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BooksNo. 249

#093 『藤原清登/僕がジュリアードとバークリーで学んだこと
音楽で生きていくために必要な51のルール

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

書名:『僕がジュリアードとバークリーで学んだこと〜 音楽で生きていくために必要な51のルール』
著者:藤原清登
版元:河出書房新社
初版:2018年10月30日
価格:1550円(税別)

腰巻コピー:
クラシックとジャズ、最高峰の教育を両方受けた著者だからこそ語れる、プロになる考え方と行動。
ジュリアードはマイルス・デイビス、ヨー・ヨー・マら、バークリーはクインシー・ジョーンズ、渡辺貞夫らを輩出!
技術だけでは超一流になれない!!


著者はベテランのジャズ・ベーシストだが、洗足音楽大学ではクラシックを教えるコントラバス奏者という珍しい存在。ジャズとクラシック、両刀使いの根源は著者がジャズをバークリー音大(ボストン)、クラシックをジュリアード音楽院(NY) で学んだことにある(さらに遡れば、東京藝大を受験するためにクラシックの訓練を受けていたことにあるのだが)。ボストンにはバークリー音大とニューイングランド音楽院が近接して存在し、両校に学んだジャズ・ミュージシャンにはトランペットの田村夏樹やピアノの藤井郷子らがいる。彼らはバークリーを出てからニューイングランドに入り直したという。本誌「楽曲解説」で健筆を振るうフルーティストのヒロ・ホンシュクこと本宿宏明は、両校を同時に卒業したという異色の存在。両校が近接していたからこそ可能だった離れ業だ。一時期、「誰々のように(と、人気ミュージシャンの名を挙げ)演奏できるようになりたかったらバークリーへ行け」、「誰々のように演奏したくなかったら(つまり、あくまで自分のオリジナリティにこだわるのなら)ニューイングランドへ行け」とまことしやかに言われていた。バークリーはそれだけミュージシャンとして自立できるだけの技術の修得に重きを置いていたのだろう。藤井郷子によれば、ニューイングランドで付いたポール・ブレイは、「ピアノは練習するな」と言い、「音楽そのもの」や「ミュージシャンシップ」について語り続けたという。そして彼女は「CDはその時点での成果の記録、できる限り成果の記録を残せ」という師の教えを頑なに守り、今年還暦祝いに毎月1作ずつ1年間で12作のCDをリリースした!
さて、本題の藤原清登だが、バークリーでジャズを学び、ジュリアードでクラシックを学んだ(筆者は、ジャズ科PRのため来日した片倉真由子がピアニストを務めるジュリアード・ジャズ・オーケストラを聴いたことがある。ちなみに、片倉は両校でジャズを学んでいる)。ジュリアードではNYフィルの首席コントラバス奏者ジョン・アダム・シェーファー教授に出会う。これが運命の出会いとなり、シェーファー教授が藤原の終生の師となる。教授との師弟関係を通じた学びが著書の骨子でもある。もうひとつの大きな出会いがジャズ・ピアニスト/コンポーザーのホレス・シルヴァーだ。デビューまもない藤原はホレスからジャズ・ミュージシャンとして大きな影響を受ける。短い付き合いだったが存在が大きかった。今でもホレスの曲をよく演奏する藤原を聴く機会がある。ボストンに到着してからNYを後にするまでの約30年間、日々の体験から学んださまざまな事柄。通り過ぎてしまいそうな些細な経験からも著者は学びを得て行く。そこから抽出されたエッセンスが「ルール」として第1楽章、第2楽章、第3楽章にそれぞれ、8、38、5計51個のモチーフとしてまとめられる。そして交響曲をしめくくる第4楽章は藤原の人生の転機の指針となった「恩師の言葉」だ。サブタイトルに「音楽で生きていくために」とあるが、決して「音楽家」を目指す者だけに限られた内容ではない。「ルール」が職業を問わず響く箴言(しんげん)のように味わい深いからだ。語り口はソフトで頭に入り易い。就活中の学生にも薦めたい一冊だ。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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