ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #129 Nicholas Payton & Butcher Brown『A Supreme Blue』
数週間前の2026年7月24日、Nicholas Payton(ニコラス・ペイトン)がButcher Brown(ブッチャー・ブラウン)とコラボレーションをし、マイルス+コルトレーン100年祭トリビュート・アルバムである『A Supreme Blue』を発表した。これが、まあ、すごいのなんのって。思いっきりかっこ良くてのけぞった。

まず、トラック・リストをご覧いただきたい。
- So What(ソー・ホワット)
- Freddie Freeloader(フレディ・フリーローダー)
- Blue In Green(ブルー・イン・グリーン)
- All Blues(オール・ブルース)
- Flamenco Sketches(フラメンコ・スケッチズ)
- Acknowledgement(アクノレッジメント)
- Resolution(レゾリューション)
- Pursuance(パースアンス)
- Psalm(サーム)
ご覧のように前半がマイルスの『Kind of Blue (1959)』、後半がコルトレーンの『A Love Supreme (1964)』という素敵な企画なのだ。ちなみに、『A Love Supreme』はコルトレーン作品の中で筆者が最も好きな作品だ。マイルスの方は、筆者はマイルス教の信者なので一番好きなアルバムなどは存在しない(思っても言えない)。
以前にも書いたが、マイルスの<Blue In Green>と<Flamenco Sketches>はBill Evans(ビル・エヴァンス)との共作だ。<Blue In Green>はマイルスが最初の4小節を書き、エヴァンスに渡して完成させろと言ったもの。<Flamenco Sketches>はマイルスがエヴァンスに<Peace Piece>のような曲を作ろうと持ちかけ、二人でピアノの前に座って5つのモードを構築したものだ。
Nicholas Payton(ニコラス・ペイトン)

筆者はなぜかペイトンを全く聴いていなかった。今考えてもなぜだったのかわからない。8年前、2018年6月30日(土)に友人に誘われてライブに行った。ベースのEsperanza Spalding(エスペランサ・スポルディング)とドラムのTerri Lyne Carrington(テリ・リン・キャリントン)とのトリオで、その1年と3日前に亡くなったGeri Allen(ジェリ・アレン)のACS Trioのジェリをペイトンが継いだかたちのTEN Trioだった。これはもう聞いただけで興味をそそられた。ボストンのScullers(スカラーズ)というクラブだ。エスペランサとは、彼女がバークリーの学生時代に3回ほど一緒に演奏したことがあった。1回はラジオ放送のギグで、2回はブラジル人バンドのギグだった。彼女はスペイン語が身近な環境で育ったから流暢なスペイン語を話したが、ブラジル人の中では完璧なポルトガル語を話し、ブラジル音楽でも完璧なグルーヴを生み出していた。人生不公平!正直言って、彼女に気軽に話しかけられない印象だったことを強く覚えている。
このスカラーズでのライブ、ジェリをトリビュートする<Feed the Fire>や<Unconditional Love>などを含めたセットのサウンドはACS Trioとは全く違い、思いっきり楽しませて頂いた。何せ片手でトランペットを吹きながら左手でRhodes(ローズ・ピアノ)を弾くそのかっこいいこと。そしてパンデミックに入ると、彼はブルーノートをスポンサーに付けてストリーミングを始めた。これも思いっきり楽しませて頂いた。

ペイトンは1973年9月26日、ニューオリンズに生まれた。父親はベーシスト/スーザフォン奏者のWalter Payton(ウォルター・ペイトン)、母親のMaria Payton(マリア・ペイトン)はクラシックのピアニスト/オペラ歌手。生まれた時から父親のバンドのリハーサルが行われる自宅で育ち、Ellis Marsalis(エリス・マルサリス)などのニューオリンズの著名アーティストの演奏を子守唄にして育った。4歳でトランペットを手にし、9歳で父親のバンドで演奏し始めた。
