#2449 『Nonturn(米田 望) / Repeating Town』
text: Yoshiaki Onnyk Kinno 金野ONNYK吉晃
Audiobulb Records, AB179, AB179 (2026.8.22配信開始予定)
デジタル音源7曲、写真(限定プリント・エディション15部)
録音された瞬間の実写映像を提示するサイト付き
7 tracks · all instrumental · all 96 BPM · approx. 38 min
Information : https://www.audiobulb.com/
- Indicate
- Atonement
- Repetition
- Stagnant
- Fathom
- Disrupt
- Perpetual録音:東京・高円寺の日常音を採取
2006年に発表され、世界的に話題となったSF小説「三体」。劉慈欣(リウ・ツーシン)は、壮大な想像力を駆使した傑作を書いた。4.3光年彼方のアルファ・ケンタウリという三重連星系の惑星に居た宇宙人(「三体人」と言っておく)が地球を侵略しにくる、というだけの話。何と陳腐な設定か。
その発端には中国文化大革命(1966~76)があった。これは非常に重要。
三体人の戦略は、先端科学を超えた裏付けがある。宇宙物理学、相対論、量子力学、ナノ分子工学、生態系の問題など。さらには三体人が創作したインターネットのゲーム世界内で歴史的人物達が、地球侵略のために活躍する。
三体人は宣言する。「地球人の科学力など、我々からすれば虫けらに等しい」と。彼らが送り込んだ陽子サイズのスーパーコンピュータが、「量子もつれ効果」で操作され、地球上のあらゆる科学技術の発達は阻害され、電子的通信は全て傍受されている。
光速度の1%という高速で侵略船団が接近している。今から400年後、三体人は地球に到達し人類を奴隷化するという。勝ち目はゼロ。
だが、第二部において地球人は勝利するのだ!ネタバレ禁止。
一転、敗北した三体人は、持てるテクノロジーによって地球人に奉仕し始める。地球のあらゆる歴史、文化をデータ化し、人間の快楽をアルゴリズムとして理解し、そのアウトプットを、芸術、娯楽、衣食住、産業ほかあらゆる方面に展開する。三体人の作った美しいヴァーチャルな存在達は地球のあらゆる場所に居る。彼らの到着はまだ何百年も先なのだが、地球人は次第に骨抜きにされていく。
物語はまだ続くのだがやめよう。
アーティスト、ノンターンの美学に、どこか小説「三体」に通じるものを感じた。
彼は『Repeating Town』の7つのトラックのサウンドを、全て居住する付近の現実音によって構成したという。それは同時に録音された状況の動画と供に記録されている。
複数の現実音は96BPMのグリッドによってあたかもアンビエント・テクノの楽曲として再生される。現実音のBPMによる統御はいかにもDJ的発想である。
かつてケージは「ノイズにはピッチが無い。だからそれを構成するのは拍節だけだ」と看破してノイズを作曲する事に成功した。ピエール・アンリとシュッフェール(シェフェール)は現実音をテープ編集することで「具体音楽」を作った。フェラーリ、シェイファーらのサウンドスケープ概念は音響芸術の一分野となった。
サンプリングがデジタル技術と結託して以降(それ以前からだが)、我々の聴く「録音/作品」はほぼ全てがスピーカー、ヘッドホンから流れる電子音でしかない。というか擬似と現実の価値的差異は無い。切り取られた視野、風景が作品であるように、音響を切り採ってくる事も作品である。
ノンターンは作品を作るにあたり、「集合知」という観念に依拠するところが多いという。それは無名性というよりも、或る意味ネット上のテクスト、送受信の集積、グローバルなビッグデータと通じるものがあるだろう。
三体人が地球人の文化、歴史、記憶、観念、感情として吸収し尽くした作戦に似ている。三体人は地球人にあらゆる形式の快楽的表現を提供した。そう、小説「三体」は、高度な宇宙人の技術の形で「生成AIの出現」を預言していたのだ。
しかし、三体人には決定的に欠損していたものがある。それは「嘘をつく」という技術である。あるいは存在しない事物による物語の想像、創造である。三体人は神話やお伽噺の存在意義を理解できない。彼らには宗教が無い。つまり美学は無い。その理由は、まさに三つの恒星の間に働く引力、計算しがたい「三体問題」に翻弄され、何度も文明壊滅を経験して来たからなのだ。彼らの世界では、現実とは常に迫り来る危機の意味だ。
もちろんノンターンは生成AIではない。美学がある。環境音、現実音の魅力に気づく耳、その時点で集合された「知=聴覚」は起ちあがる。録音された膨大なソースを吟味し、自らの美学に沿わせる。それは全て10分以下のトラックとなる。
何故10分以下か。それ以上の時間を一つのアイデア、イメージで維持が出来ないからではないのか。それは決して欠点ではない。大衆音楽というものは長大である必要は無い。それは鼻歌として記憶として、ポータブルな娯楽になることが理想である。商品音楽としての成功。
現実音は延々と流れ続け、それを集中して聴取するのは特別な目的が必要となるだろう。分節化された音響は、全く別な目標に奉仕する事になる。果たしてそれは人類への寄与なのか、メディアの自家撞着なのか。
当マガジンのテーマは “Jazz and Far Beyond”である。だから通例ジャズとは見なされない様な音楽作品も取り上げられる。ジャズを拡張する「ファー・ビヨンド」こそが存在意義だ。
現実音を切り取り、ある格子に当てはめ「音楽」として提示する「作曲家」がいる。それはジャズではなく、Far Beyond の世界だ。
小説「三体」の隠されたテーマ。それは「人類に自浄作用はない」である。すなわち「ディストピア=人類の本性」。ならば『Repeating Town』は、「世の終わりのためのディヴェルティメント(嬉遊曲)」なのか。
「神は死んだ」というのはかなり前の話だが、「音楽もまた死ぬ」のだろうか?
♫ 試聴サイト
https://www.nonturn.com/repeating-town-statement-ja.html
