ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #114 Brandon Woody <Beyond the Reach of Our Eyes>
新譜情報を見ていたら聞いた覚えがある名前に目が止まった。Brandon Woody(ブランドン・ウディ、日本ではウッディだそうだが以下ウディ)という名前で、通常「ウディ・ハーマン」などのようにファーストネームに使われる「ウディ」が苗字なので珍しいと思った。さて、どこで聴いたことがあったか。1年ほど前に偶然見たYouTubeだ。
これを見た時「おおっ」と思ったが、その後名前を聞かなかったので忘れていた。もう一度この動画を観て当時何に惹かれたか思い出した。まず曲が新鮮だった。単純なモチーフの繰り返しを恐れないのに、曲に込められた感情の起伏は激しく決してミニマル音楽風ではない。モチーフの数々は単純だが曲の構成はかなり奇抜だ。筆者の大好物のグルーヴ系ではないのにタイム感にスリルを感じる。その原因はウディのトランペット・ソロとドラムがピアノとベースに対して倍のテンポだからだ。ベースはビートでグルーヴするのではなく、常にカウンターポイントを演奏している。反対にウディのトランペットはFreddie Hubbard(フレディ・ハバード)系の説得力ある音色でバップのアウトを挿入しながらMcCoy Tyner(マッコイ・タイナー)ばりのペンタトニック・パターンでまくし立てる。ご機嫌なビハインド・ザ・ビートで駆け回る16分音符でバンドをドライヴするのが印象的だった。それと、シンセサイザー・ソロで登場するVittorio Stropoli(ヴィットリオ・ストロポリ)の演奏もかなり印象的だった。
このウディのデビュー・アルバムが来る5月9日にBlue Noteからリリースされる。その中から2トラックが先行発表された。そのうちの一つ、アルバムのオープニング・トラックである<Never Gonna Run Away>を視聴した時、これは何か聞き覚えのある特殊なサウンドだ、と思って検索して上記の動画に再び出会った。即座に本誌編集部を通してユニバーサル・ミュージックにお願いし、音源を頂いた。なんとアルバム2トラック目は上記の動画と同じ曲だ。最初にこの動画を見た時はまだ無タイトルの曲だったのをよく覚えてる。
Brandon Woody(ブランドン・ウディ)

彼の資料があまり出回っていないので、今回見つけた昨年11月CapitalBopに掲載されたインタビュー記事から彼をご紹介する。まず特筆すべきは、彼はメリーランド州Baltimore(ボルティモア)のアーティストであることだ。現在は治安が芳しくないボルティモアだがこの地は深い歴史を持ち、どの郡にも属さない非常に特殊な都市だ。アイルランドの植民地だったこの地は1727年にタバコの輸出港として開かれて発展し首都ワシントンD.C.の外港として栄えたが、古い都市に付きものである建物の老朽化が進んで1960年代後半からスラム化して行ったと言われている。だが忘れてはいけないのが、アメリカの60年代後半は黒人の市民権運動で暴動が多発した時代だ。詳しくは本誌No. 245、楽曲解説#34でアレサ・フランクリンを取り上げた時の記事をご覧下さい。ボルティモアも白人至上主義であるKKKやネオ・ナチスなどが黒人の街を破壊するなどの暴動を起こした。蛇足だが、2019年にトランプ大統領が自分をサポートしないボルティモアに報復する目的で「誰も住みたがらない全米で最も危険な都市だ。」と公言した。実際には全米犯罪数50位程度なのに、悪い印象が広まった。ちなみに、家を買い換えることがステータスであるアメリカ人は気安く居住地を移すが、反面住民の団結は意外に強い。ボストン、ニューヨーク、ボルティモア、皆そこに住んでいることに誇りを持っている。筆者が38年間住んでいるこのボストンは、歴代の市長も州議院も優れた指導者ばかりで実に感心する。ウディも誇り高いボルティモア市民で、ニューヨークや西海岸で名声を得るより地元やDCで活動することを選んだ。今回のデビューアルバムも自分から売り込んだのではなくBlue Noteの方から誘いがあり、それに対して即答していないところが興味深い。

