#2451 『マックス・デヴロー/レジスタンス』
『Max Devereaux / Resistsnce』
text: Kohji Kawai 河合孝治
抵抗する音、開かれる沈黙
マックス・デヴローの『レジスタンス』は、デヴロー自身によるエレクトリック・ギターソロの作品で、全5曲、《Tension》《Duration》《Friction》《Feedback》《Constraint》から成る。エレクトリック・ギターによる即興的音響作品でありながら、単なるフリー・インプロヴィゼーションではない。むしろ本作の核心は、「自由に演奏すること」ではなく、『レジスタンス』というタイトルが示すように「抵抗にぶつかりながら音を発生させること」にある。
図形楽譜の「Notation & Performance Framework」を見ると三つの層で設計されている。第一に、弦・ピックアップ・アンプ・フィードバックといった音響生成システムそのものの物理的抵抗。第二に、物語的展開を避け、持続的注意と時間の物質性を前面に出す形式的抵抗。第三に、特定楽器やジャンルに閉じない図形記譜によって、演奏の自由と形式的同一性を両立させる方法論的抵抗である。水平線が時間を表し、点・円・半円・ダッシュ・曲線/破線がそれぞれ単音、持続音、切断された反復、打撃的ノイズ、音色変化などを示すと説明されている。
この点で『レジスタンス』は、デレク・ベイリー以後のギター音楽として聴くことができる。ベイリーにとってギターは、コード進行やメロディを奏でる楽器というより、瞬間ごとに別の身体反応を引き出す装置だった。彼の「非イディオム的即興」は、ジャズ、ロック、現代音楽といった既成の様式に回収されない音の発生を目指したものであり、その演奏はしばしば無調性、ノイズ、特殊奏法へと向かった。 デヴローもまた、ギターを旋律楽器としてではなく、摩擦・圧力・切断・反応の場として扱っている。とくに《Friction》や《Feedback》という題名は、ベイリー的な「ギターをギターらしく弾かない」姿勢を強く感じさせる。
ただし、デヴローはベイリーをそのまま反復しているわけではない。ベイリーの即興が、作曲的統制から逃れ、瞬間の判断に賭けるものだったとすれば、『レジスタンス』はそこに図形楽譜という構造を再導入する。つまり、完全な自由ではなく、あらかじめ引かれた時間線、配置された記号、持続時間の制約に身体をぶつけることで音が生まれる。ここに本作の独自性がある。『レジスタンス』は「自由なギター・インプロヴィゼーション」ではなく、「自由が構造に抵抗する過程を聴かせる作品」なのである。
一方で、モートン・フェルドマンとの共通点もある。フェルドマンは、図形記譜、不確定性、静的な時間、弱音、長大な持続によって知られ、音を劇的に展開させるよりも、音が消え、残り、揺らぎ続ける時間を作り出した作曲家だった。 また可聴限界に近いダイナミクスが演奏者と聴取者の注意を鋭くし、音の発生や減衰そのものが焦点になる。デヴローの『レジスタンス』にも、まさにこの「聴取の持続」を要求する性格がある。音楽は前へ進むというより、時間の中に置かれ、聴き手はその密度、距離、残響、沈黙の変化に耳を澄ますことになる。
しかし、フェルドマンとの違いも重要である。フェルドマンの時間は、しばしば柔らかく、淡く、絵画的に漂う。対してデヴローの時間は、より硬く、触覚的で、身体的である。フェルドマンが音を「布」や「面」のように扱うとすれば、デヴローは音を「圧力」「摩擦」「反発」として扱う。フェルドマン的な長時間性が静けさの中に聴取を沈めるのに対し、『レジスタンス』の長時間性は、聴き手に「この音はなぜ続くのか」「この持続に身体はどこまで耐えられるのか」と問いかける。
