#24 細川周平著『近代日本の音楽百年』全4巻

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text by Kazue Yokoi  横井一江

 

久々に重量感のある本を手にした。細川周平著『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店)、机の上に全冊並べるとなかなか壮観である。重量感があって当たり前かもしれない。遡れば中村とうよう編集長時代の『ミュージック・マガジン』へ細川が「西洋音楽の日本化・大衆化」と題した連載を始めたのが1989年、それがライフワーク的な研究テーマとなり、途中日系ブラジル移民研究(*)へ寄り道したために空白期間はあったものの、30年以上の時を経て4冊に凝縮されて発表されたのだから。

丁寧に作られた本は手に取ると気持ちがよい。函入りで装丁も紙質も版の組み方もクラシック、昨今滅多にお目にかからなくなった品質の本だ。著者にとっては函入り娘誕生なのだろうな、と思った。当人は「LPを取り出す感じ」と言っている。「贅沢品かもしれないが、この手触りは電子出版では得られないだろう」と。

全4巻のオープニングは黒船の楽隊、トントントンというオノマトペで薩摩藩士が記した西洋との遭遇から始まる。それはグローバリゼーションの時代がやってきたことを告げる音でもあった。「音楽」という概念が持つ舶来性、近代性に我々はどれほど気付いているのだろう。『近代日本の音楽百年』は音楽史としての側面も持つが、文化受容を多角的に捉えることで日本の近代を音楽面から捉えた本といえる。

『近代日本の音楽百年』全4巻で扱うのは、先に触れた黒船の楽隊から戦争末期の敵性音楽まで約百年間、オーケストラや山田耕筰や三浦環よりも、ダンスバンドや古賀政男や勝太郎が主役を張っている。全4巻に書かれているのは音楽芸術ではなく音楽文化だ。そこを履き違えてはいけない。芸術と文化は違う。いわんや大衆文化は、ということである。著者は「上野から目線」ではない、つまり東京音楽学校、今の東京芸術大学がある上野からの目線ではないと言っているが、そこにこの本のキモがあるのだ。ちなみに一年遅れの国際日本文化研究センター退任記念講演は第1巻でも登場するチンドン、講演のタイトルは「チンドンの因縁」で大熊ワタルとこぐれみわぞうがオンラインでゲスト参加していた。コロナ下でなければ彼らを招き、最後にチンドンと共に当人は退場したかったと想像したが、オンラインではそれは叶わずだった。それまで「音楽」としては認識されていなかった「チンドン」が音楽側から語られるようになったのも80年代『ミュージック・マガジン』に取り上げられたからだ。それは細川が連載「西洋音楽の日本化・大衆化」を書いていた時期であり、彼がブルーノ・ネトル著『世界音楽の時代』(勁草書房、1989年)を訳したのもその頃である。そのような時代を知る著者ならではの視点があればこその4巻本と言えるのではないか。それでいて、第2巻「デモクラシィの音色」で大正時代の音楽史を<カチューシャの唄>から始めるなど定石を抑えているのがまたニクイ。

全4巻とはいえ、年代順ではなくテーマ別に編まれていているので、独立して読める。さらに言うならば、章ごとに論文として完結しており、また論文とはいえ平易な語り口ゆえ、つまみ読みも結構なのだ。今何かと話題のジェンダー、女性についても、大正時代に現在のお稽古ごとの源流にあたる中流階級の少女向けの家庭音楽と、女子工員向けの慰安を志す工場音楽とを対比させていたり、昭和初頭に男性のクルーナー唱法(ビング・クロスビーや藤山一郎)に対応する、エロっぽいため息唱法(渡辺はま子)が受けたり検閲されたりするさまが描かれている。浅草オペラよりも先に少女歌劇が大正時代にはやり、そこから宝塚が誕生したというが、歌って踊る少女アイドルもそのあたりが原点なのかもしれない。第3巻「レコード歌謡の誕生」はレコードという複製商品の大量消費時代を時代性のなかで見事に検証している。

