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CD/DVD DisksNo. 319

#2353 『カラパルーシャ・モーリス・マッキンタイア / Rivbea Live! Series, Volume 1』

Text by Akira Saito 齊藤聡

NoBusiness Records NBCD 169
https://nobusinessrecords.com/rivbea-live!-series-volume-1-sam-rivers-kalaparusha-mcintyre-malashi-thompson.html

Kalaparusha Maurice McIntyre (tenor saxophone, clarinet)
Malachi Thompson (trumpet)
Milton Suggs (electric bass)
Alvin Fielder (drums)

1. Unidentified Title I
2. Unidentified Title II
3. Unidentified Title III

Recorded July 12, 1975 at Studio Rivbea, 24 Bond Street, NYC
Remastered by Arūnas Zujus at MAMAstudios, Vilnius, Lithuania
Photos by Thierry Trombert
Cover art and design by Jeff DiPerna
Liner notes by Ed Hazell

カラパルーシャ・モーリス・マッキンタイアの音楽活動のルーツはシカゴであり、9歳のときからクラリネットとサックスを学んだ(*1)。そしてAACM(Association for the Advancement of Creative Musicians)の精神に強く共鳴し、メンバーとなった。そのわりにさほど聴かれているとは言えないが、それはかれの活動が歴史と化した現在の話にすぎない。じっさい、1972年にAEC(The Art Ensemble of Chicago)がスタンディングオベーションを受けたというアン・アーバー・ブルース・アンド・ジャズ・フェスティヴァルにはカラパルーシャも登場し、非常に高く評価されている。

「ディフダ(*2)のブラックユーモアや皮肉のセンスは、ごつごつしてはいるが純粋なリリシズムとせめぎ合っている・・・。かれが組み上げる内部の論理はつねに桃の種くらい固く、つねにキュビストのヴィジョンのようなドラマチックなものに衝き動かされている。」(*3)

その後、かれはニューヨークに移り住み、ロフト・ジャズのコミュニティに身を置いた。マンハッタン南端に形成されたアーティスト村において、アフリカ系アメリカ人の芸術的価値観を共有する表現活動である(*4)。サックスのサム・リヴァースが開いたスタジオ・リヴビーも代表的なロフトのひとつであり、そこで76年5月に開かれた祭典を記録したレコード『Wildflowers』のトップバッターがカラパルーシャであったことは記憶しておいてよいだろう。同スタジオで7月に開かれた「Summer Music Festival 76」にもラインナップされている。紛れもなく、かれはロフトの顔のひとりだったのだ(*5)。

本盤の音はその直前、75年の7月にスタジオ・リヴビーで録られたものだ。1曲目の冒頭、ミルトン・スラッグスのベースによるイントロダクションのあとにおもむろに入るひしゃげた音に驚かされる。逸脱を繰り返しながらひたすらにアタックを続ける力はなんだろう。ここでは重量と速度、脱出と帰還、熱狂と思索という対照的な要素がつねに共存している。音色はスモーキーで粘っこいが、ひとつところにとどまることがない。マラカイ・トンプソンのトランペットを仲間として惜しげもなく披露する2曲目のふらふら走行も、3曲目の地面すれすれの擾乱も、またすばらしい。ピッチの意図的なずれはユーモアにもつながっている。

たとえば、電池切れを知らず爆走するフレッド・アンダーソン、ブルース感が充満するヴォン・フリーマンやアリ・ブラウンやハナ・ジョン・テイラー、個人作業を臆面もなく世界に拡張するロスコー・ミッチェルなど、AACMならではの傑出したサックス奏者は少なくない。竹田賢一も、シカゴにおけるカラパルーシャらのブルース演奏体験を貴重なものだったと指摘している。すなわちそれは「遅れている」都市で獲得された肉声であった(*6)。そして聴き込んでいくと、カラパルーシャの個性も他の面々にまったく引けを取るものではないことがわかる。つまり他の誰かを参照することに意味を見出せなくなる。

1981年に『Ram’s Run』を吹き込んでからしばらくの間、カラパルーシャはシーンから姿を消し、厳しい生活を送った。毎日のようにニューヨークの地下鉄のホームで吹いてもいた。批評家・CIMPレーベルのプロデューサーであるロバート・ラッシュのもとに本人からの電話があったのは1997年秋のことだ(*7)。翌年に吹き込まれた『Dream of – – – -』からは、やや浄化されたような音色とともに失われていない個性が伝わってくる。2001年の『The Moment』では<Hangin’ by a Threadgil>という曲を演奏していることにも注目すべきだ。明らかに、「hang by a thread」(危機一髪)にヘンリー・スレッギルの名前をかけたものであり、スレッギルがその時期に展開していたようにチューバを使ったサウンドを展開している。復活後もAACM仲間の野心的なサウンドから触発され、前に進もうとしていたのだ。

つねに先を見つめつつもその音が自分自身のものであることは、2010年にダニーロ・パッラが最晩年のカラパルーシャを撮ったドキュメンタリー映像『Closeness』を観ても強く印象付けられる。74歳にしてなお地下鉄構内でテナーを吹き、かれにしか出せない音を放っていたのである(*8)。

音が人である以上、本盤に収められた演奏だけが最上のものだと言うことはできない。だが、この音も聴くべきである。

(*1)カラパルーシャ・モーリス・マッキンタイア『Forces and Feelings』(1970年録音)の本人によるライナーノーツ
(*2)かれの戸籍名はモーリス・ベンフォールド・マッキンタイアであり、アフリカ名としてカラパルーシャ・ディフダを名乗っていた。
(*3)ジョン・リトワイラーによる『Down Beat』への寄稿(所収:ジョージ・ルイス『A Power Stronger than Itself』、The University of Chicago Press、2008年)
(*4)アンドリュー・シリル『Junction』(1976年録音)への筆者によるライナーノーツ(2023年)
(*5)ロフト・ジャズが上からの統合された運動でなかったことは重要である。アーサー・ブライス(サックス)はロフトのシーンで活動したひとりだが、『Wildflowers』は「一つの収奪だと感じた」という理由で加わらなかったのだと話している(スティーヴ・リードによるインタビュー、『季刊ジャズ批評』28、1978年)。
(*6)カラパルーシャ『Kwanza』(1977年録音)への竹田賢一によるライナーノーツ(1978年)
(*7)カラパルーシャ・モーリス・マッキンタイア『Dream of – – – -』(1998年録音)へのロバート・ラッシュと本人によるライナーノーツ
(*8)ダニーロ・パッラ『Closeness』(2010年)

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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