ウディはボルティモアのローカル・ミュージシャンかと思いきや、その経歴に驚いた。まだ26歳の若さだというのにカルバン・クライン、NIKE、ヴォーグ、リーボックを始め多くのメジャーなコマーシャル音楽を手がけているだけでなく、映画音楽でも活躍している。そのクレジットの中に昨年Apple TV+が発表した連続ドラマ、『Lady in the Lake』があり、なんとトランペッター役として出演までしている。ドラマ好きの筆者としてはかなり楽しませて頂いた番組だったが、数話に登場したトランペッターのことは覚えていなかった。この7話完結のドラマは栄えていた60年代初期のボルティモアを舞台にし、Natalie Portman(ナタリー・ポートマン)とMoses Ingram(モーゼス・イングラム)が人種問題や女性の人権問題を織り込んだストーリーのミステリー作品を見事に演じた。イングラム本人もウディ同様ボルティモア出身だ。ポートマン演じるマディはユダヤ人(ポートマン自身はイスラエル出身)、筆者のお気に入りのイングラムは黒人。両者とも白人に差別を受けるのだが、ユダヤ人は肌が白いので黒人から見ればただの白人だという視点が興味深かった。白人女性が黒人男性と付き合うと女性の方が逮捕されるなど、女性蔑視問題もうまく描かれていた。現在のアメリカの状況を見ると、人種差別問題が過去に逆戻りしていることに驚く。

ウディは幼少時ドラマーになりたくて、家で流れていたStevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)やFrankie Beverly & Maze(メイズ・フィーチャリング・フランキー・ビヴァリー)などに合わせて食器を叩いていた。8歳の時にヴァルヴが3つしかない単純そうでかっこいいトランペットに魅せられるが、学校にある楽器を鳴らすことができずチャレンジ精神に火が付き朝練に燃えて上達すると、ようやっと楽器を家に持ち帰って練習して良い許可が降りる。もちろん楽器を買えるほど裕福ではない。そこから家で四六時中練習の日々を過ごしたが、母親はそんなウディをサポートしたのだそうだ。ウディはこの後小学校、中学校、高校、大学、と少しでも上の音楽教育環境を求めて学校を転々として行く。一緒に演奏する仲間も自分より上手くなければいけないことを念頭にしていた。高校卒業後は、まずカリフォルニアにあるパシフィック大学に属するブルーベック・インスティテュートに入学しAmbrose Akinmusire(アンブローズ・アキンムシーレ)に師事した。すると、「トランペットの吹き方を一からやり直そう」と言われて、自分がいかに無理な吹き方をしていたのか思い知らされた。この指導がなければ自分は今頃潰れていただろうと語っている。
アンブローズに演奏方法を修正してもらった後マンハッタン音楽院に編入するが、自分の居場所はボルティモアだと確信して2018年に帰郷し、Upendo(ユウペンド、ウディ本人の発音)を結成する。
Upendo(ユウペンド)
スワヒリ語の「Upendo」は他の言語に非常に訳しにくい言葉だそうで、「a communal act of solidarity」、つまりコミュニティーに於ける同調した行動といった意味なのだそうだ。直訳は「Love」だが、決してそんな単純な意味ではないらしい。そう言えば英語の「Love」と日本語の「愛」もかなり違う。英語のLoveの対象の広さに対し、日本語のそれは恋愛関係という印象に限定されている。スワヒリ語の「Upendo」は英語の「Love」よりもっと包括的なのだと思う。ご興味のある方はこちらの文献を参照下さい。
“To feel love is to be vulnerable and not have it held against you.”
「Loveは無防備な気持ちであり、それは非難されるような感情ではない。」
この「Love」の概念が全てに対するウディのテーマらしい。今回のデビュー・アルバムのタイトル、『For The Love Of It All』を「全てを愛する」と直訳すことはできない。日本語に訳すこと自体不可能だ。例えば日常仲の良い友人と別れ際に「I love you, man」と気楽に交わすが、これを日本語に直訳したら誤解を招くだろう。単語の数が多くそれぞれの単語に限定された意味がある日本語より、概念として存在する英単語の方が便利なことが多い。何事もきっちりする日本と、お気楽に気分で流すアメリカの文化の違いは、この言語の違いが大きいと思う。
さて、この2018年に結成された「Upendo」、メンバーはまずピアノのTroy Long(トロイ・ロング)。ウディとロングはボルティモア芸術高校からの相棒だ。最高の芸術教育の環境に入れて狂喜したが年長者に相手にされず、それならば、とロングと「Us Jazz」というバンドを始めた。そこそこのギグを得たが、ハーモニーやリズムのことをまだ理解していなかったので詩のように見た目だけで曲を書いたのだそうだ。この「詩のような(なにか素敵な印象という意)」がウディにとって重要な要素だと語っている。なるほど、ウディの曲の奇抜さはこのあたりに起因しているのかも知れない。
ベースにMike Saunders(マイク・サーンダース、日本ではソーンダース)と、ドラムにRoy Hargrove(ロイ・ハーグローヴ)の元で活躍したQuincy Phillips(クインシー・フィリップス)を迎えて活動を始める。全員根っからのボルティモアっ子だ。前回の楽曲解説#113でBranford Marsalis(ブランフォード・マルサリス)も、自分はバンドとして演奏する。また、メンバー全員に対して自分に責任があると語っていた。CMや映画で稼いでいるウディも似たような考えなのかも知れない。筆者はこれが実に羨ましい。ボストンやニューヨークでバンドとして同じメンバーを維持するのは非常に難しい。ミュージシャンはお金の良い仕事が入れば当然そちらを優先させるし、普通のクラブでのギグの実入りはタカが知れているからだ。筆者は若い頃、ギグに行って初見で演奏できることが偉いと思っていた時期があった。リハーサルに行けないほど多忙なことが良いと勘違いしていた。本当は、みっちりリハーサルできる環境で音楽を続けることができるのが望ましいのだ。もちろん、多忙でリハーサルに来られないが初見で完璧に演奏するミュージシャンとステージに上がってハプニングに興奮することはしょっちゅうある。だが、それは演奏者の立場であって聴衆の立場ではない。お金を払って聴きに来てくれるお客さんに対してリハーサルなしの演奏をすべきではなかろう。余談だが、筆者はGary Burton(ゲイリー・バートン)がカミングアウトする前の結婚相手だった女性と仕事をしていた時期があった。ある日彼女にゲイリーとChick Corea(チック・コリア)のリハーサルテープを聴かせてもらったことがある。彼女は、ジャズなのにこんなにリハーサルするのよ、と言っていた。その後ジャズにとって重要なのはタイム感であって即興ではない、Ella Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)のスキャットはRay Brown(レイ・ブラウン)の書き譜だったがあれは間違いなくジャズだ、と気がついて、むしろ譜面にかじりついて演奏する姿が恥ずかしくなって来た。ブランフォードもウディも、バンドとしての信頼関係で演奏する中でのハプニングを強調している。あゝ、なんて羨ましいことだ。

