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BooksR.I.P. 悠雅彦No. 308

#128 悠雅彦氏への追悼としての書評
『モダンジャズ群像』悠雅彦著(音楽之友社刊 昭和五十年第一刷)

text by Yoshiaki ONNYK Kinno  金野ONNYK吉晃

私は思春期の始まりと共に洋楽を聴き始め、すぐにライナーノートという文章のあり方に興味を覚えた。そして自分でも学生時代から音楽評めいたことを同人誌レベルで書くようになったのである。
私が高校卒業した昭和50年四月、『モダンジャズ群像』は世に出た。
しかし私がこれを手に取ったのは数年以上経ってからだ。私は非イディオマティックな即興演奏家を気取っていたので、モダンジャズから距離を置き、ある点においては嫌悪していたといってもよい。

演奏者として盛りを過ぎたと自覚した頃、当ウェブサイトJAZZ TOKYOの稲岡編集長から声をかけていただき、新譜レビューの掲載を開始した。そこで私は駆け出しレビューワーの時代に大いに教えを頂いた方にまた出会った。その方こそ悠雅彦さんである。
私にとって、悠雅彦の名は、自身が創設されたレーベルWHY NOTとともにあると言って良い。ここでその数々の名盤を云々する気はない。今でもそれらは若いリスナーも惹き付けてやまない世界的なレーベルであり、日本のレジェンドである。
以前 JAZZ TOKYO にも書いたのだが、ECMそして欧州フリーの諸作品こそが私にとってのジャズであり、ブルーノートに匹敵するレーベルだった。
つまり私は60年代の熱いモダンジャズは過去のものと思い込んでいたのだ。しかしフリージャズのスーパーノヴァが撒き散らした若手ジャズメンが、再び遊星群を結集し、ロフトジャズとなって輝きだしたその有り様を、悠さんのレーベル WHY NOT は確実に捉えていた。
私はフリージャズに遅れ、エレクトリックジャズの誕生に間に合ったという世代である。しかし私が学生時代にのめり込んだのは、フリーでもロフトでもエレクトリックでもなく、フリーインプロヴィゼーションの世界だった。
それは確かにフリージャズから始まったが、実に多くのジャンル、様式、テクニックを飲み込み、ひとつのカオスに向かっていた。そんな中で多様な要素を検証して行くうちに、どうしてもモダンジャズを経験していない弱みを感じ始めた。それはあたかも、ブルーズ感を有さずにジャズを形式として演奏するような印象に近い。端的に言えばデラシネの悲しさである。当時はそれをそれとして誇る気持ちさえあったのだが。

そして私は本書『モダンジャズ群像』に出会う。
大学を卒業し社会人になったばかりの昭和57年五月、第七刷である。着実に年一回の版を重ねて行った本だ。
その表紙、不気味な顔がこちらを睨んでいる。チャールス・ミンガスだ。モダンジャズに巨人は多々いるが、ミンガスは間違いなくその1人であり、生きながら伝説と化した。
この一書は私の喪失感を埋める一助となった。デューク・エリントンからセシル・テイラーまで、70年代までのモダンジャズ通史、偉人列伝以外の何物でもない。
「ジャズに名人はいない。名演があるだけだ」とはよく言うが、やはり一人一人の存在はゆるぎない。
悠さんがとりあげたその名前を列挙してみるのは決して無駄ではないだろう。
エリントン、バード、バド・パウエル、モンク、マックス・ローチ、ブラウニー、マイルス、ミンガス、ロリンズ、コルトレーン、ウェス、オーネット、ドルフィー、マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、チック、キース、スタンリー・カウエル、シェップ、アイラー、ドン・チェリー、そしてセシル・テイラーである。グループとしてウェザーリポート、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの二つである。
しかしこれだけで全てが語られた訳ではないのだ。おや、あの人が居ないと思う勿れ、彼等巨星の周囲には多くの星々が輝いており、モダンジャズ星雲というべき領域がある。勿論悠さんはそれらの星々も観測している。そしてまた悠さんが個々のミュージシャンを語る上で如何に多くの書籍、評論を参考にしてきたかが各頁に滲み、批評家、研究者として真摯な態度には敬意を表するしかない。
私は以下、幾つかの心に残った文章を引用してみたい。

「人々が神話をつくるのではなく、芸術に吹きこめられたアーティストのスピリットが、あの驚異に満ちた神話をつくりあげるのだ。だからこそ彼らは永久にスピリチュアルな存在なのだ。」(「2.チャーリー・パーカー」p22))

いま、巷間でスピリチュアルジャズ云々と、ある種のミュージシャンを持ち上げる傾向があるけれど、真にスピリチュアルとはどういうことか、再考してもらいたい。この本に登場するミュージシャンたちはみなスピリチュアルな存在なのだ。