またジョン・ケージ《4分33秒》との関係も見えてくる。《4分33秒》は、演奏者が意図的な音を出さないことによって、会場の環境音、聴衆の息づかい、椅子のきしみ、外部の物音を音楽として浮かび上がらせた作品である。つまりケージは、「音楽とは作曲家が支配した音である」という考えを一度停止させ、聴くという行為そのものを作品の中心に置いた。『レジスタンス』もまた、音楽を聴取の場に生じる出来事として提示する点で、《4分33秒》以後の作品である。
ただし、デヴローはケージのように意図的な音を消すのではない。むしろ彼は、音を出そうとする身体と、それに抵抗する物質との接触を徹底的に露出させる。《4分33秒》が「音を出さないこと」によって世界の音を開いたとすれば、『レジスタンス』は「音を出すことの困難さ」によって、音の物質性を開く。ケージにおいて沈黙は、世界がすでに鳴っていることを示す窓だった。デヴローにおいて沈黙や間は、次の摩擦、次の接触、次のフィードバックが立ち上がるための緊張した空白である。
《II: Duration》のスコアでは、長い水平線の上に点、円、短い線、うねる記号が散在し、18分前後の持続が設定されている。《IV:Feedback》では約12分、《V: Constraint》では約17分とされ、それぞれのページは、音符の連続というより、時間の地形図のように見える。演奏者はこの地形を進む。だが、その進行は物語ではない。音を出すこと、音を止めること、音が勝手に鳴り出すこと、フィードバックが制御を超えることのあいだで、演奏者は常に「抵抗」と交渉する。
本作の魅力は、聴きやすさではなく、聴く態度を変えてしまうところにある。メロディやハーモニーの展開を期待すると、この音楽は過度に禁欲的、あるいは荒涼として聴こえるかもしれない。しかし、耳を「出来事」へ向ければ、単音、ノイズ、沈黙、反復、フィードバックの一つひとつが、時間の中で異なる重さを持ちはじめる。音は素材ではなく、抵抗の痕跡になる。その意味で『レジスタンス』は、ベイリー的な即興の身体性、フェルドマン的な時間の凝視、そしてケージ的な聴取の転換を接続する作品である。ただし、それらの影響を折衷的に並べているのではない。ベイリーからは、ギターを様式から解放する苛烈さを受け継ぎ、フェルドマンからは、音を急がせず、時間そのものを聴かせる態度を受け継ぐ。そしてケージからは、音楽を「音の構成物」ではなく「聴取の出来事」として捉える視点を受け継いでいる。
そして『レジスタンス』は、音楽が何かを表現する以前に、音が発生する条件そのものを聴かせるアルバムである。そこではギターは歌わない。むしろ、きしみ、耐え、反発し、時に沈黙する。だからこそ本作は、音楽の本質を「流れ」や「完成度」ではなく、「抵抗を引き受ける時間」の中に見出す。そして、これまで音楽の背後に隠れていた摩擦、沈黙、持続、身体の緊張に光を当てることで、音楽とは何かという根源的な問いをあらためて開いているのである。
河合孝治 Kohji Kawai
音を聴く行為そのものを、身体感覚、空間認識、思考、イメージの変容として捉え直し、ISEA電子芸術国際会議(名古屋)、サンタ・フェ国際電子音楽祭、チリ・サンディアゴ国際電子音楽祭 “Ai-maako 2006”、ETHデジタルアート週間(スイス)、プロジェクト・メディア・スペース Sonic Channels(ニューヨーク)、ISCM世界音楽の日々2010(オーストラリア)、Opus medium project、東京創造芸術祭などで、電子音響、即興演奏、身体センサー、メディアアートによるパフォーマンス、インスタレーション、テキスト作品を発表。TPAF発行の『無分別智の現代音楽』、『サウンドアート: 東洋思想=焔々による21の実践』『マンガでわかる現代音楽入門』『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』『ポスト構造主義は仏教か?: 脱構築・縁起・空の交差点』などの著書・編著。

