#2401 『BOCCO / The World』
text by Masahiro Takahashi 高橋正廣
『BOCCO / The World』
地底レコード B113F ¥2,750(税込)
石渡明廣 Guitar
松原慎之介 Alto Sax
落合康介 Bass
斉藤良 Drums
- Wednesday
- Round Steps
- 凪
- A-Zone
- Cypher
- Grandpa’s Dream
(All composed by Akiriro Ishiwatari)
Executive Producer Mitsutoshi Yoshida
Recording Date: 2024-12-16
Live at CLOP CLOP in Nishiogikubo, Tokyo
アルトサックスのポール・デスモンドは自己のリーダー作で何故ピアニストを起用せず、ギタートリオを選択したのか。非常に興味深い謎の一つなのだが、敢て筆者なりに推論を立ててみたい。彼の履歴書を眺めればその最大のキャリアとしてデイヴ・ブルーベックのサイドマンだったことが挙げられよう。「スイングしないピアノ」と揶揄されたブルーベックは頑なに自分のスタイルを貫くタイプだったに違いない。バックに回った時のブルーベックのブロックコードによる硬く鈍重な和声に縛られることにデスモンドは耐えられなかったのではないだろうか。
それに引き換え、ジム・ホール(g)をパートナーに据えたデスモンドのワンホーンの諸作ではギターの奏でるハーモニーの緩さから自由闊達で流暢なプレイを展開しており、それらは傑作揃いと言って良い。アルトサックスとギタートリオというフォーマットの持つ可能性、魅力を引き出したことはひとえにデスモンドの功績なのだ。
さて本作品、BOCCOというグループ名が意表を突く。このグループ名は偶々彼らを聴きに来ていたギターの秋山一将が名付け親というが何と凸凹から採ったネーミングらしい。それは石渡明廣、落合康介、斉藤良の3人が2021年に結成したトリオが受け皿(つまり凹の形)となって毎回ゲストを呼んで一期一会の演奏をするというスタイルから名付けられたものだとも。ある時、ゲストとして呼んだ松原慎之介とのプレイでレギュラーメンバーとして落ち着こうということでメンバーが固まったという。そしてもうひとつ、CDの帯の惹句が振るっている。「水曜日、私は暗号化された祖父の夢を探してA地区の螺旋階段から凪の海を眺めていた」。つまり収録された6曲のタイトルを網羅した一文になっているのだ。
更に本作品がインディレーベルの雄としてその旗艦グループである「渋さ知らズ」を筆頭にアヴァンギャルド、コンテンポラリーなどのスタイルを中心に30年の活動を誇る地底レコードによってリリースされていることから自ずとその音楽的テイストが想像されよう。
石渡明廣は1958年神奈川県横須賀市生まれ。小学校時代から始めたジャズギターとドラムという二刀流を貫いて片山広明(ts)、梅津和時(as)のグループなど数多くの進歩的なミュージシャンと共演を続けてきた。所属する「渋さ知らズ」では多くの楽曲を提供する等中心メンバーとして活躍している他、自身のグループを率いて今や日本のギタリストの中でも屈指の存在。
松原慎之介は1997年北海道札幌市生まれ。ジャズファンの母親の影響でジャズに興味を持ち、9歳の頃サックスを始める。最初からビバップを演りたいと思ったという早熟ぶりで、北海道グルーブキャンプ2013にてバークリー音楽大学5weekプログラムの奨学生の権利を貰い同年の夏に留学。その後、洗足学園音楽大学を首席で卒業した気鋭のアルト奏者。
落合康介は1987年神奈川県鎌倉市生まれ、幼少よりクラシック・ピアノを手がけ、親戚でもあるジャズピアニスト中山静雄の影響でジャズを聴くようになり、学生時代にコントラバスを始める。都内のジャズスポットでその強靭なベースワークを披露する傍らモンゴルの馬頭琴をも手掛ける現在、埼玉県中本市でジャズ喫茶「中庭」を開いて地元でも旺盛な活動をしている。
斉藤良は1978年広島県広島市生まれ。7歳から和太鼓、12歳でジャズドラムに転向。16歳でドラマーとしてプロデビュー。19歳で上京後は鈴木勲、本田竹広、高橋知己、加藤真一等のグループに参加。2010年、初のリーダーバンド「秘宝感」を結成し、同年アルバムリリース。その後はジャズやブラジル音楽を中心に、小野リサ、saigenji、orange pekoe、tryphonic、松下美千代Trio、DOMADORAなど多岐に渡る活動を展開。