「バードを生んだのもアメリカというひとつの状況なら、バードを悲劇的な死においやったのもアメリカというひとつの極限状況だった」(「2.チャーリー・パーカー」p23)

それならば、プレスリー、そしてマイケル・ジャクソンといった人々はどうか。アメリカの生んだ、アメリカの生け贄。
社会のひずみ、ではない社会とはひとつの歪みの形だ。尊厳と差別と疎外。欲望と探求と堕落。毀誉褒貶とメディア。統制すればファシズム、放置すれば「アメリカ」だ。
そしてまたバードの成長した時代の極限状況を活写しているのはヘンリー・ミラーの『南回帰線』(1939)であり、ビバップ全盛期の若者達、ビートニクスの生態を描くのはケルアックの『路上』(1951〜57)ではなかろうか。

「音というものはいったん外へ放出されてしまえばすでに過去のものである。だがすぐれた音楽には、時代を超えて現れる本質的な、空間芸術独特の新しさがある。」(「7.マイルス・ディヴィス」p85)

この節の前半にドルフィーのあの有名な言葉を思い出さない人は居ないだろう。しかし悠さんの言は違うのだ。ドルフィーは消え去るのは音楽だと言った。しかし悠さんは消え去るのは音であり、音楽という芸術表現は時間を超越するという。確かに人は作曲、記譜、そして録音という方法で、消え去る音を、音楽を定着しようとしていた。これはレーベルのプロデューサーとしての悠さんの矜持ではないだろうか。

「ここには前衛ジャズの成果もあれば、民俗的回帰性に裏付けられた精神志向もあって、それらの凝縮状態からこぼれる光沢がサウンドをいっそう鮮やかに彩っている。リズムは8ビートだけではなく、いうなれば原始的なポリリズムが作品の中枢を支配している。」「7.マイルス・ディヴィス」p90)

ここだけを切り取れば、あたかもストラビンスキーの『春の祭典』(1913)を評したかのように読める。しかしこれは『ビッチェズ・ブリュー』(1969)に関しての分析なのだ。そしてまたマイルスがストラビンスキーや、シュトックハウゼンまで西欧音楽の前衛達を研究していたこととも呼応するだろう。

「ジャズは誕生以来このかた、少しずつ、西欧離脱の方向をとってきたが、それを最も顕著な形で示したのがコールマンであった。たとえば、もっとあからさまにいって、彼はジャズに<無調主義>を持ち込んだのではない。彼は調性に基づくジャズを解放したとはいえるかもしれないが、<無調>という概念は長い歴史をもつ西欧音楽のそれから生まれたものであって、ウェーベルンをジャズに持ち込んだわけではない。はっきりしていることは。彼が<和声><調性><小節>という枠を抜け出すことによって、西欧のものでない、ジャズ独自の理念や方向が確立されたということだろう。それがフリー・ジャズなのだ。つまりフリー・ジャズとは単なる新しい音楽ではなく、思想、すなわちジャズというブラック・ミュージックが発生以来、初めて獲得した唯一の思想なのである。ぼくの考えでは、ジャズは西欧文化と黒人意識との葛藤によって発展してきた音楽である。」(「12.オーネット・コールマン」p152)

長くなってしまったが、実はこの先にも引用したい文章が続く。つまり私からすれば、この本の核心とも言える部分がここにある。フリー・ジャズとは一つの思想であり黒人文化の表現であるという意味。<和声><調性><小節>の無い演奏を形式化することは可能だ。しかしそれはリバティなのかフリーダムなのかコンテンポラリーなのか。勿論レーベル名を言ってるのではない。エーリッヒ・フロムを今一度思い出そう。
シェーンベルクが「私は無調主義ではなく12音主義だ」と主張したように、オーネットもまた無調ではなく、旋法音楽でも調性音楽でもない、新たな様式を齎(もたら)した。それは後にハーモロディクスと呼ばれる事になる。
ヴェーベルンをジャズに持ち込もうとしたのは、デレク・ベイリーではなかったかという冗長な論を、以前に JazzTokyo に連載した私としては、ベイリーはそれによってフリー・ジャズという黒人由来の思想から脱出したのではないかと悠さんに尋ねてみたい。

正直言って、どの頁にも引用したい文がある。それだけこの書には悠さんの、批評と、それ以上に思想が凝縮されている。
音楽が時間を越えてその本質を現すように、『モダンジャズ群像』は約半世紀の時を経てなお、我々の意識に響いて来る悠さんの心の声である。
そして私は、生前その謦咳(けいがい)に接することは叶わなかったが、セシル・テイラー・ユニットの日本公演ライブアルバム『アキサキラ』(1973)の冒頭に確かに肉声を聴く事が出来るのだ。

*著書詳細
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001286048-00?ar=4e1f

 

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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