし、この読本の登場により俄然「横浜説」が有利になった感がある。史実と豊富な文物による検証、これを覆すには「神戸」は相応の覚悟がいることだろう。
しかし、この読本の目的は両市の先陣争いに決着を付けることではもちろんない。ジャズに深く関わってきた瀬川昌久氏と柴田浩一が史実や文物(とくにレコード類)を丁寧に繙(ひもと)いて、戦前から戦後の日本のジャズの歴史を改めて見極めようとするものである。その結果として、「日本のジャズは横浜から始まった」という結論に至るのである。
そもそもこの読本は1946年生まれの柴田が1924年生まれで現役最長老のジャズ評論家瀬川昌久氏(チャーリー・パーカーの生を聴いた唯一の日本人としても知られる)に問う形の5回にわたる連続講義(3回目は瀬川氏が欠席し柴田の単独講義となる)を書き起こしたものである。主催はジャズ喫茶ちぐさ。講義の各テーマは下記の通りである;
1 ジャズが日本に入ってきた頃
2 戦時中の隠れジャズなど
3 服部良一の世界
4 戦後のジャズブームとちぐさの時代
5 ブギの女王・笠置シズ子と渡辺貞夫の帰国以降

第1回講義の冒頭から「日本で最初にジャズ演奏されたのは?」の検証が始まり講義に出席していたら思わず身を乗り出したであろうシーンが始まり、次々に展開していく。事例の紹介に際してしては当時の新聞記事や文献が披露されるだけでなく、現場では音楽も再生され実証も確かである。トリビア的エピソードも随所で披露されご両人の該博な知識には今さらながら驚くが、披露される文献や音源も極めてレアなものが多く、受講した述べ300人のファンがその恩恵に浴したわけである。アメリカでのジャズ・レコードの初録音が1917年、日本は1926年(大正15年)ということで、わずか9年の遅れでしかないが、バンドはアメリカのメンバーが中心。その前年の大正14年には横浜の伊勢佐木町の劇場で同バンドの実演があった、などなど。見逃せないのは、本場アメリカのジャズのエッセンスを次々と歌謡曲に取り込んだ服部良一の功績が高く評価されていること。「服部良一の世界」と服部の作品を歌った「ブギの女王・笠置シズ子」と2度にわたって取り上げられている。
ちなみに、ちぐさは1933年(昭和8年)の開店で日本最古のジャズ喫茶として知られる。瀬川氏とちぐさ=横浜との関わりはオーナーの吉田衛が語るオーラル・ヒストリーを瀬川氏がまとめあげた大部の書『横浜ジャズ物語~ちぐさの50年』以来。現在、日本の次代を担う若手ジャズ・ミュージシャンの発掘を目的とする「ちぐさ賞」の審査委員長を務める。
唯一の無念は、何度か登場する菊地雅章が「菊池」と入力ミスされていること。増刷の折にはぜひ修正されたい。

販売サイト;
http://www.noge-chigusa.jp/通信販売-1/

編集部注:柴田浩一さん(1946年、横浜生まれ。日大法学部卒)は闘病中のところ2020年3月31日に逝去されました。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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