#2330 『sara (.es), ナカタニタツヤ, 大友良英, 磯端伸一, 美川俊治 / Soul Boat』
text by 剛田武 Takeshi Goda
CD : Nomart Editions NOMART -128
sara (.es) : piano, percussion
ナカタニタツヤ Tatsuya Nakatani : percussion
大友良英 Otomo Yoshihide : guitar
磯端伸一 Shin’ichi Isohata : guitar
美川俊治 Toshiji Mikawa : electronics
1. Soul Boat #1 sara (.es), Tatsuya Nakatani, Otomo Yoshihide
2. Soul Boat #2 sara (.es) & Shin’ichi Isohata
3. Soul Boat #3 Otomo Yoshihide & Toshiji Mikawa
4. Soul Boat #4 Tatsuya Nakatani, Otomo Yoshihide,Shin’ichi Isohata, Toshiji Mikawa
Recorded live at Gallery Nomart in Osaka on 13 Jan. 2024 during Nana Kuromiya’s
solo exhibition Vessel of the Soul.
ギャラリーノマルの黒宮菜菜個展 “たまのうつわ” 会場でのライブ・レコーディング
Art direction and production: 林聡 Satoshi Hayashi
Cover art: 黒宮菜菜 Nana Kuromiya “ Soul boat #5/魂の船 #5 ”, 2023
Recording and mastering: 宇都宮泰 Yasushi Utsunomia
Liner notes: 清水穣 Minoru Shimizu
Translation: クリストファー・スティヴンズ Christopher Stephens
Design: 冨安彩梨咲 Arisa Tomiyasu
天然音楽のプレイグラウンド。
ネットで瞬時に情報が拡散されるこの時代、情報量の多さが我々の幸せにつながるとは言いきれないことは誰もが感じているだろう。自戒を込めて言えば、音楽を聴く際に事前情報が自由な鑑賞の妨げになっている場合もあるのではないだろうか。例えば「伝説のミュージシャンの失われたはずの未発表音源が奇跡的に発掘され、最先端の技術により驚異的なハイクオリティで復刻、この壮絶な演奏は間違いなく最高傑作」という宣伝文句に嘘はないと思うが、きらびやかな形容詞に彩られた過剰な情報量に、聴く前におなか一杯になってしまわないだろうか。実際に音を聴いて「すごい!」と思ったとしても、それは情報によって誘引された過大な連想でないと言い切れるだろうか。
筆者自身も初めて音楽に興味を持った十代前半から、レコードを買うときに雑誌のレビューや評論を拠り所にしてきたのは事実である。それによっていろんな音楽に出会うことが出来たが、今ほど情報が揃っていない時代だったので、興味を持ったミュージシャンについては国内外の新聞や雑誌を調べたり、レコード・ジャケットのクレジットから推理したりして、試行錯誤しながら深く掘っていく喜びを感じてきた。動画サイトのない時代だから、雑誌に載ったライヴ写真を眺めてどのように演奏をするのか想像して楽しんだ。もちろん「必聴の名盤100枚」などのガイドはあったが、逆にそこから外れた作品を探すことに楽しみを見出した。
しかしインターネットや動画サイトや音楽サブスクが普及してメジャー/マイナーの区別なく大量の情報が飛び交う現代、音を聴く以前に、知らなくてもいい/知りたくなかった情報までインプットされてしまっていると感じることは否めない。その責任の一端は筆者のようなおせっかいな道楽者が独断と偏見で書き散らすレビュー記事にあることは認めなければなるまい。では、事前情報や先入観なしに心をタブラ・ラサ(白紙)にした状態で音楽を受容することはできないだろうか。そう考えて今回、作品コンセプトや制作メソッドや演奏者プロフィールの情報量がひときわ大きいこの作品を、既存の情報を一切交えずに論じてみることにした。この試みにより、隠された作品の本質に迫り、同時にリスナーの自由な鑑賞のヒントとなれば幸いである。
1. 金属質なギターのフィードバックと、金物を擦るノイズと、コズミックなピアノが交互に追いかけっこする。個々の楽器が転がるビー玉のようにぶつかり合う乾いた音が心地よい。演奏が激しくなっても音の分離がいいので喧しさはない。おそらく演奏者は感情に押し流されることなく冷静な判断力をキープしたままプレイしているのだろう。聴くほうも音像の無重力感に方に身を任せて、感性を自由に遊ばせておけばいい。
2. コインが床に落ちるような音とノスタルジックな音色のギターによる静かな演奏。雨粒のようなピアノの打音に、子供の頃、黄昏時に遊び疲れて家に帰る道すがら感じた一抹の物寂しさを思い出す。メロディやコード進行が存在しないアブストラクトな演奏故に喚起される感傷の深みに浸る心地よさ。
3. 歪んだギターとガジェット感のある電子音の絡み合いから壊れたスペースインベーダーゲームを連想する。虚ろな空間に響くプリミティヴな音像は、古いSF映画のキッチュなサウンドトラックに似ていないだろうか。得てして耳を圧する爆音が魅力と言われるノイズ演奏がこんなに可愛らしくキュートに聞こえるのは、筆者の聴力の衰えに起因するものではなかろう。爆音ハラスメントとはおさらばして、高周波数のユニゾンで聴覚をマッサージしていたい。
4. 子供たちが砂場で穴を掘ったり水を撒いたり泥団子を作ったり、それぞれ好き勝手に遊ぶように、何人かが気の向くままに音遊びを繰り広げる。時々行き過ぎる者がいるが、誰かが諫めたり不平を申し立てたりすることはない。子供の世界と同じく不文律のルールがあるようだ。どんな人間がどんな楽器でどんな演奏をしているのか意識しないで聴くのが新鮮。
ここは天然音楽家が集うプレイグラウンド。自分の遊びに夢中になり過ぎなければ、次第に周りに興味を惹かれ、お互いにちょっかいをかけ合ううちに、自然発生的に共通意識が生まれる。動物にせよ人間にせよ、集団意識の出発点として遊びがあるに違いない。そのドキュメントとして聴いてみるのもまた一興。(2024年6月30日記)
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