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CD/DVD DisksReviews~No. 201

#990『Genzo Okabe/Okabe Family』

text by Masahiko Yuh  悠 雅彦

OKABE Family:
Genzo Okabe (as)
Miguel Rodriguez (p)
Steven Willem Zwanink (db)
Francesco De Rubeis (ds)

1. Scaramouche
2. Black Pope
3. Atheist
4. Amedas
5. Broken
6. Yellow & Red Jackets
7. Can’t Stand Ya
8. Aka Tombo

all songs composed and arranged by Genzo Okabe except the track 8 “Aka Tombo” written by Kosaku Yamada
produced by O.A.P. Records, recorded/mixed/mastered by Barry Olthof at the O.A.P. Studio, The Hague, The Netherlands on November 2012

 

肉迫してくるハード・ドライヴィング・サウンド

ことジャズ界に限っても、上原ひろみから寺久保エレナや挟間美帆にいたる、近年の若い女性アーティストの台頭と活躍は文句なしに賞賛に値する。驚嘆すべきその才能は世界に向けて誇らしくさえある。脚光を浴びる彼女たちの著しい活躍はここ日本ではもはや珍事ではない。だがその一方で、男はいったいどうしたのか。若い女性たちの覇気に圧倒されて尻込みしているわけではあるまいに。待てど暮らせど彼女たちに対抗する若い才子が現れないとなれば、潮目が男性側に来ていないのだと思うしかないか。あきらめかけていたところに飛び込んできたのがこのオカベ・ファミリー(Okabe Family)を名乗るユニットのデビュー作である。といえばいかにも恰好いいが、実際、このユニットの音楽は目をみはらせるほど新鮮だった。

Okabe Family を主宰するのが岡部源蔵というアルト・サックス奏者。わが国で名前が通っていないのは、彼がヨーロッパを活躍の舞台にしているからだ。グループ名をCDのタイトルにした本作は、グループにとってはむろん岡部自身にとっても記念すべきデビュー作ということになる。

岡部源蔵(東京出身)はイタリアのペルージャ国立音楽院でクラシック・サックスを学び、卒業後オランダのハーグ王立音楽院で今度はジャズ・サックスを修めて卒業したという異色の経歴の持主。元来、幼少時よりピアノを学んだ彼が、15歳のころになぜサックス演奏を始めるようになったかは分からない。だが、このデビュー作を聴けば、名だたる2つの音楽大学でクラシックとジャズのサックス奏法をマスターした彼自身の意図と意欲のほどが推し量れると同時に、両音楽に精通しているプラスの効果が彼の音楽性を充実させていることがよく分かる。彼がイタリアへ留学したしたのは1999年。ペルージャ時代にはジャズ・ファンク・バンドのカポリネアで2枚のCDで演奏しているところをみても、岡部自身は音楽に国境線を引くことなくさまざまな音楽に親しみ、自己の音楽、たとえばこのデビュー作での演奏にそれらを活かしていく才知と能力にたけている音楽家だと分かる。ペルージャで米バークリー音大の夏季コース(2006年)に参加し、日本人初の最優秀サックス奏者に選ばれた岡部の才能が、2008年に拠点をオランダに移し、翌年ハーグでの結成になるこのグループで吹き込んだ本作で開花したといっていいだろう。

Okabe Family では岡部自身が作曲、編曲、グループ・サウンドなどを担う。ピアノのミゲル・ロドリゲスはマドリッド(スペイン)出身。父親がオランダ人というベースのスティーヴ・ズワニンクはカナダ出身。ドラムスのフランチェスコ・デ・ルベイスはイタリア出身で、先記カポリネアでも一緒に演奏しあった間柄。つまり、生まれがそれぞれに違う4人の青年がヨーロッパで出会って意気投合しあい、現在オランダのハーグを拠点にしたグループ活動を展開しているところが面白いし、一聴してオランダのジャズとは思えないハード・ドライヴィング・サウンドで肉迫してくるところがユニークだ。

