#125 シスコ・ブラッドリー『The Williamsburg Avant-Garde: Experimental Music and Sound on the Brooklyn Waterfront』
Text by Akira Saito 齊藤聡
© 2023 DUKE UNIVERSITY PRESS
かつてブルックリンにそれがあった。1980年代から2000年代にウィリアムズバーグ地区で開花した、前衛アーティストたちの村。背景にあったのは家賃の安さ、空間の広さ、マンハッタンへの近さだ。たとえばダウンタウンのニッティング・ファクトリーで活動していたギターのエリオット・シャープも、ピアノのアンソニー・コールマンも、ドラムスから活動を開始したイクエ・モリも、この動きを嗅ぎつけて川向うでの演奏をはじめた。
その観点では、1970年代にマンハッタン南部で黒人音楽というアイデンティティをコアに集まったロフト・ジャズ運動からの系譜に連なるものだと言うこともできる(実際、70年代末から80年代初頭にかけて650人ものアーティストがソーホーから移住したのだ)。もっというなら、運動は、コミュニティとDIYを基盤とする生活を良しとする意識に支えられていた。
もはやウィリアムズバーグはそのような場所ではない。前衛たちの拠点はダウンタウンからウィリアムズバーグへ、そしてブルックリンでのスプロール、あるいはコロナ禍によるミクロ・個人スペースの分散化。こういった動きは単純なヴェクトルではなく、重なり合ってもいる。たとえばダウンタウンとウィリアムズバーグのコミュニティの融合をコンセプトとしたイヴェント(文字通り「Jump over the River: Liberation Music Festival」)が1999年に開かれ、そこで現在もニューヨークのレジェンド級の存在たる多楽器奏者のダニエル・カーターとドラムスのランディ・ピーターソンとが初のデュオ演奏を行ったという。それ以降、かれらはブルックリンでの革新を起こし続けている。
もちろん核があれば次の種は育ってゆく。たとえば、サックスのポール・フラハティと若手だったドラマーのクリス・コルサーノが長い共演関係を開始する。あるいは、近郊のウェズリアン大学において多楽器奏者アンソニー・ブラクストンに師事したギタリストのメアリー・ハルヴァーソンらが大きな存在感を持つようになる。彼女がまだ二十代のときにドラムスのケヴィン・シェイと組んだ「PEOPLE」のサウンドはいまなお傑作である。シェイとキーボードのマット・モッテルとによる変態ユニット「タリバム!」が登場したのもこの時期であり、ウィリアムズバーグの相互越境的な音楽シーンにも刺激を与えた。
はたまた、ノイズ側からドラムスやギターを演奏するウィーゼル・ウォルターが、ドラマーのマーク・エドワーズを引っ張り出してきたこと。エドワーズはセシル・テイラーにも見出されたほどの剛の者だが、90年代にはシーンで存在感を失っており、声をかけられたかれは驚いたという。最近も50も歳下のサックス奏者ゾウ・アンバとも共演し、決してエネルギー負けすることがない。
すなわち、シーンはたえず再発見され再定義されなければならない。表現のシーンはつねに百花繚乱であり、上に引用した名前もごく一部にすぎない。(その意味で、いまなお更新されない言説が跋扈する日本の鎖国的言説にはうんざりさせられる。)
いうまでもなくフリー・インプロヴィゼーションやジャズだけではない。音楽以外の表現が多かったし、音楽についてもむしろノイズやノーウェイヴの影響が大きかった。それはネットでの情報共有がまだ不十分な時代にあって、性質を異にする日本のシーンとも相互に影響しあっていた。
おどろくべき指摘がある。90年代初頭にほぼすべてのバーが入場料金に加えてバー収入をミュージシャンに払っていた。世紀の変わり目には、それが入場料金だけ、それも浸食されてゆく。家賃収入の高騰のためであり、これが資本主義だ。そして9・11によりコミュニティさえも警察国家化により切り崩される。
アーティストたちはなにも資本主義の外部にとどまっていたわけではない。かれらがウィリアムズバーグにやってきたときに既存の貧困コミュニティ住民は不安を覚えたという。ここには白人アーティストとラテン系住民という対立項があり、逆に、21世紀になるころには若い裕福な人たちが越してきて(つまり高級住宅地になった)、年配のパンクたちが開くパーティーに反発もしていた。実際アート・コミュニティの存在が資本主義の歯車になったことは間違いないし、それ以前にドラッグやセックスワークといった「さらに外側」の機能がそれによって失われた。すなわち言い換えるなら、資本主義に取り込まれた。
だから視線はつねに相対的なもの、開かれたものでなければならない。ドラッグ文化は80年代末には南隣のブッシュウィックに拡がったというが、ここでフリー・インプロヴィゼーションのギグが頻繁に繰り広げられてきたのも偶然ではない。
そして本書の読み方もブルックリン史にとどまらず開かれたものでありたい。ハルヴァーソンと同じくブラクストンに師事したトランペットのテイラー・ホー・バイナムもまたシーンに影響を与えたひとりだが、かれとブラクストンとのデュオ録音を聴いて刺激されたリードの森順治とトランペットの橋本英樹が2016年に東京で即興演奏を試みたこと。あるいは2019年、タリバム!がケルン路上の車の上でゲリラ演奏を行うなどヨーロッパのシーンも草の根で揺り動かしたこと(カマシ・ワシントンのコンサート会場の真ん前だったため苦情が出て移動した)。
もちろん筆者が目撃したことをちょっと思い出してみただけだが、このようにブルックリンから何千キロも離れた場所になにか楔が打ち込まれることを愉快にとらえたい。コロナ禍を経て、それはふたたび無数に繰り広げられるだろう。著者のシスコ・ブラッドリーは、無数のインタビューや資料収集、さらにはライヴ会場に足を運び、この労作をものした。本書は歴史としてだけではなく、現在につながるものとして読まれるべきだ。振り返りはつねに現在進行形である。
「これらのサウンドはクラブ、ロフト、地下室、裏庭で反響し続け、そこではシーンの実験的なサウンドが今後数年間に発生し、混ざり合い、新しい形をとり続けることになる。」(第1章の締めくくり)
(文中敬称略)