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Jazz and Far Beyond

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CD/DVD DisksNo. 255

#1619 『ヒカシュー/絶景』
「20世紀の終わりのスキッツォイドマンは21世紀のおバカさんか?」

text by Yoshiaki Onnyk Kinno  金野Onnyk吉晃

MAKIGAMI RECORDS  mkr0012 CD2枚組+初回生産版限定DVD1枚
税込価格5400円(税抜き価格5000円)

ヒカシュー:
巻上公一 (歌、テルミン、コルネット、尺八)
三田超人 (ギター、歌)
坂出雅海 (ベース)
清水一登 (キーボード、バスクラリネット)
佐藤正治 (ドラムス)

ゲスト:
平沢進 (歌、ギター)
あふりらんぽ;
ONI (歌、ギター)
PIKA(歌、ドラムス)
KERA (歌)
伏見蛍 (ギター)

DISK1
1. 筆を振れ、彼方くん 10:51
Wave the Brush, Mr.beyond(作詞:巻上公一 作曲:坂出雅海)
2. 生きること 10:51
Ikirukoto(作詞・作曲:巻上公一)
3. 入念 4:11
Elaborate(作詞:巻上公一 作曲:坂出雅海)
4. にわとりとんだ 2:50
Chickens Fly(作詞:巻上公一 作曲:三田超人)
5. テングリ返る 4:52
Return to Tengri(作詞:巻上公一 作曲:坂出雅海)
6. もったいない話 4:20
A Waste of Inspiration( 作詞:巻上公一 作曲:坂出雅海)
7. 天国を覗きたい 5:50
Peek Into Heaven (作詞:巻上公一 作曲:野本和浩)
8. ニョキニョキ生えてきた 11:54
Sprouting Up (作詞:巻上公一 作曲:佐藤正治)
9. びろびろ 7:26
Biro-biro (作詞・作曲:巻上公一)
total time 60:06
ゲスト:あふりらんぽ AFRIRAMPO 7,8,9 

DISK2
1. レトリックス&ロジックス 4:48
Rhetorics & Logics(作詞・作曲:巻上公一)
2. ダメかな!? 4:09
No Good?!(作詞:巻上公一 作曲:三田超人)
3. 20世紀の終りに 2:52
At the End of 20th Century(作詞・作曲:巻上公一)
4. 庭師KING 6:20
Niwashi King(作詞・作曲:平沢進)
5. グローバルシティの憂鬱 4:47
Melanchory in Global City(作詞:巻上公一 作曲:坂出雅海)
6. ミサイル 3:01
Missile(作詞・作曲:平沢進)
7. パイク 5:21
Pike(作詞 :巻上公一  作曲: 山下康)
8. RUKTUN OR DIE 3:41
Ruktun or Die (作詞・作曲:平沢進)
9. ナルホド 10:24
Naruhodo (I Got It)(作詞・作曲:巻上公一)
10. 美術館で会った人だろ 3:33
Art Mania(作詞・作曲:平沢進)
11. プヨプヨ 7:31
Puyopuyo(作詞 :巻上公一  作曲: 山下康)
ボーナストラック
12. ヒカシュー&P-MODELメドレー 7:23
A Medley of songs of Hikashu & P-MODEL
(ラヴ・トリートメント~ダイジョブ~アルタネイティブ・サン~いまわし電話~ルージング・マイ・フューチャー~「ラヴ」ストーリー)
total time 64:01
ゲスト:
平沢進 Hirasawa Susumu 4,5,6,7,8,9,10,11 KERA、伏見蛍  KERA、Fushimi Hotaru 12

録音:2016年12月25日@代官山UNIT
使用機材
Recording Equip :
Mic Pre : RME Micstasy x2 Mackie Onyx 800R x2
DSD Recorder : Korg MR2000S x17
Mixing Equip :
Solid State Logic SL6072G Console @ Sound Valley Studio A
Lexicon 480L