最後に刊行された第4巻は「ジャズの時代」だ。戦前の日本のジャズ史は、内田晃一著『日本のジャズ史』(スイング・ジャーナル社、1976年)や瀬川昌久などによって書かれてきた。サンフランシスコ航路のハタノ・オーケストラに始まるダンスバンドや、<青空>で花開いたジャズソングの系譜については、よく知られているところだろう。ここではそのほかに<ラプソディ・イン・ブルー>のような「シンフォニック・ジャズ」や、モボモガの流行も含めたジャズ風俗を折りこんだ「ジャズ文学」にも足を踏み込んでいる。また同時期にラジオや拡声器が広まり、生活音量が上がったことによる「騒音」をジャズと同一視する文章も多かったということを知った。音量だけでなく、存在自体がノイズだったのである。(フリー)ジャズとノイズが近しいのにはこのような古くからの因縁があるのかもしれない。それまでのお行儀のよいヨーロッパのクラシックの枠に収まらない西洋渡来の音楽をどう受け止めるのか、批評家たちが議論した。今から見れば的外れな議論だが、ジャーナリズムとはそのようなものなのだろう。それは今も変わらないし、そこに時代性があり、文化受容の歴史の一ページなのだ。

ジョセフィン・ベイカーやルイ・アームストロングの黒人らしさを愛好する一派もいれば、野蛮人扱いする一派もいて、肌の色を初めて問題視したのもジャズである。エリントンの黒さを讃える批評にはただただ苦笑するしかない。憧れのミシシッピみたいな幻想は、どうやって作られたのだろうか。ブラック・ライヴス・マターが叫ばれる昨今だが、隔世の感があるようで実は大して進化していなかったのかもしれない。「ジャズ」とは違い、世間の流行語にはならなかったものの「スウィング」もファンの間では話題になりベニー・グッドマンやフレッチャー・ヘンダーソンの国内盤がずいぶん出回り、白人ジャズ好き対黒人ジャズ好きの論戦があったとは。これには既視感がある。ロイクのズージャなどという言葉もあった60年代を想起させるからだ。レーベルで言うならば、東海岸のブルーノートか西海岸のパシフィック・ジャズか、ということになるのだろう。最後には敵性音楽として、白も黒も排除される。ダンスバンドもアメリカ曲だけでなく、民謡や三味線の唄をスウィング調にアレンジして録音していた。昨今ずいぶん復刻されているが、この本ではそれをキワモノ扱いせず、アメリカ文化の土着化という大きな枠で捉えている。戦後のジャズ史の基本が戦前に固められたことを知るのはなかなか面白く、他国のジャズ受容と比較すればまた異なった側面が見えるかもしれない。また、戦前のジャズ史を著した本は『日本のジャズ史』以外にテイラー・アトキンス E. Atkins Taylor著『Blue Nippon』(Duke University Press, 2001)があるくらいで、そのアトキンスの本には異論もあっただけに、4巻本の一冊がジャズに当てられたことが嬉しく、溜飲を下げることができたのである。

リチャード・タラスキンの6巻4000ページ以上に亘る『The Oxford History of Western Music』(Oxford University Press, 2005)には及ばないが(→リンク)、『近代日本の音楽百年』はまたとない大著である。だが、よく読み込んでいくとダジャレだったり、言葉遊びが真面目な文章の中に紛れ込んでいることに気づく。そして、著者の悪戯、遊びゴコロにニンマリと笑ったのだった。

万人向けの著作ではないが、混沌とする現代なればこそ、近代日本を音楽文化を通して知る意味があると私は考える。一冊13,000円+消費税と高額だが、図書館等で手にしてもらえればと思う。

 

 

*注:
細川周平は日系ブラジル移民研究で下記の5冊を出版している。
『サンバの国に演歌は流れる 音楽にみる日系ブラジル移民史』中公新書 1995年
『シネマ屋、ブラジルを行く 日系移民の郷愁とアイデンティティ』新潮選書 1999年
『遠きにありてつくるもの-日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』みすず書房 2008年(読売文学賞受賞)
『日系ブラジル移民文学Ⅰ-日本語の長い旅〈歴史〉』みすず書房 2012年
『日系ブラジル移民文学Ⅱ-日本語の長い旅〈評論〉』みすず書房 2013年

【追記】
細川周平さんは『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店)が評価され、令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞《ポピュラー》著作出版物賞を受賞しました。(2021/03/11)

退任記念講演: https://www.youtube.com/watch?v=YMBEvFos5X4

【関連リンク】

https://jazztokyo.org/author/shuhei/

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。The Jazz Journalist Association会員。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。海外レポート、ヨーロッパの重鎮達の多くをはじめ、若手までインタビューを数多く手がける。 フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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