#2335 『中村泰子/ Day In Day Out』
text by Masahiro Takahashi 高橋正廣
DAY IN DAY OUT Yasuko Nakamura Live at ALFIE ¥3,000
中村 泰子(Vocal)
リンヘイテツ(Piano)
吉田 豊(Bass)
村上 寛(Drum)
<01> But Beautiful
<02) Round Midnight
<03> For All We Know
<04> Body and Soul
<05> When October Goes
<06> House is Not a Home
<07> At Last
<08> Day In Day Out
<09) P.S. I Love You
Produced by Yoko Hino 日野容子
先日、思いがけず「HAL & Panda」という2人の女性による和製ゴスペル・デュオのライヴに接する機会があった。声量豊かに黒人霊歌のディープなフィーリングを説得力たっぷりに伝えるPanda嬢の歌唱は素晴らしかったが、それ以上に凄かったのがHAL嬢。その唄声は聴衆の中に沁み込んで深い情感 (deep emotion) を呼び起こすことに止まらず、聴衆から発せられる感動をHALが逆に受け止めてゆく包容力に満ちていて、こちらはHALの唄声を聴いている筈なのにHALにこちらの感動を聴いて貰っているという ”感動のフィードバック現象” が起こっているという希有の体験をさせてもらった。
さて、人類最古の楽器であるヒトの声は当然ながら声紋分析をしても100人いれば100通り違うわけで、その声質によって聴き手は己の情感を揺さぶられる。それが眼前で生の声を聴くライヴという条件下では更に顕著になるものだ。スイート、ハスキー、クリア、ディープ、ウォーム、コケティッシュと声質を形容する言葉は様々だが、それがもたらす効果もまた様々。
そしてもう一つ忘れてならないのがウタには当り前だが歌詞があるということ。ウタが誕生してからスタンダードとして定着するには歌い手のみならず聴き手の支持、共感を得る長い歳月を要する。そして歌手の歌詞への感情移入の鮮度が最も顕著となるのがライヴということになる。歌手は歌詞に情感を乗せ、聴き手は歌手の表情や仕草を含めて自分の中に感動が醸成されて、それが聴き手から歌手へ伝わり更に両者のエモーションが高まってゆくというインタラクティヴな循環現象こそがヒトが唄に感動する所以だろう。
中村泰子は1969年山口県岩国市出身。高校時代からコンテストに出場したことを契機に作詞・作曲を手掛ける。卒業後は西日本を中心にホテルやパーティラウンジで唄い始める。当初はロック、ポップスとジャンルを問わず唄っていたがあるときエラ・フィッツジェラルドの唄う<Close To You>を聴いて本格的にジャズ・ヴォーカルへ挑戦することを決意し、広島を拠点に西日本のライヴハウスで活動を展開。2000年、ギタリスト廣木光一とのDUOでファーストアルバム『歌集~buquet』をリリースして、2002年からは活動の拠点を関東に移し、都内のライヴハウスなどで演奏活動を行っている。
さて本作品「Day In Day Out」は昨年の11月に六本木のジャズハウス「ALFIE」におけるライヴ・アルバムである。歌手の実力を知るにはライヴが一番というがここに収録された曲目は誰もが知る有名スタンダードがずらりと並ぶ。それ故に中村泰子という個性がどのようにスタンダードを唄いこなして行くのか(正確に言えば感情移入していくのか)を知ることだ出来るだろう。
<01> But Beautiful ファースト・コーラスをリンヘイテツのピアノがライヴ会場の空気を清浄化してゆく。彼のピアノを聴くのは初めてだったがしっかりと抑制されたリリシズムを感じる。その”露払い”を受けて中村のビタースイートな唄声が流れだす。Johnny Burke作詞、Jimmy Van HuHeusen作曲の恋の機微を唄ったラヴソングを、リンヘイテツのスインギーなピアノに乗せて中村は敢て感情移入を避け淡々と達観した語り口を聴かせる。
<02) Round Midnight 言わずと知れたT・モンクの代表的傑作。歌詞はBernie Hanghenが書いている。失恋を唄ったスタンダードはあまたあるが、その中でもジャズナンバーとして突出した1曲がこれだ。よくコントロールされた中村のエロキューションが真夜中のムードを湛えつつ独自の表現力で迫る。
<03> For All We Know 筆者のフェイバリット・ナンバーの一つで、明日には別れゆくという成就しない悲恋を描いた1930年代のラブバラッドの傑作。リンヘイテツの伴奏でヴァースから唄い出す中村の絶唱。悲恋を抑制的に表現する諦観にも似た歌詞解釈の深さがここに結実している。中村の声の背景にある彼女の人生の機微を重ねた歳月が見えて来るようだ。 リンヘイテツのソロも哀切な情感に溢れている。
<04> Body and Soul 唄物スタンダードの定番曲ながらインストの名奏も数多いこの曲、愛する人へ身も心も捧げるといった内容でビリー・ホリデイの決定的名唱で知られるが、中村の歌唱は感情過多になる直前でとどまることで凄味を感じさせる。凄味と言えば間奏での吉田豊のベースソロも圧巻のパフォーマンスを聴かせている。
<05> When October Goes Barry Manilow作詞、Johnny Mercer作曲。マーサーの未完成の遺作をマニロウが補完して出来上がったこの曲は重い内容をもったもので、人間観照のようなディープな情感を感じさせる中村の歌唱が感動的だ。
<06> House is Not a Home 稀代のヒットメーカーBurt Bacharachらしいハート・ウォーミングな作品。HouseとHomeの違いを恋の場面として描いたこの曲を、中村はリンヘイテツのリリカルにコントロールされたピアノだけを傍らに心温まるばかりに唄い上げる。彼女の脳裏に過るのは自身の暖かい「家」への想いなのだろうか。
<07> At Last この曲はHarry Warren作。ブルージーなピアノのイントロに一瞬失恋ソングを思ってしまうが、R&B歌手のEtta Jonesが唄った、最後には幸せを掴むというラヴソング。ブルース・フィーリングたっぷりの中村、それに輪を掛けてブルージーなリンヘイテツとライヴならではのパフォーマンスだ。
<08> Day In Day Out 作詞はRube Bloom、作曲はJohnny Mercerで中村のご贔屓曲という。リンヘイテツのオールド・ファッションなテイストを漂わせるイントロから、中村は恋の喜びを唄ったこの曲を全身で表現する。途中、吉田のソリッドなベースソロが曲のムードを巧みにチェンジしていてアレンジの妙を感じさせる。
09) P.S. I Love You 作詞はJohnny Mercer、作曲はGordon Jenkinsでビートルズの楽曲とは別物。手紙の追伸には必ず「愛しています」と書くという女心を中村は切々と唄い上げ、ラストは中村のメンバー紹介を経てライヴはエンディングを迎える。最後に全曲を通じて安定したパルスを送り続けてメンバーを鼓舞する大御所村上寛の包容力のあるドラミングが屋台骨を支えていることにも触れておきたい。
インティメットなライヴハウスという空間でオーバー・エモーションにならず、歌詞のディグニティを大切にしつつ己の人生経験を淡々と自然に唄い込むというプロセスによって、中村泰子の人生経験がもたらしてきた喜怒哀楽、エモーションが時間という濾過装置を経て、全人格的な存在感で聴き手に迫って来る。前述のHALの唄声とオーヴァーラップして来る中村泰子が今筆者のスピーカーの前に立っているのだ。