ニューオリンズの名門音楽教育機関であるNew Orleans Center for Creative Arts(NOCCA)で学び、University of New Orleansに進んでエリス・マルサリスの教育環境に入って一挙に台頭した。トラディショナルなニューオリンズのジャズを基盤にハード・バップに進んだ。18歳でElvin Jones(エルヴィン・ジョーンズ)のツアーメンバーに迎え入れられて大学を去り、『Youngblood (1992)』の録音に参加し、翌作『Going Home (1992)』に参加した時はまだ19歳だったそうだ。そして1995年に『From This Moment』でVerveからソロ・デビューした。1997年には、筆者の大好きなTheo Croker(シオ・クローカー)のおじいさんであるDoc Cheatham(ドック・チーザム:本誌No. 237、楽曲解説26参照)との共演アルバム、『Doc Cheatham & Nicholas Payton』を制作してグラミー賞を受けた。
そして1999年に『Nick@Night』で変貌の兆しを見せた。このアルバムに対する筆者の思いは少し複雑だ。むちゃくちゃかっこいいし、ペイトンの作編曲能力の凄さを堪能できるものの、アイデア自体は80年代半ばにWynton Marsalis(ウイントン・マルサリス)が『Black Codes (1985)』でやっていたことの延長だからだった。参加ミュージシャン全員がウイントンの音楽に同期しているような演奏であることに筆者が引いたのかもしれない。この次にリリースされた『Dear Louis (2000)』というLouis Armstrong(ルイ・アームストロング)へのオマージュ作品で初めて彼が飛躍したと感じた。トランペット3本、トロンボーン、チューバ、各種リードとB3やRhodesを含むリズムセクションという編成のサウンドがやけに新鮮で、しかもご機嫌なグルーヴだ。曲もサッチモの原曲を編曲しているのではなく、それぞれのサッチモの曲に対するペイトンの想いが具現化されている。
そして『Sonic Trance (2003)』だ。ご機嫌なヒップホップアルバムだ。このアルバムからはペイトンがやりたい音楽がはっきりと聴こえる。恐らく、これ以前のペイトンは周囲の期待の圧力を感じていたのではないかと思う。このアルバムは2018年に見たライブの直後に、初めて手に入れたペイトンのアルバムだった。こんなすごいアーティストを聴いていなかったのか、と我ながら呆れたものだった。もう1枚お気に入りがある。『Afro-Caribbean Mixtape (2016)』だ。これも最高に面白い。
ペイトンは実力も経歴もすごいが、見合った評価を受けているアーティストという印象ではない。「愛される叛逆児」になれなかったという彼の印象が強い。マイルスやCharles Mingus(チャールズ・ミンガス)のように、難しい人柄がかえって受け入れられたアーティストとペイトンが違うのは、やはりカリスマ性の問題だと思う。こればかりは生まれ持ったものなので、持たない者は持つ者の真似をしてはいけない、と筆者は信じる。マイルスやミンガスが暴言を吐いても流してもらえるが、ペイトンではそうはいかない。彼はユダヤ人や女性に対するネガティブな発言をし、就任したばかりだったバークリーの金管楽器部門長の職を失った。この国の文化は個人が発するネガティブな発言に敏感だ。余談だが、現大統領の影響でこの傾向が変わりつつある。他人を中傷することは恥ずかしいことだという雰囲気が薄れていくのが日に日に感じられ、危惧する。
そう言えば、マイルスの「ジャズ」というカテゴリー否定を継いで、ペイトンは「#BAM運動」を推進している。BAMとはBlack American Music、つまりアメリカの黒人音楽というカテゴリーで総括するという運動だ。今では、年配のジャズ・ミュージシャンを除き、多くの黒人アーティストから支持されている。ブラジル音楽で定着したMPB(Música Popular Brasileira、ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)と同様にBAMを定着させることに筆者は賛同する。
