#95 竹村淳著「反戦歌~戦争に立ち向かった歌たち」

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text by Masahiko Yuh  悠 雅彦

書名:反戦歌~戦争に立ち向かった歌たち
著者:竹村 淳
版元:(株)アルファベータブックス
初版:2018年3月
定価:本体2,000円+税
体裁:A5・232ページ
腰巻コピー:
人間の命と尊厳を護りぬく。そのためにすべてを破壊する戦争歌でノーを!!
国境と時代を越えて、脈々と歌い継がれてきた世界の反戦歌その知られざる歴史とエピソードを綴る!!

●ルノー王の哀歌(フランス)
●ああ カルメーラ!(スペイン)
●もずが枯木で(日本)
●ジョニー、あなただとわからなかった(あのジョニーはもういない)(イギリス)=悲惨な戦争(アメリカ)
●クラオンヌの歌(フランス)
●シレンシオ(アルゼンチン)
●艦砲ぬ喰ぇー残さー(日本)
●さとうきび畑(日本)
●一本の鉛筆(日本)
●ヒロシマの鳥の声(ルーマニア+ アルゼンチン)
●死んだ女の子(トルコ+ アメリカ)
●兵隊が戦争に行くとき(フランス)
●脱走兵(フランス+ アメリカ)
●自殺は苦痛を消してくれる(もしもあの世に行けたなら)(アメリカ)
●戦争の親玉(アメリカ)
●坊や大きくならないで( ベトナム)
●腰まで泥まみれ(アメリカ)
●平和に生きる権利(チリ)
●グッドナイト・サイゴン~英雄達の鎮魂歌(アメリカ)
●兵士のミロンガ(アルゼンチン)
●私の息子がほしいなら(アルゼンチン)
●想像してみて(イラン)
●平和の歌(イスラエル+ ブラジル)


すべてを破壊する戦争に歌でノーを‼️

これは本書の帯に白と黄の太い字で書かれた著者の願い、いや願いというより決意というべきだろう。2019年3月31日、近現代において初めて戦争を経験しない平成という時代が終わり、翌4月1日に平成に代わる新しい元号が発表されたとき、多くの人は新しい元号で蓋を開ける新時代も戦争のない時代であって欲しいと願ったに違いない。令和という新元号の時代のもとで戦争のない時代を迎える決意を誰もが誓ったとすれば、この『反戦歌~戦争に立ち向かった歌たち』が彼らの座右に置くに最もふさわしい1冊であることは間違いない。

それにしても、もし私が作者名を伏せたままこの著作を読んだとしたら、作者が竹村淳氏であると言い当てることは恐らくできなかったろう。その訳はこうだ。彼は私の古い友人で、連れ立ってキューバ旅行に行ったこともあれば、中南米ラテン音楽について分からないことがあれば彼の教えを仰ぐこともしばしばで、少なくともラテン音楽に関しては友人とはいえ私の師匠格といって何らおかしくない存在だった。おまけに歳も同じで、大学も同じ。彼がテイクオフ社を設立する前からの付き合いで、しかも彼が書いた『ラテン音楽パラダイス』などの著作のいくつかもむろん読んでいたからだ。ところが、本書は私が過去に読んだ氏の著作のどれともまったく違う。意気込みも違えば、著作に取り掛かった心構えもすべて違うのだ。本書で彼が取り上げている「もずが枯木で」、「さとうきび畑」、「一本の鉛筆」といった日本から生まれた歌(反戦歌)について、たとえほんの僅かでも彼が歌の背後に隠された真情に触れて悲憤慷慨した場面に出くわしたこととて一度もない。その彼がまさにラテン曲の解説などとは次元のまったく違う、まさしく自己の生き方そのものをペンに託して書き上げたのがこの労作だ。着想からおよそ2年半を要して書き上げたというだけあって、全23曲に及ぶ反戦歌、すなわち争いや憎しみ合いのない平和な時代には決して生まれ得なかった作品の数々に触れて、私はときに居ずまいを正さなければならなかった。時には悲痛この上ない23曲を前にして、彼がやり場のない怒りを爆発させ、涙を拭うこともせずに死んだ罪なき人々に代わって戦争を告発し、戦争の犠牲になった無数の人々の魂を慰めようと血を吐くような思いを吐露している、こんな竹村淳を私はかつて見たことがない。彼は序文のなかで、「戦争がどんなに忌まわしい行為であり、人類にとり最悪の敵であるかを知らしめるべく世界中の反戦歌を書こうと思った」と述べ、さらに憲法第9条を守り抜いて、子孫が平和な日々を送れるように闘うことが自分の使命だと痛感したことが本書を書く動機になったと述べている。それを鮮やかに裏書きするのが、ここでの全23曲にこめた彼の思いの強さであり、深さであり、各作品についての微に入り細にわたる入念な仕上げ振りだ。美空ひばりが歌ったことはおろか、松山善三の詩に佐藤勝が作曲した歌(反戦歌)であるともむろん知らなかった1曲に、「一本の鉛筆」という作品がある。