『For The Love Of It All』

まず、このアルバムのジャケットをご覧頂きたい。テーブルの上のトランペットの後ろにある写真は、ウディの祖父だ。若い時に白人に殺されたのでウディは会ったことはないが、祖母から彼の人柄を聞き、たった1枚残ったこの写真を何度も眺めてこの祖父のような人物になりたいと思いながら育ったと語っていた。
このアルバムを聴いてすぐさま飛び込む印象は、ロングのピアノ演奏がRobert Glasper(ロバート・グラスパー)の影響を受けていることだ。これは意外に珍しい。グラスパーのスタイルはかなり特殊なので、彼の影響をはっきり耳にするのは初めてだった。しかもロングはライブ動画でもソロを取らない。それだけに彼の演奏がウディの音楽の鍵を握っていることがはっきりと浮き出ている。だが、サウンドの中での立ち位置はグラスパーのそれと全く違うところが面白い。グラスパーの演奏は彼のサウンドの推進力だが、ロングはむしろウディのサウンドのキャラクターを決定する役割を果たしている。ちなみに、このアルバムではウディ以外誰もソロを取っていない。ウディとドラムのフィリップスは倍のテンポでソロを取り続けているようにも聞こえる。やけに新鮮なサウンドなのだ。Blue Note発表のこのアルバムのプレス・リリースを手に入れたので、それぞれの曲を意訳してご紹介する。
トラック1:<Never Gonna Run Away>