Butcher Brown(ブッチャー・ブラウン)

ブッチャー・ブラウンとはヴァージニア州リッチモンドを拠点とする5人組グループだ。2009年にヴァージニア・コモンウェルス大学の学生が結成したこのバンドのメンバーは、まだみんな若い。
- Devonne “DJ Harrison” Harris(デヴォン・“DJハリソン”・ハリス): キーボード、プロデュース、マルチ楽器
- Corey Fonville(コーリー・フォンヴィル): ドラムス
- Andrew Randazzo(アンドリュー・ランダッツォ): エレクトリック・ベース、作曲、編曲
- Marcus “Tennishu” Tenney(マーカス・“テニシュー”・テニー): トランペット、サックス、ヴォーカル、MC
- Morgan Burrs(モーガン・バーズ): ギター
マーカス・“テニシュー”・テニーは、トランペットとサックスの持ち替えにはすごいものがある。アンブシュアが全く違う。世の中にはすごい輩がいるものだとつくづく思う。しかもラップはするし、作詞も彼だ。このバンドの音楽は、同郷のD’Angelo(ディアンジェロ:本誌No. 331、楽曲解説#120参照)のネオ・ソウルの影響を強く受けながらもジャズやファンク、フュージョンなどを幅広く融合させた音楽で知られている。即興性はかなり強く、同じ曲が同じように演奏されることはないのだそうだ。彼らは自分たちの音楽を「Solar Music」と呼び、「太陽の下にあるあらゆる音から影響を受ける音楽」とし、「ジャンル名を付けないために作ったジャンル名」と説明している。ご興味がある方はぜひこの筆者のお気に入りの動画をご覧ください。(YouTube → )
『A Supreme Blue』
今回の楽曲解説ではいつものようにアルバムから1曲を選ぶのではなく、アルバムを丸ごと取り上げて彼らならではの料理法と原曲の解説を取り混ぜることにする。
それぞれのトラックを簡単に説明する。1トラック目は<So What>だ。この曲はご存じの通り、Paul Chambers(ポール・チェンバース)が弾くヘッド(日本ではテーマ)と、マイルス、Cannonball Adderley(キャノンボール・アダレイ)、コルトレーンの3管がコール&レスポンスで入るラインがテーマになっており、どちらのラインも1フレーズ聴いただけでこの曲だと分かるほど強力なキャラクターだ。しかし、ペイトンとブッチャー・ブラウンは、なんとGil Evans(ギル・エヴァンス)が書いたというこの曲のイントロをテーマにした。まあ、そのかっこいいこと。採譜した。

2トラック目はお馴染みのブルース曲、<Freddie Freeloader>だ。ここでいきなりコーリー・フォンヴィルのドラムの素晴らしさに思わず椅子から落ちる。このドラムパターンはかなり斬新だ。採譜した。

赤で示したスネアがバックビートだ。つまり、2拍目と4拍目に入るはずのバックビートが、1小節目の後半と2小節目の前半で半拍後ろにズレており、そうすることによってバックビートの打ち下ろすビートと反対の跳ね上げるビートになっている。普通ならこれは筆者の嫌いなタイプのビートだ。踊れなくなるからだ。以前にも書いたが、バックビートとは、黒人のご機嫌な歩き方の象徴だ。跳ね上げてしまったらまるで何かに躓いたように踊れなくなる。普段グルーヴ系の音楽を演奏しないジャズ・ドラマーにこの傾向が強い。自由に演奏して音楽的な味付けをすることに慣れているからだ。反対にグルーヴ系のドラマーはひたすらグルーヴを提供し、余計なオカズは入れない。コーリー・フォンヴィルはこのつまずきパターンで見事にグルーヴしている。しかも余計なオカズは入れない。このドラムを聴いているだけで楽しくなってしまう。
3トラック目の<Blue In Green>はDaft Punkの<Nightvision>の現代風ボサノバのリズムを使用しているそうだ。ただし、Daft Punkよりボサノバ色は薄い。最初の2コーラスはモーガン・バーズのなんとも不思議なタイム感のギターソロで、その後ペイトンがヘッド → ソロと入るのだが、ここでの彼の演奏がすごい。本当に素晴らしいトランペッターだと思わせる演奏だ。これに続くテニシューのテナーソロがびっくり仰天なのだ。それは、フォームが2倍の速さで進むから、え?え?え?となる。
