#104 中野宏昭著『ジャズはかつてジャズであった』

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text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野onnyk吉晃

書名:「ジャズはかつてジャズであった。」
著者:中野宏昭
版元:音楽之友社
初版:1977年4年1日

僕は、著者中野宏昭とは全く面識がない。彼は僕より12年年長で、敗戦の年の一月に北海道に生まれ、1976年に亡くなっている。彼は希有な物書きだった。

僕が彼を知ったのは、おずおずとジャズを聴き始めた1971、2年頃のことだ。全くモダンジャズについての知識も興味も無かったが、ECMの斬新なサウンドには大いに惹かれた。また台頭して来たエレクトリックなジャズは、ロック少年だった僕には馴染みやすかった。当時は、フュージョンやクロスオーヴァーと称されたが、まだスタイルは今程固まっておらず、多様だった。
アヴァンギャルドという響きに誘われ、デレク・ベイリーやアンソニー・ブラクストンなどを背伸びして聴いてみた。なんだこれは!…が、何かを感じる。 するとそこに、とても分かりやすい解説をしてくれる人がいた。それが中野宏昭である。
つまり彼の書いたライナーノートを頼りに、一見脈絡ないような、どう捉えていいのか分からない音の断続を聴かせる連中の、精神の在処を探る試練が始まった。
もとからスウィングするだの、グルーヴだのということを知らないから、そのようにして音楽を極めてアタマで聞こうとしていたのだ。それは思春期の葛藤そのものだったが、そこに即興演奏という観念が生まれ、それは次第に育って行った。
中野宏昭は、そんな僕には良き教師だった。他にも書き手は何人かいたが、彼の文章は殊に優しかったのだ。

彼が亡くなったのを聴いたとき、軽い驚きがあった。しかし当時の僕からすれば、面識も無い年長者の死は遠いものに思えた。だが後に享年が31と聴いた時、その短い文筆生活のなかで彼が到達した、あるいは達しようとしたもの、それが僕にも見えるだろうかと自問してみた。何故なら僕は、演奏家たろうか、論じる者になろうか迷っていたからだ。そして今でもそのままだ。

実を言えば、彼の著作集を手に取り、通読したのは今年である。その存在は知っていたが、何故か(いや、理由は多々あるが)敢えて読む気にはならなかった。タイトルが僕を遠ざけたのかもしれない。
最早僕は彼の人生の倍以上を生きてしまった。
その本『ジャズはかつてジャズであった。』は、血痕のついたような装丁を纏い、ある日僕に読む事を迫って来た。人生には何冊かそういう本があるものだ。 見返しに大きく印刷された、ミシェル・レリスの『闘牛鑑』の一節。
「…強制的な未完成、われわれが空しく埋めようとする深淵、われわれの滅びにむかって口をひらく亀裂… 」そこにこそ美があるとレリスは書き、中野はそれを自分の言葉とした。 この引用は戦慄すべきものだ。
これは中野が1975年にマイルス・デイヴィスを論じた文章の末尾に、マイルスを、死に直面しながらその瞬間を美化する闘牛士に喩えるために引いたのだ。

彼の最後の文章は、76年3月というまさに逝去の月に発表されたエリック・ドルフィー論であるが、自らの死の予感と重なり、創造的葛藤ともいうべき表現になっている。
僕は、ドルフィーのソロに、ときに細かく渦巻くメアンデルのような、そしてまた同時に、止まっているかと思う程急速な回転を見せるような運動性を感じる。
「ドルフィーの血の中には、お互い矛盾し合う様々な成分が衝突し、反発して沸騰していた。…とぐろを巻いているそうした対立するあらゆる表情のそれぞれが時に応じて劇的に表面に噴出する…美と醜、苦悩と歓喜といった肉体そのものから発する表情の中で、純化と惑乱も往復軌道を全回転で揺れ動いた…どんなにユーモラスな音も、深い孤独の裏返しであることを私は知っている。私はいつだって彼の音に危機の感覚をきいているのだ。」
中野のこの最後の叫びである一文は、何度も何度も同じ意味合いを違う表現で、過剰とさえ思える程繰り返している。いかに表現してもしきれないのだという彼の意志が、ドルフィーのバスクラリネットのサウンドに重なってくる。
それは読んでいて、あるいは聴いていて息苦しくなるほどだ。しかしこの瞬間こそが至高点への道なのだろうか。それとも…。 「存在するためには創造の本能を突き動かし続けなければならないという切実さに覆われた叫びなのである。」(本文より)

この本が、マイルスを闘牛士に見立てた論で始まり、その名も「ミュージック・マタドール」という明るい曲をよく取り上げたドルフィーで終わるのは、編集の妙である。しかし、それは中野がずっと同じ基調低音を維持し続けたことを思い出させる。それがなんであるか、また書く必要はなかろう。
あるいは、彼がシカゴ派の前衛闘士ジョセフ・ジャーマンを論じた文で、いきなりギリシャ古代社会への憧憬を語りだすことに驚きを禁じ得ないが、古代ギリシャの音楽、詩、劇、美術、つまり彼等の文化が、神話という共有財産から、英雄的死、人間と神の諍いや狡智を主調低音にしていたことに、改めて気づかせられ得心したのだ。音楽は天体の配置に呼応する。
古代ギリシャは、今我々の社会を席巻する、愛だの調和だの発展だのという、怪しげな価値観を齎(もたら)したキリスト教文化とは全く異なっている。 モルシマ・アモルシマ!メメント・モリ!僕等の生は、いいしれぬタルタロスの深淵、亀裂に生という架けられた脆い橋だ。

自らの死を予期しながら、若き日の思いで、ユーモアも交え、そして「ジャズをレコードで聴く」という事を一つの道、戦い、創造的手段として選んだ人がいたという事実を強く感じ、老いた青年の僕はこの書を閉じた。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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