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CD/DVD DisksNo. 258

#1641 『上原ひろみ/スペクトラム』
『Hiromi Uehara / Spectrum』

text by Masahiko Yuh 悠 雅彦

初回限定盤SHM-CD 2枚組 UCCO-8031/2 ¥3,564 (tax in)
通常盤SHM-CD UCCO-1211 ¥2,808 (tax in)
高音質SA-CD〜SHM仕様 UCGO-9054 ¥4,320 (tax in)

上原ひろみ (piano)

1.カレイドスコープ
2.ホワイトアウト
3.イエロー・ワーリッツァー・ブルース
4.スペクトラム
5.ブラックバード
6.ミスター・C・C
7.ワンス・イン・ア・ブルー・ムーン
8.ラプソディー・イン・ヴァリアス・シェイズ・オヴ・ブルー
9.セピア・エフェクト

2010年8月20日 & 21日 ブルーノート・ニューヨークにてライヴ録音
2019年2月20日~22日 カリフォルニア州マリン・カウンティ、スカイウォーカー・サウンドにて録音
プロデューサー : 上原ひろみ&マイケル・ビショップ


上原ひろみのまさに渾身の演奏を目の当たりにするかのごとき快感を満喫した。ここでの彼女の演奏には、試聴する前にもしやと懸念した孤独感がない。かといって、ソロ・ピアノ、特にアコースティック・ピアノのソロ演奏にピアニスティックな妙技を堪能させようなどといった妙な下心とは無縁の、ここでの1時間25分を超える奔放な演奏には、おおよその予測はついていたものの改めて舌を巻かざるを得なかった。自身にとっては2009年の『Place to Be』以来のソロ吹込で、ご本人が待ちに待った機会と意気込んだか、それとも現在の絶好調ぶりをごく自然体で発揮しようと虚心坦懐に臨んだか、第三者の私にはまったく分からない。だが、ここに記録された前半の数曲などは、いきなり目隠しテストのように聴かされたとしたら、もしかすると男性ピアニストの演奏ではないかとまごついたかもしれない。それでもビートルズの「Blackbird」(第5曲)におけるしっとりとした指使いや遊び心に触れた瞬間の安堵感は、ピアニストがまぎれもなく女性、いやまさに上原ひろみであることを確認した喜びの裏返しだったような気がする。
このアルバムでの最大の関心事は、第8曲「Rhapsody in Various Shades of Blue」の扱いの問題ではないかと想像する。22分45秒という長尺の秘密は、通常の「ラプソディー・イン・ブルー」を縫って、何と故ジョン・コルトレーンの「“ Blue “ Train」とロック・グループ、ザ・フーの「Behind “ Blue “ Eyes」が挿入されたことで起こったことは言うまでもないが、問題は彼女がこの2曲をどのように原曲と関連づけ、全体の展開の中で挿入しようとしたのかということだろう。もっとも、コルトレーンの「ブルー・トレイン」はそのむかし何日も夜を徹して聴いた曲であるのに対し、「ビハインド・ブルー・アイズ」の方はほとんど記憶がないという始末で、公平な論評ができそうもない。この2曲の挿入がどれほどの効果をあげて「ラプソディー・イン・ブルー」を効果的に彩ったかは全体を通して聴けば分かるだろうということと、例えばガーシュウィンの原曲とコルトレーンのオリジナル曲とザ・フーの楽曲(この3曲にはどれも “Blue“という文字が入っている)の3曲を一括することにどれほどの意味があったかはさておくとして、上原の演奏の闊達なチェンジ・オヴ・ペースがこの22分45秒を本アルバムの最大の聴きものの一つにしたことだけは間違いない。3曲の処理はともかく、ザ・フーの挿入部分を終えて「ラプソディー・イン・ブルー」の再現部に突入していくところの彼女のダイナミックで切れ味鋭いピアノ演奏、特に彼女のリズム処理の鮮やかさが演奏全体の闊達さや歯切れ良さと結びつき、たとえば右手と左手でユニゾンを奏したりするスリリングな聴きどころをぜひ聴き逃さないでいただきたい。
ところで、最後の第9曲「Sepia Effect」はアンコール曲扱いだと思われるので、実質的には「Rhapsody in Blue」が最終曲になる、と私は独断的に考えている。そこで、彼女やスタッフがこの「ラプソディー~」をなぜ実質的な最終曲に決めたかという点だ。ど真ん中に置く手もあれば、予想を裏切って冒頭の第1曲に置く手だってある。とはいえ、下手をすると不毛の議論に堕しかねないのでこれについては別の機会に譲ることにするが、彼女自身は当初から最終曲にしようとは考えていなかったような気がしてならない。
上原ひろみ自身が10年の間に最低でも1枚はソロ・ピアノを作ると宣言したほぼその通りに出来上がったこのソロ・アルバムは、この10年間でさらにふくよかになった彼女のピアノの音が思う存分楽しめる1作となった。ソロ・ピアノは誰にも頼れない状況下で、すべての難関を自身の力で切り開いていこうとする、かつてない気概が横溢している。演奏開始と同時に「Kareidoscope」が勢いのいい出足の快適さを見事に写し出す。ピッチの快適さ、楽想の豊かさ、リズムの歯切れ良さ、演奏者本人の呼吸の高揚感等々、どの点を取っても前作はおろか私が聴いた中でも最高度の上原ひろみによるアコースティック・ピアノ演奏がこの新作で達成されていることを確信した。その、ダイナミズムを最後まで失わない奏法、堅牢な奏法にも関わらず優しさと柔らかさを自在に操ることができる彼女の生気に溢れた ”ひろみピアノ” を私は、(1)から(4)「 Spectrum 」までの4曲で満喫した。先に触れた(1)に加え、何とも言えぬ寂寥味のあるリリシズムを浮かび上がらせる(2)、明晰さと歯切れ良さを最後まで失わないだけでなく、そこにユーモアのセンスを発揮し、左手のリズムと右手のメロディック・ラインのバランスが生む快適さをまるで自らも楽しむかのように演奏した(3)、まるで会話をするかのような右手と左手のやりとりを眼前に見るような(4)の会話の何という新鮮さ。歯切れの良さは相変わらずだが、リズムを解いてプレイした粋な遊び心、等々。絶好調のひろみ節を満喫した。
といって、(5)以下が質的に落ちるというわけでは断じてない。例えば(6)の「ミスターC.C.」(C.C.はチャールス・チャップリン)でのユーモア感覚や遊び心。とりわけ聴き手を戸惑わせるようなリズムの変化を引き出すリズム感と、それに巧まずして応える並外れた運動性など、上原ひろみの特異な能力を実証してみせたここでの演奏は上記の4曲に劣るものでは決してない。そして、冒険心がオープンに発揮された(7)「ワンス・イン・ア・ブルー・ムーン」を経て、例の「ラプソディー・イン・ブルー」を迎えることになる。私が唯一、物足りなさを覚えたのがこの(7)近辺の、それまでの盛り上がりに水を差したかのような、演奏とアルバムの展開だった。だがそれは私個人の期待の大きさに反比例する小さな傷に過ぎない。少なくとも上原ひろみの演奏とこのアルバムに賭けたと言っても過言でない彼女の意気込みがダイレクトに胸を打つ力作であることは絶対に間違いないだろう。実際、アンコール曲扱いにした「セピア・エフェクト」で閉じられるこの上原ひろみのこの最新作が、彼女の恐らくは渾身の力を発揮した最高傑作となったことを私は疑わない。(2019年9月27日記)



♫ 録音レヴュー(及川公生)
https://jazztokyo.org/reviews/kimio-oikawa-reviews/post-44488/

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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