#1638 『翠川敬基&早川岳晴/蛸のテレパシー』
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野吉晃
STUDIO WEE/Bomba SWN-509 ¥2,700
翠川敬基 (cello)
早川岳晴 (bass, vocal)
1.蛸のテレパシー
2.me-nou
3.hinde hinde
4.卵の殻
5.あの日
6.altard
7.富山の薬売りの唄
8.seul-b
(計60分)
https://bombashopjazz.cart.fc2.com/ca118/5239/
翠川のチェロに、早川は全曲、アコースティックベースで応じる。
一聴、まさに長年のコラボレーションが熟成させた、年輪を感じさせる共演。互いを知り抜いたうえでの自由さの往還。二つの低音弦楽器が存分に歌い上げる、指使い、息づかいまで感じられる濃密空間。
と書いてしまうと、もはや何も言う事は無い。黙って聴けばいいだけだということになってしまいかねないのだが、それでいいのだろうか。
デュオというのは、楕円であるべきだ。ご存知の通り楕円は二つの焦点からの距離の計が一定になる双曲線の一つである。そして太陽系の惑星の公転もまた楕円である事はケプラーが証明した。つまり楕円軌道であるからこそ、惑星は公転を続けている、と解しても良いのだろうか。二つの焦点が限りなく近づいていくと勿論軌道は円になっていく。円は完成だ。そして安定だ。焦点が互いに離れて行けば長楕円となり、あたかも彗星の軌道になってくるだろう。
つまり楕円である限り、完成の円運動と凶兆たる彗星軌道の間に、其の表現を表す事になるだろう。
では禍々しい兆しはどこに?
ご本人達のお気持ちはともかく「富山の薬売りの唄」がそれではないだろうか。凶兆結構、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい...これはこの世の事ならず、賽の河原で石を積む、一つや二つ三つや四つ、十にもならぬ幼子が、一つ積んでは母のため、二つ積んでは父のため、昼は楽しく遊べども、夜ともなれば鬼共が...前足が四つ、後脚が六つ、これぞ世に言う四六の蝦蟇...金波銀波の波越えてやってきたのは日の本の...
低音弦楽器のデュオだけでも十分なところに、敢えて早川の渋い歌声が、ブルーズのような、「しんとく丸」「さんせう太夫」のような中世の説教節、説話の世界に。あるいは香具師(やし)の啖呵売(たんかばい)のように聴く者を引き込む。
そうか、これこそストリート・ジャズの世界に近いのかもしれない。
もしかして、このデュオ、路上で投げ銭ライブも経験しているのじゃないか。いや、まだなら是非やってほしいものだ。