全9曲。最後の「赤とんぼ」(三木露風詞、山田耕筰曲)以外は岡部のオリジナル。冒頭の「スカラムーシュ」からいかにもデビュー吹込演奏らしい、脇目を振らず、自己の音楽を世に問う精悍な顔つきが聴く者の目に見えるような演奏が繰り広げられる。自己の音楽をこのOkabe Family の演奏を通して世界にアピールしたいとの岡部の強い意欲と純粋な情熱は、このCDのどの演奏を聴いても伝わってくる。だがその反面、聴き手に妥協したり媚を売ったりするような演奏とは無縁の彼の演奏展開が、どれほど聴き手にアピールするか。ここが実に興味深いところだ。一聴してヨーロッパ、とりわけオランダのジャズとは思えないサウンド展開や演奏の質感が、やはりリーダー岡部の演奏家としてのクォーリティに由来するものだとすれば、彼とメンバーとの信頼関係が人間的にも音楽的にも融和のとれた快適な風を吹き込んでいるからだろうとしか考えられない。それほどここでのすべてのトラックにおける相互のやりとりや演奏交感はスムースで、それが自然な流れに水を差すこともない。

「スカラムーシュ」はフランス6人組の1人ダリウス・ミヨー(故デイヴ・ブルーベックは門下生の1人)の最も有名な曲と同タイトル。岡部は原曲の一部を拝借したとコメントしているが、演奏に集中していたせいかうっかり聴き過ごしてしまった。「アメダス」でもそう。ここではエンディングにマイルスの「ウォーキン」を引用しているというのだが、これもそこだけ集中していないと分からない。それだけ岡部源蔵という人は曲の特徴をつかんで新しいサウンドを編み出す出発点にする、そうした能力にたけているのだ。それに関連することだが、岡部の楽曲に対する徹底した分析力と深い洞察力が彼の即興演奏(アドリブ能力)の下地になっていることだ。その最もいい例が、彼みずからコルトレーンの「至上の愛」からヒントを得たという「ブラック・ポープ」。他の楽曲でも変拍子を駆使し、リズム遊びに夢中になっているかのような、あたかもサッカーのパス回しを思わせる彼のリズムの転がし方が実に印象深い。

彼について最大の特徴をあげるとすれば、彼がクラシックとジャズという2つの、ときには相反するようなコンセプトを持つ奏法を熟知し、その双方の長所を活かした独特のプレイを実践し、聴く者に強くアピールする説得力をもつにいたっている点だ。その点では彼のプレイがチャーリー・パーカーをモデルにしたものではなく、むしろコルトレーンの真髄に迫ろうとしているかのような肉迫感を感じさせるのは、コルトレーンが近代フランス音楽やロシア音楽を集中的に研究した一事を思えば別に奇妙なことではないという気がする。そのことは、彼がたとえば太田剣とはまったく質の異なるサウンドで勝負している理由とも関係があるだろうし、単にサウンドだけにしぼっていえば平野公崇と共通点が多い理由もそこらにあるように思われる。

以上の2点を踏まえた上でもう一度聴き直してみると、ジョシュア・レッドマンとかロイ・ハーグローヴ、あるいはケニー・ギャレットや一時期のスティーヴ・コールマンを彷彿させるところがあって興味深い。たとえば、「赤とんぼ」でもピアノとのデュエットからリズムが入る中盤以降のハードなアドリブ展開、またはコルトレーンの「ビッグ・ニック」をテンポアップしたような「ブロークン」での奔放なソロなど、他のプレイヤーとは趣向や演奏の方法論がまったく違うことに驚かされる。かと思うと、「アメダス」での、ピアノが「雨が降るようなエフェクト」(岡部)を繰り返すアイディアは、ショパンの前奏曲「雨だれ」とか石を穿つ雨しずくを思わせる絵のような効果などによって、奇妙な親近感が湧く。共演者のプレイに触れるスペースがなくなったが、「ブラック・ポープ」や「エイシスト」、あるいは「赤とんぼ」などでのピアノのロドリゲスのソロは味わい深いし、その他岡部のアイディアにこたえるベースのズワニンク、とりわけ込み入ったリズムの薮を縫って演奏を導いていくドラムのルベイスなど、センスのいいプレイで全体の演奏を守り立てていて安心して聴ける。いずれにせよ、このデビュー作で日本のジャズ・ファンからも注目されることになるOkabe Family の今後の動向には目をそらすことはできないだろう。岡部の今後の活躍は恐らくオランダを中心にしたヨーロッパが主要な舞台となるだろうと見越した上で、将来を期待するに値するこの若き男性アルト・プレイヤーのかの地での奮闘を見守っていきたい。(悠 雅彦/2013年5月20日記)

*初出:Jazz Tokyo #186 2013年5月31日

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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