ロングの美しいピアノで始まるこの曲のタイトルは「絶対に逃げたりしない」という意味で、ウディのマントラだ。ウディとフィリプスの倍テンポ演奏が短く入り、落ち着いたところでゲストのImani-Grace Cooper(イマニ・グレース・クーパー)が7小節フレーズ + 9小節フレーズという変則フォームでタイトルのフレーズを繰り返し歌う。ウディの作曲スタイルの凝縮だ。この曲は日曜の礼拝のゴスペルを描き、Faith(信じる気持ちの維持や認識の意)を提示しているそうだ。
また、この曲はウディのボルティモア讃歌だそうで、同時に彼の「Sankofa(サンコファ)」だという。この言葉の意味は本誌No. 313、楽曲解説#102でAmaro Freitas(アマーロ・フレイタス)の『Sankofa (2021)』を取り上げた時にご紹介したのでぜひご覧ください。
トラック2:<Beyond the Reach of Our Eyes>
今回この曲を楽曲解説に取り上げたので、詳しくは後述する。早起きのウディは、朝練の前にまずポーチに出てボルティモアの街の騒音を吸い込む。そして目に見えないエネルギーを感じ、そのエネルギーで自分の音を聴衆に届けるイメージ・トレーニングをするらしい。
トラック3:<Wisdom; Terrace On St Paul St.>
ゆっくりと美しいメロディーが古いラジオから流れるように始まるこの曲のタイトルである「セント・ポール通り」はお察しの通りボルティモアを南北に走る幹線道路だ。出だしのラジオ風のEQは朝靄でも表現しているのかと思いきや、これは遠い昔に亡くなった祖父と、たった1枚残った彼の写真を表現しているのだそうだ。そして、「Wisdom」とはその1枚の写真がウディをインスパイアし続けたことを意味する。ちなみに、この曲でのサーンダースのベースが素晴らしい。他の曲と違い、ベースもウディとドラム同様の倍のテンポになっており、ピアノだけがしっかりと基盤を支えている。その中でサーンダースはカウンター・ポイントではなくソロ・フィルを応酬するが、見事に弾き過ぎに聞こえない。ぜひお楽しみ頂きたい。
トラック4:<Perseverance>
この「忍耐」というタイトルのロングとウディの共同作品はスタジオ録音中に急に出来上がった曲だそうで、タイトルの印象に反し明るくスッキリした曲だ。しかし、後半の長いヴァンプ・セクションは調性がマイナーに変わり、ウディのソロが展開して行く。結局この曲のタイトルの解説はどこにも見つからず残念だ。
トラック5:<We, Ota Benga>

この「オタ・ベンガ」にはドキッとした。オタ・ベンガとはコンゴからアメリカに連れ去られた一人の奴隷の名前で(実際はコンゴにいたアメリカ人宣教師が彼を当地の奴隷虐待から救うためだったらしい)、彼は1904年にセントルイスで開催された万国博覧会に展示され、その後ニューヨーク、ブロンクス動物園構内のサル園に展示された。抗議を受けたニューヨーク市長はベンガを解放して金を与え工員の職に着かせたが、アフリカに戻れないことを苦にした彼は1916年に32歳の若さで自殺してしまった。そして、彼の墓石すら存在しない。ウディはそんな彼のストーリーを描きたかったと語る。この曲のオープニングのウディの音色が素晴らしい。ぜひじっくり聴き込んで頂ければと思う。この曲は最後の最後まで構成が素晴らしい。ちなみに、この曲もトラック3と同様ベースはソロ・フィルなのが興味深い。これは恐らく計画的ではない。7年間も一緒に演奏していた結果、自然に反応しているのだと思う。
トラック6:<Real Love, Pt. 1>
この曲もロングとウディの共同作品で、Upendoとこのアルバムの総括だとウディは語る・・のだが、筆者としてはこの曲が他のトラックに比べて「普通」なことに少々驚いた。なるほど、曲自体よりこのバンドの演奏のすごいところを楽しんでくれ、と言ったところなのかも知れない。ストロポリがシンセサイザーでゲスト参加しているとクレジットされているが、彼の活躍が聞けなかったのがちょっと残念だった。
<Beyond the Reach of Our Eyes>
このアルバムからのトラックはまだ公開されていないが、冒頭でご紹介した同曲の動画をもう一度ご覧頂きたい。実によく出来た曲であり、またこのバンドの特殊性がよく現れている。ウディとベースとドラムの音数がこれだけ多いのにカオスになっていない。この魔術に惹かれる。そして、この曲ははっきりとしたテーマ(動機)が素晴らしい構成で展開して行く。まず第一テーマをご覧頂きたい。