このマイルス/エヴァンスの名曲は半端な10小節フォームだ。起承転結の4小節+4小節+エピローグの2小節=10小節という構成だ。それがテンポを維持したまま2倍の速さで進むと5小節のフォームになる。耳は起承転結の4小節を維持するから、最後の5小節目がどう聴いても字余り小節になるのだ。ご覧いただきたい。

なんとも摩訶不思議なサウンドだ。ここでテニシューは見事なテナーソロを披露してくれる。
4トラック目の<All Blues>は、原曲の3拍子に対して、なんとアフロ・キューバンの4拍子のコンガで始まり、ペイトンのカリンバでアフリカ色を出す。アフロ・キューバンなのでタイム感は興奮のオン・トップ・オブ・ザ・ビートだ。そこにコーリー・フォンヴィルのドラムが加わると、彼のビートはハウス系だ。ここでまた、え?え?え?となる。音量が下がっているとは言え、コンガのループは消えていない。それなのに一体どうしてタイム感がズレないのであろうか。何度聴いてもわからない。コーリーは決してオン・トップ・オブ・ザ・ビートではない。もちろんビハインド・ザ・ビートでも叩いていない。まさにピッタリ合って気持ち良いグルーヴを提供している。コーリー恐るべし。
5トラック目は『Kind of Blue』の最終曲、<Flamenco Sketches>で、『A Love Supreme』に移行する素敵な間奏曲となっている。<All Blues>とは反対に、オリジナルのゆっくりした4拍子のバラードを、彼らは3拍子のジャズ・バラードとして、少し速めに演奏している。マイルスとエヴァンスが構築した5つのモードを書き出してみる。
- G Mixolydian
- A♭Mixolydian
- B♭Ionian
- D Mixolydian ♭9、♭13
- G Dorian
実は、この曲は理論的に非常に重要な意味を持つ。マイルスが考えていたモード・ジャズの完成版であると筆者は信じる。まず、このモードの並びを解説する。G MixoはC Majorのドミナント・スケールだ。つまり、C Majorに解決したい、というサウンドで機能するコード・スケールだ。ところがマイルスはこれを調性から切り離した。ちなみに民族音楽では珍しくはないことなのだ。その理由はほとんどの民族楽器には調性に制約があるからだ。言い換えると、民族音楽では転調がほとんどないので機能和声が必要ではない。だから単一のモードが独立している。モードを調性から切り離すとアヴォイド音(和声機能を破壊する音)も消える。つまり、解決する機能が消え去ったので、解決を妨げるアヴォイド音も消える、ということだ。マイルスはこのような自由を求めていた。
次のA♭Mixoは第一モードの半音上で、たった半音上がっただけなのに、5度圏では5ステップ内向移動した(本誌No. 234、楽曲解説#23参照)。第三モードはB♭メジャースケールだ。第二モードから、今度は3ステップ外向移動したので、浮上感が強い。さて、第四モードだ。ここでMixoにオルタード・テンションである♭9と♭13を使用したモードが登場する。当然、これが起承転結のクライマックス部分だ。そもそもオルタード・テンションというものは解決感を強調させるためにある。それをマイルスはあたかもスパニッシュなサウンドを生み出すかのように使用している。スパニッシュと言うとPhrygianモードだ。エヴァンスはスパニッシュ・モードのようなヴォイシングをしているが、マイルスは明らかにPhrygianを想定したような音は使っていない。ここがマイルスのすごいところなのだ。特筆したいのは、このモードは機能和声として最後のG Dorianに解決するドミナントなのに、彼らは全く独立したモードとして演奏している、ということだ。これはバンドメンバー全員がマイルスの意図を理解しているということだ。そして、最後のG Dorianがおしゃれだ。これは頭のGペダルの再利用だ。つまり、起承転結なら4セクションだろうが、この曲は5セクションなので、5つ目と1つ目を同じペダル音にし、モード上でたったの1音、B♭/B音が変わるだけで頭に戻った時に5度圏を1ステップ登って開放感を出すという巧妙な仕組みなのだ。マイルス恐るべし!
