#100「ECM catalog増補改訂版 ~The 50th Anniversary」

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text by Yoshiaki onnyk Kinno 金野onnyk吉晃

書名:ECM catalog 増補改訂版~The 50th Anniversary
執筆者:相原 穰/原田正夫/堀内宏公/細田成嗣/今村健一/稲岡邦彌/神野秀雄/大村幸則/岡島豊樹/須藤伸義/多田雅範/淡中隆史/八木皓平/横井一江/吉本秀純/悠 雅彦
編著者:稲岡邦彌
体裁:A5並製(210×148mm×34mm)940ページ(カラー260ページ・モノクロ680ページ)
発行・発売:東京キララ社
初版:2019年10月31日
定価:5000円+税
腰巻コピー:ECM 50年の軌跡  今世紀最後の完全カタログ


「初めに音があった」〜”Vanishing Point of  Auditory, Beyond the  Vision”

ECMの半世紀に亘る歴史の第一歩を記したマル・ウォルドロンのアルバム・タイトルは、「フリー・アット・ラスト」。この言葉は、マーチン・ルーサー・キング牧師の演説の一節であり、彼の墓標に刻まれている。マルが音楽産業の桎梏から逃れた実感と、追悼の意をこめたのは十分に分かる。この録音の前年、キング牧師は、予期していたかのように肉体という牢獄から「遂に自由に」なった。自由は死の別名であった。
60年代後半、闘争の音楽、音楽による闘争であった「フリージャズ」は、同時に「娯楽商品からの解放、搾取される音楽」としての「ジャズの死」であったのかもしれない。そして1970年11月25日、フリージャズもまた死んだ。

フリージャズは、アフロアメリカンの情況と呼応していた。しかし大西洋の対岸ではまた別の過酷な情況があった。それは東西冷戦と呼ばれた。欧州ジャズメンの、フリージャズへの共鳴はフリーミュージックとして生まれた。それをポスト・フリーと呼んでも構わない。

二千年前、ナザレの男イエスが語った言葉はイスラエルの地ではなく、ローマ帝国全土に伝わった。
召命された男パウロが、イエスの教えをポスト・ユダヤ教にした。
そして教えは欧州全土、ロシアにまで広がり、さらに英国、北米、南米へ。砂漠と山脈を越え、アジア全域へと伝えられた。

ジャズは、アフロアメリカンの音楽に留まらず、欧州へと広がって行った。
大西洋を越えたジャズの波が欧州を覆い尽くし、とあるベーシストが召命された。
彼は問うた。今、ジャズはどこにあるか。アフロアメリカンの音楽をなぞることではない。ジャズは他の何処でもなく、彼の裡に存在した。
この本、ECM catalogの扉をめくり、第二頁、三頁を開く。其処にこの求道者の姿を見るだろう。彼は祈るように手を合わせている。

1969年、マンフレート・アイヒャーは、西ドイツはミュンヘンで自らのレーベルECM、即ちEdition for Contemporary Musicを設立した。
当時、コルトレーン、アイラーといった巨星が相次いで往き、フリージャズの活力は収束に向かい、一方で電気的増幅とロックリズムに影響されたジャズロック、フュージョン、クロスオーヴァーが台頭してきた。
花開いたヒッピー文化がウッドストックを頂点として萎みだした。その国土と人民を苛んだベトナム内戦は、皮膚の色を問わず米国の若者も蝕んだ。東西冷戦と核戦争の恐怖は、世界の一般大衆の心を荒ませた。世界中どこであれ死を逃れる場所はないという不安は、現在の無差別テロとは違う意味で蔓延していた。

混迷と転換の時代、そしてまさに東西分断という現状のドイツに、このレーベルECMは生まれた。
同時期に活発化したマイナーレーベルには、FMPやICPといったフリーミュージックの牙城があった。彼等はフリージャズの象徴でもあったESPやBYGといったアフロアメリカンを核とした表現ではなく、欧州人の前衛意識に基づいた音楽を生み出した。
何よりもそうしたレーベルの意義は、ミュージシャン自身が運営する事で、まさに自主的〜インデペンデントな組織足り得たのである。
アイヒャーもまた、ベルリンでアカデミックな基礎を培い、フリージャズ、フリーミュージックの洗礼を受け、ペーター・ブレッツマンらと共闘もしてきた(ブレッツマンのセクステット/カルテットによる1969年録音『NIPPLES』のプロデュースと監修がある)。しかし、そうした「武闘派」とは一線を画すものがあった。その美学を結晶化させたのが、まさにECMという小さな小さな自主レーベルだった。