フリージャズが、ビバップが、ひとつの闘争の表現だったとして、それが人種差別による搾取の構造に抗する音楽であったとしたら、欧州のフリーミュージックは、民主主義を標榜する社会において、個人の人権が保証されたうえでの音楽だった。
そして70年代初頭、階級社会である英国に、マニエリズム化した「若者の音楽:ロック」への反動としてパンクロックは生まれた。
一方、大衆社会アメリカでは、パンクの受容は変質してオルタナティヴなスタイルを生み、その典型はイーノのプロデュースしたコンピレーションLP『ノーニューヨーク』所収の4バンドと、ボーカルとチープなキーボードだけのデュオ<Suicide>に見るといってよい。
では同時期、東洋の恐るべき中流意識の国ではどうだったのか。確かにパンクロックは、遅れてきたロックンロールの一種として青少年の心を掴んだ。
そしてパンク興隆の一方で、電子立国の社会ではテクノロジーと結びついた新ジャンルがマーケットを獲得しつつあった。テクノポップである(付言しておくが、現在言う「テクノ」とこれは異なる意味合いを持つ。テクノはまずインストゥルメンタルな音楽であるからだ)。
西ドイツの電子音楽の技術が米国で民生化したシンセサイザーの発達と相まって、生楽器の無いバンド<クラフトヴェルク>の「アウトバーン」がディスコ音楽として大ヒットした。
四畳半で生まれる電子音の世界、ヘッドフォンの宇宙、テクノポップにスタジオはいらない。安いシンセとテープレコーダーがあればいい。誰もがYMOの夢を見た。が、誰もYMOの底の深さを知らなかった。多くのバンドがデビューし、消えた。
何故ヒカシューが残ったのか。いや、生き残ったのではない。ヒカシューは、ある種の昆虫が幼生時代を水中で過ごし、成体になって大気中に飛翔するように、ヒカシューは完全変態した。
テクノポップバンド<ヒカシュー>は、羽化して何になったのか。高く舞い上がった彼らの見た「絶景」はどのようなものだったのか。何故彼らは変態できたのか。その答えは、彼らの見た「絶景」を我々も体験する事で分かるかもしれない。
私がこんな書き方をするのも、実を言えば幼生のヒカシューのイメージしか持っていなかったからだ。手持ちのアルバムは十枚程あったが、2001年の『ヒカシュー・ヒストリー』までだったのである。しかしよく聴けば、このアルバムで既に蛹化は始まっていた。
蛹はその内部で細胞が流動し体節が再形成されて行くが、そのホメオボックスはやはり巻上公一だったと考えて良いだろう。バンド活動開始当初から、巻上の演劇的な声と、不条理な歌詞はバンドの顔として印象に残った。そういえば彼らは、実に「顔」と「人間」にこだわっている。
巻上遺伝子の発現は、ホーミー、口琴、テレミンというジャンルを超えた、しかも実に非分節的なサウンドを主とする、そして強い即興要素をバンドに導入した。
融通性のないシーケンサーとリズムマシンの音楽は、多くのテクノポップバンドに、ディストピアの夢を与えた。イーノのプロデュースしたバンド<Ultravox>は、そのファーストアルバムで、まさに”I wanna be a machine!”と歌った。つまりナウなヤングは「テクノポリスで機械になる夢」を歌い、ロボット振りのダンスをし、非人間的なメイクとファッションで、これが明るい未来の私たちの姿と、思い込んでしまったのである。これを称して「木偶(でく)のポップ」と呼んでみよう。
しかし巻上遺伝子は、どこまでも肉化にこだわった。おそらく自分の声に対する絶対的自信だろう。どんなにプログラム化された演奏であっても、そこに彼の声が顕現すれば、プヨプヨとした不健康な、死んじゃうニンゲンが丸出しになるのだ。これだけはPモデルにもプラスチックスにも、YMOにさえ無かった毒なのだ。敢えて言えばゲルニカ〜戸川純や、初期の<Suicide>だけが、斬れば血の出る手首を持っていただろう。
『ヒカシュー・ヒストリー』(2001, TZADIK)では延々と行方の知れない即興が続くのを聴く。それまでの聴衆はこうした路線に賛否両論となったかもしれない。構築的というか普遍的音楽を求める耳と、未知の平衡感覚のアルタード・ステイツを求める精神は、なかなか両立できない。あるいはmachineryな背景と不確定な即興演奏の混在は。
さらに巻上のコルネットは意外な凶器となる。テクノポップに管楽器、というまさに生身な楽器の導入は立花ハジメのサックスもあったから驚く事ではないにせよ、巻上のサウンドは、個人的に言えば少なくともオーネット・コールマンのトランペット以上の衝撃はある。70年代に<Throbbing Gristle>もシーケンサーをバックに、ディレイをかけたコルネットやバイオリンを演奏した例はあるが発展はなかった。ヒカシュー/巻上の試みはその後、確実に成長したのだ。
いずれ、受精後40年、大抵の事は演奏自体で出来る自信があると自負するバンドに成長したヒカシューは、極めて正気の沙汰のまま変態を達成した。今やその演奏力と即興の強度は、全て打ち込みで作るような複雑さをさえ凌駕する。
しかし以前からのファンを決して見捨てないのは、相変わらず初期のヒット曲をやってくれること。それも実にタイトで相変わらずひきつるようなユーモアに溢れた演奏なのだ。
私が実はいつもカラオケで「パイク」を声真似し、シタールもどきの間奏まで口ずさんでいるのを知る人は、そう多く無い。だからどうだというのでもないが。でもまた歌ってしまう。

「うみを〜ゆく〜のは、ナム・ジュン・パイク!」

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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