6トラック目、『至上の愛』の一曲目の<Acknowledgement>が始まる。コルトレーンの原曲は、当時ジャズ界で流行ったアフロ・キューバンだった。Elvin Jonesの「お仕置きビート」とJimmy Garrison(ジミー・ギャリソン)の、あの一度聴いたら忘れられない、この曲のテーマでもあるベースラインと、McCoy Tyner(マッコイ・タイナー)の素晴らしいコンピング(伴奏)。強力だ。元々このペイトン+ブッチャー・ブラウンの『A Supreme Blue』プロジェクトは、ペイトンがブッチャー・ブラウンのステージに飛び入りしてこのテーマを吹き始めたことから始まったのだそうだ。そしてこのアルバムでは、いきなりコーリー・フォンヴィルの、2-3ソン・クラーベのようなグルーヴで始まる。全体のグルーヴはハウスビートだ。そうか、このアルバムの魅力はハウスビートとクラーベのハイブリッドなのかもしれない。ペイトンは<Freedom Jazz Dance>などのテーマを匂わせながらかっこいいソロを進めて行く。
7トラック目の<Resolution>は筆者が最も愛聴するコルトレーンの曲だ。これに関しては本誌No. 243、楽曲解説#32で『Both Directions at Once: The Lost Album』を取り上げた時にも触れた。ペイトンはギャリソンのベースラインをRhodesで演奏して、全く別の曲のように聴こえさせている。ドラムはディスコ・ビートのfour-on-the-floorでダウンビートを叩きつける。まあ、そのかっこいいこと。ここでのペイトンのタイム感は、キーボードのDJハリソンやギターのモーガン・バーズの恐ろしく遅れる(レイドバックではない)タイム感を継承している。この不気味なタイム感が彼らの特徴なのだと思う。筆者はこれにまだ慣れていない。但し、彼らはライブで同じ曲を演奏する時にはこのようなタイム感を出していないところが興味深い。(YouTube → )
さて、この曲の目玉はヘッドだ。イントロが終わるとリズムパターンが一新される。スネアがサンバの匂いのするパターンになるが、もちろんタイム感はブラジルと無関係だ。ペイトン本人は、これを「トニー・アレン系のアフロビートを思わせるシンコペーション」と言っているらしい。このヘッドで特筆すべきは、メロディーに対するコードと、その位置だ。採譜した。

8トラック目は、あの、エルヴィンのドラムソロから始まる炎上の<Pursuance>だ。当然、ブッチャー・ブラウンもコーリー・フォンヴィルのドラムで始める。だが、コーリーのグルーヴはDnBとラテンを合わせたような豪快なグルーヴだ。かっこいい。ベースが入ると、いきなりモザンビークだ。そこにギターがハーフ・タイム・フィールでコードを流す。マッコイのガンガン押しまくる原曲とは正反対だ。何でも、スタジオでアンドリュー・ランダッツォがこのベースラインを弾き始めると、ペイトンがテープを回せと言って録音したテイクだという。だとすると、このベースラインにこのドラムのグルーヴを即座に考え出したコーリー・フォンヴィルの才能が尋常じゃない。すっかり彼のファンになってしまった。ところで、このトラックは、何とペイトンもDJハリソンも参加していないだけでなく、エフェクトもコントロール・ルーム側でのリアルタイムで、後処理ではないのだそうだ。
9トラック目、最終トラックの<Psalm>はガラッと雰囲気が変わる。原曲は、コルトレーンがテナーで朗読した祈りの言葉だった。ペイトンはそれを実際に「神さまありがとう」と声に出した、の、だが、その前に、ベースが<Acknowledgement>を色っぽく再現しているサウンドに興奮する。ペイトンがヴォコーダーにアタックの強いコンプレッサーをかけてパーカッシブなサウンドで歌い、バンドメンバーが生の声でペイトンの言葉を復唱し、全員が祈りを捧げる、という構成だ。ピアノとコーラスが要所々々でユニゾンなのが実にお洒落だ。ちなみに、このアルバムの締めくくりのトラック、このサウンドで軽く流して余韻を残して終わるのかと思いきや、全く違った。ペイトンのヴォコーダーは当然Rhodesに通しており、これはペイトンが延々とソロをとる曲なのだ、とすぐに気が付く。恐らくコーラスはさすがに後付けだと思う。9分過ぎたあたりで徐々にコーリー・フォンヴィルのドラムのグルーヴが深くなり、全体の音量も音数も変わらないのにどんどん盛り上がっていく。これには驚いた。コーリー・フォンヴィル、実に恐るべし。
最後に、こちらの動画をお楽しみください。彼らは同じ曲目で動画を発表しているが、このアルバムの録音とは別物で、聴き比べると実に楽しい。