国家は樹立した者の、教団は天命を受けた教祖の信念で創始されるが、その純粋さが失われるのは速い。そして分派と粛清が始まる。自主レーベルもそんな例は多々ある。成長してメジャーに売却というのはブルーノートやヴァージンなどをすぐ思い出せる。
しかしアイヒャーは類い希なる指導者だった。既に半世紀を経て創立当初の意志を貫いている。彼の美学と信念は強靭だ。
かつてフリージャズを「それは禁止の禁止だ!」と叫んだ者たちは数多いた。しかし、今歴史的にフリージャズを見直せば、「禁止の禁止」に様式を与えようともがき、あがく葛藤の痕跡を見る。いやしかし、それは極めて重要で必要な過程だった。予言者やシャーマンの再生は死から始まるのだから。
共産主義は達成すべき目標ではなく、絶えざる運動であると「ドイツ・イデオロギー」が教えるように、フリージャズは「自由の天地」に達することではなく「解放への意志」としてのみ存在し得た。

ECMは、フリージャズの怒濤を越えた者達が一時の安寧を求め、フリー・インプロヴァイズド・ミュージックに希望を見た覚者達が旅立つ「ポルト・ノーヴォ(ニュー・ポート)」となった。それは初期ECMのリリースの顔ぶれを見れば分かる事だ。
ブラック・ミュージックの伝統によって、ジャズからの解放を追求して来たアート・アンサンブル・オブ・シカゴの記念碑的21枚組が、他のどこでもなくECMで企画されたことでも分かろう。いやECMにしかできなかったことだ。

この本を前にして思春期への郷愁と、ECM背教者としての悔恨の入り交じった感慨に襲われた。それもこれもこのレーベルのあまりにも美しいジャケットの数々に魅了されたからだった。あたかも写真集か画集を眺めるような気分である。もっと図版が大きければと思うのは身勝手だが、それではこの版、この値段には収まらないだろう。
余談だが、後にピーター・サヴィルのデザインしたジャケットが、このECMの美しさを思い出させてくれた。

そして落ち着いてからギャラリーを見直す。するとある種の傾向に気づく。
バランスの良いロゴや、それのみで構成されたシンプルなジャケットについては誰もが知る所だ。
実際アルヴォ・ペルトの音楽に、凡庸なレーベルならば徒に宗教的な画像でも付けるだろうが、そんな野暮は無い。悲劇とメランコリーの人、カルロ・ジェズアルドの音楽に、静謐な写真を寄り添わせる。音楽と画像が補完して一体となるのか、意外性によって異化効果を生むのか。
大体にして多くの人がECMによってこのような特異な作曲家達を知ったのではないか。あるいはキース・ジャレットが弾いたからこそ、グルジェフという存在を。
我々は、こんな音楽を書いた人はどのような風貌なのだろうかと想像する。それを現実の肖像が裏切ってしまうかもしれない。だからなのか、ECMのジャケットの人物は後ろ姿が多い。そこに表情は伺い知れない。だからこそ想像はかきたてられる。一切性的な刺激の要素が無いのも特徴だ。だからといって禁欲的ではない。ジスモンチのサウンドに、眠っていた細胞が踊りだす。
また、よく見られるのは、画面を上下の二分割にしたデザイン。それは否応無くマーク・ロスコの絵画を思い出させる。水平線だろうか、地平線だろうか。画面の中央に視線を吸い込む消失点がある。
一体、普段我々は、そんなに水平線や地平線を見る事があるだろうか。海岸地帯や広大な土地を眼前に暮らしている人を別にして。ECMに何かを求める人々は決してそんな境遇だけではない。
人々はどんな環境で、どんな思いを抱きながらECMの音楽を聴いているのだろうか。空の色や雲の形を楽しむ余裕があるだろうか。ECMのジャケット写真は、我々に遠方を眺めなさいと促す。
我々は聴くのを止め、周囲を眺める。決して豊かな自然や目を見張る光景はない。空は切り取られたように四角い。壁のシミ、街路灯の滲んだ光、タイヤの跡、誰かの住んでいる窓。そうした日常が新鮮な画像になる。地平線は見えなくても、街路の端から、丘の向こうから音楽が聞こえてくる。
それがまた別のECMのジャケットだ。

風景は人間が作るものだと誰かが言っていたのを思い出す。
そしてずっとそこに、誰かが植えた樹木があった。ECMの木々の多くは葉が落ちている。樹の骨格だけがくっきりとシルエットになって見えている。
我々は木々の生活の半分しか見ていない。樹は、その根を地中に延ばしている分だけ、大気中に枝を延ばす。枝は風と共に歌う。アイオリアン・ハープのように。
あるいは黄昏時のように輪郭の曖昧な画像群。カタログの後半、モノクロ写真が多くなる。冷ややかに沈んだ色調。寂寥、という言葉が不意に浮かぶ。それらの風景は、人が去っていった後のようだ。喩えて言えば松本竣介の絵画。

数多のジャケットを見、またECMの音楽を聴いていると、ふと思う。
「音は光より速く、記憶より遅いのではないか」と。
しかし何よりも速いのは想像力だろう。
ECMは想像力のこのうえない触媒である。ECMの音楽は空と海の間、消失点から響いてくる。
「フリー・アット・ラスト」。我々は、聴く自由によって解放される。

金野

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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