この気鋭の4人と地底レコードとの関係で触れるべきはやはり中央線ジャズの系譜ということだろう。アーバンにして地域に根差したフリージャズやプログレッシヴなスタイル、あるいは土着的ともいえるハードボイルドなジャズの方法論と、中央線ジャズの形容詞は様々だ。都心の洗練されたジャズクラブにはない煙草とアルコールの饐えた匂いが入り混じる生活感溢れる中央線ジャズは今もBOCCOの中にしっかり息づいている。
さて本作品「The World」、全て石渡のオリジナルで占められているが、アルトサックス+ギタートリオというフォーマットからは前述のP・デスモンドとJ・ホールのイメージを払拭する処から始めなくてはいけない。
01. <Wednesday> やはり冒頭の1曲はガッツのある演奏が“決まる”。テーマ~ソロと噴き出す熱量が只者ではないことを証明する松原のアルトの咆哮が圧倒的で、続いて石渡のギターがその硬質で独特のフレージングで演奏をさらなる高みへと押上げる。これぞ中央線ジャズの王道かと思わせるエモーショナルで熱量たっぷりのキックオフだ。
02. <Round Steps> 「螺旋階段」と命名されたこの曲、落合のベースが先導するリズミックなテーマからネオハードバップの香り高いストレートアヘッドで疾走感のある演奏が展開される。石渡の鋭角的なギターに煽られて松原のアルトがビバップに根差しためくるめくパッセージを披露する。石渡の超絶テクニックのソロも聴き逃せない。
03. <凪> 石渡の曲としては珍しい静けさを感じさせる。それは凪という日本語の持つ独特のイメージから発しているからだろう。凪を英訳するとcalm=静かとしかならないのだが、風が止むという国字のイメージを抜きにこの曲は語れないのではなかろうか。心の平静を思わせる静謐なテーマから4人のナイーヴな感性が濃密に絡み合って独自の空気感を醸成している。ジャケットに表記はないが、松原と落合のソロのバックでオルガンを弾いているのは石渡だろう。これが渋い効果をもたらしている。落合がソリッドにして緻密かつ雄弁なベースソロを聴かせるのも存在感充分。
04. <A-Zone> ビートの利いたファンクネスは60年代のルー・ドナルドソン辺りを想像させるが、時は2024年。コンテンポラリーな感覚を持つ松原のアルトは軽やかに飛翔する。またエレキベースを弾く落合の気合が伝わるソロが何と言っても圧巻。石渡の煌びやかな音色とフレージングも彼の特徴をよく表わしている。この曲では斉藤の出番も用意されていてスケール雄大で自在なスティック・ワークを披露している。
05. <Cypher> 落合の強力なランニング・ベースの推進力に乗ってハードバップの話法に則った4ビートが爽快な印象を与えている。4人の高揚感が一体化した魅力が聴き処。松原のアルトは後期のフィル・ウッズを彷彿させる圧倒的な風圧を感じさせる吹奏力を発揮している。ここでも石渡のギターのオリジナルなフレージングと音色は別格の輝きを放っている。プリミティヴな趣きすら感じさせる斉藤のドラムソロがユニークな彩りを添えている。
06. <Grandpa’s Dream> ラストの「祖父の夢」はシンプルで何処か懐かしさを感じさせる心優しいメロディが印象的。石渡の紡ぐのは幼き頃へのノスタルジーだろうか。有終の美を飾るのは落合のディープにして雄弁なベースソロ。西荻窪の喧騒の夜が更けて闇が深くなるころ、4人のカタルシスがエンディングを伝えている。
P・デスモンドのスイートでデリケートなアルトの魅力を最大限に引き出す装置として機能していたJ・ホール以下のトリオという構図とは全く別次元の構造を持ったBOCCO。無論、リーダー格の石渡のギターの確かな存在感は言うまでもなく、石渡に比肩するアルトの松原のアグレッシヴな立ち位置がグループの緊張感を否が応でも高めている。これこそビバップを背骨として中央線ジャズというマイナー指向の強力な筋肉によってBOCCOの体幹がより強靭なものになっているというべきだろう。
2025年のジャパン・ジャズという地平においてBOCCOは極めてアグレッシヴにして繊細な感性を併せ持つグループとして鋭い光彩を放っている。そのことを証明した本作品「The World」は世界に打って出る気概からのネーミングに違いないと筆者は睨んだのだが如何だろう。
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