一本の鉛筆があれば 私は あなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く
一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く

こんな素敵な歌があるとは私は知らなかった。ましてや美空ひばりが歌っているとはまったく知らなかった。彼女は3人娘(初代)として大人気を博した江利チエミや雪村いずみ同様、私たちと同じ昭和12年の生まれで、この1曲を優れた反戦歌として取り上げた竹村氏の見識と戦争そのものを告発して止まぬ思いの激しさが一字一行に横溢し、ときに爆発するのだ。その激しさは、翻って反戦の旗を掲げて一歩も後へ引かぬ彼の使命感そのものを示していることを私は疑わない。彼は言う。「反戦歌を唄うのなら今この時だ!それも本気で歌わなければならない時なのだ」、と。つくづく思うが、彼がこの著作を書こうと決心して世界中の反戦歌をいったい何曲聴いたことか。恐らくこの1冊に収録した23曲の何倍、何十倍もの反戦歌に触れたはずだ。その中のたった23曲だから、いささか大袈裟に言えば、彼の思いが23通りに大爆発した23曲だといって決して間違いではないだろう。ボブ・ディランの「Masters of War(戦争の親玉)」、ボリス・ヴィアンの「脱走兵」、ヴィクトル・ハラの「平和に生きる権利」、ビリー・ジョエルの「グッドナイト・サイゴン~英雄達の鎮魂歌」、フランシス・ルマルクの「兵隊が戦争に行くとき」、ルーマニアの世界的詩人エウジェン・ゼベレアヌ作詞(作曲はオラシオ・グァラニ)の「ヒロシマの鳥の声」、ピーター・ヤーロウの「(The Cruel War(悲惨な戦争)」、寺島尚彦詩曲「サトウキビ畑」、サトウ・ハチローの詩に徳富繁が作曲した「もずが枯木で」等々。どれも感動的。詩を一読しただけで胸熱くなり、熱いものが頬を伝ってくる歌もある。

嬉しいのは、すべての曲の最後に<お勧め YouTube>というコーナーを設けて YouTubeで現在聴ける全23曲の主だった情報を提供してくれていることだ。これはありがたい。とはいえ、そのために彼がどれほど時間を割いてアップロードされている興味深くも、時には傑出した歌声や演奏を見つけ出したかを想像すると、いくら感謝しても感謝しきれないくらいだ。

中にはお目当のCDが入手困難で、YouTube で聴く以外に目下の方法がない「クラオンヌの歌」(フランス)のような例の場合はなおさらだ。先に例示した「もずが枯木で」も彼が推奨する石原裕次郎のヴァージョンがアップロードされていない。そこで次善の策としてフォークの岡林信康の歌を勧めている。これらは竹村氏がYouTube の選出に相当難儀した1例としてあげておいた。他にも沖縄の比嘉恒敏(ひがこうびん)が作ったOkinawa Requiem「艦砲ぬ喰ぇ-残さー」のように、4人の沖縄の民謡姉妹でいご娘の歌で知られたこの曲にアプローチしようと思ったら、<デイゴ娘/DEIGO艦砲ぬ喰ぇー残さー/Okinawa Requiem>でアクセスすれば堪能できる。最後の歌詞は凄絶ですらある。

我が親喰らったあの戦/我が島喰らったあの艦砲
生まれ変わったとて忘れるものか/誰があのざまを始めた
恨んで悔やんでまだ足りない/子孫末代遺言しよう

同胞のひとりとして、ひたすら頭を下げるしかない。沖縄の人々の計り知れない思いが、現在の名護市辺野古や普天間の悲劇を貫いているのだ。日本の政府はいったいいつまで沖縄の人々に犠牲を強いるつもりなのか……

予定の字数もとっくに尽きた。5月から始まる令和の時代が断じて戦(いくさ)と無縁の平和な御代であることを祈りつつペンを置く。座右に置いて、挿入された反戦歌の歌詞にぜひ繰り返し触れていただきたい。(2019年4月4日)

悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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