ご覧の様に第一テーマは3拍子が字余りのような形で2小節続くので、第二テーマの4拍子に到達した時の開放感が効果的だ。3小節目のターゲットのコードはF# Dorianで、それに対するアプローチである冒頭の音列がターゲットの半音下であるFマイナーで始まることから、ひねり感も半端ない。次に第二テーマをご覧頂きたい。

第二テーマ冒頭のF# Dorianに続くのは、第一テーマ冒頭のFマイナーに対するドミナントであるC7(#9♭13)、続いてF# Dorianと同じ調性であるE Lydianコードだが、ベース音を3度音にした第一展開形なのでマイナーの響きがする細工がされている。下からG#、B、Eだ。最後のコードはE音だけ残してその下2音を半音上げ、A、C、EでA Dorianコード。この美しい詩の様に見えるコード進行、これがウディだ。この第一テーマと第二テーマを合わせたヘッドは合わせてたったの6小節。最初の2小節が3拍子、残りの4小節は4拍子。総ビート数は22なので4で割れないから「起承転結」は成立しない。だから奇抜に聞こえ、これらのテーマを何度も再現させている。実に新鮮だ。
ヘッドが二度繰り返されたところで、ウディはこの [3/4 x 2] + [4/4 x 4] フォームそのままでインプロビゼーションに入る。Upendoの看板奏法であるトランペットとドラムの倍テンポに加え、ベースのカウンターポイント。背後でしっかりと4分ビートで全体をまとめ上げるピアノ。これがカオスにならないその理由は、ピアノ以外の全員が同じ16分ビートの位置で一糸乱れずグルーヴしているからで、もし誰か一人でもビバップの32音符フレーズを入れたら崩壊するだろうと思う。ウディのソロも自分をフィーチャーするのではなく、全員と同じ立ち位置でテクスチャーを築いている。そのテクスチャーで全員一丸となって感情表現しているところがなんともすごい。
トランペット・ソロが終わるとヘッドが2回繰り返される。たった6小節のヘッドなのに存在感が強烈だ。それが終わるといきなり第一テーマのみが2倍の速さになり、このヘッド発展形がさらに二度繰り返される。なんというインパクトであろう。

何が興味深いのか。実はこの16分音符で埋めたこの発展形フレーズの方が続く4小節の延ばした音のセクションに対するイントロに聞こえ、この曲の冒頭のセクションでの字余り感が全くない。言い換えれば、こちらの方が普通なのだ。しかも、この16分ビート対4分ビートはウディの音楽の特徴なので、ここでこれを出す、このアイデアに驚かされた。ウディ恐るべし。
第一テーマをここで発展させたので、当然この曲はまだまだ終わらない。続くセクションはヘッドの最後2拍を第三テーマとし、このAマイナーの1小節を延々2分繰り返して新しいテクスチャーを披露する。こういう単純な繰り返しを恐れず、上手に発展させて行くこのバンドの実力に感心する。
第三テーマの最後で第一テーマのみを1度再現し、クライマックス・エンディング終了かと思えば新しいテーマであるAメジャーのアルペジオが静かに始まる。珍しく全員が揃って8分ビートでゆっくりグルーヴするのでてっきりフェードアウトかと思いきや、ここから1分以上も流してからのフェードアウトだった。26歳の若さでこのような思い切った構成ができる彼の勇気に乾杯したい。これからがもっと楽しみなバンドだ。
クインシー・フィリップス、Moses Ingram、モーゼス・イングラム、ブルーベック・インスティテュート、Upendo、ユウペンド、Mike Saunders、マイク・サーンダース、マイク・ソーンダース、Quincy Phillips、ナタリー・ポートマン、Troy Long、トロイ・ロング、Imani-Grace Cooper、イマニ・グレース・クーパー、イマニ・グレース、Imani Grace、Ota Benga、オタ・ベンガ、Natalie Portman、アンブローズ・アキンムシーレ、Blue Note、Ambrose Akinmusire、Sankofa、サンコファ、Brandon Woody、ブランドン・ウディ、ブランドン・ウッディ、Vittorio Stropoli、ヴィットリオ・ストロポリ、CapitalBop、Baltimore、ボルティモア、Lady in the Lake