#1650 『AAS / 酒屋が閉まる前に』
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野onnyk吉晃
地底レコード B89F 2300円+tax
AAS(アァス) =
立花秀輝 (as)
山口コーイチ ℗
カイドーユタカ (b)
磯部潤 (ds)
1.プロトタイプ
2.へビィ・スネーク(重い蛇)
3.アリガトーネット
4.秋風
5.アルトサックスにおける特殊奏法によるデー・フラット・ブルースの為の試み。令和元年増強改訂版。
6.凪の音
7.水と空の境界
8.ブロウ・アンティル・ダイ
9.天国の居酒屋で待つ
作曲:立花秀輝
録音:2019年6月24日@上尾・プラスイレブン
録音&MIX:田中篤
マスタリング:近藤祥昭 (GOK Sound)
デザイン:立花秀輝&廣田すがこ
プロデューサー:立花秀輝&吉田光利(地底レコード)
「居酒屋論考」
演奏家の強みは、それが生活に裏付けられている点にある。これは単に生計を意味する実生活に限ることではない。彼の音楽がいつも感性的な根拠を持っていることである。単に周囲の社会に適合することだけを考えて生活するのではなく、音楽家として、もっとも充実した生きかたをすることを求める。相対の流動する世界は彼を満足させることができないだろう。想像し得る絶対の前に自分の生命のもろさを実感し、何らかの形で絶対を所有し、それに合体することが彼の飢渇である。彼は絶対に合一しようという人間の立場から、社会に交わり、それを批判する。それこそが、彼が世に問う演奏/音楽でなくてはならない。(以上、中村光夫の文章をパラフレーズ)
さて、このような視点から本作「酒屋が閉まる前に」を聴くというのはどうだろうか。
片山広明を愛する立花秀輝が、生前彼に提供した曲「酒屋が閉まる前に」がアルバムタイトルにされている。片山へのレクイエムなのだろうか。
現在では、24時間酒屋は開いているというか、酒はいつでも買えるので、今回収録された「天国の居酒屋で待ってるよ」という具合に、酒屋ではなく居酒屋を念頭に置くべきだろう。
居酒屋と酒屋では大きな違いがある。酒屋といっても造り酒屋、蔵元ではなく、普通に酒を売る店は、もっきり屋では無い限り、単に人気商品がどんどん売れてくれさえすれば何もこだわる必要は無い。売り上げ第一、ポイントカードはございますか、という商店だ。酒屋のオヤジが酒好きだとろくな事は無い。
しかし居酒屋は違う。酒好きのオヤジ(女将)が居る。美味い肴がある。常連が居る。人が集まり、語る。飲み食いし、感情を発散し、現状批判を叫ぶ(き)治外法権の解放区だ。これはライブハウスも同様ではないか。 しかしそこから一歩出ると、外界の有形無形の圧力に我々は沈黙せざるを得ない。
「ゲンパツなんていらねーんだよ!」「ガイジンばっかりふえちまってよー!」「大体にして最近の若い連中の音楽ときたらなあ!」等々街路でもまだ叫び続ける者を、かばいながら周囲に気遣いながら、次の店はどこか探す。あるいは帰路に着く。
では「天国の居酒屋」はどうなのだ。天国で文句のある連中が夜な夜な集まる居酒屋があるのか?いや天国に夜など来るのだろうか?天国に行って知り合いはどれほどいるだろうか。
思うに、天国があるとして、そこほど詰まらない場所は無いだろう。そこには状況を批判するような音楽が存在しないだろう。蓮の台(うてな)で万年うたた寝でもしているボサツっとした連中がいるだけだ。
それに比べて地獄の面白さよ!世界中の、そして歴史上の、鬼より恐い悪者が亡者を持っている。顔見知りもミュージシャンも大勢居る。
地獄に朝など来ないだろう。つまり延々、地獄の居酒屋は開店している訳だ。ライブハウスもあるだろう。亡者のライブというのも矛盾だが。
鬼共と格闘しながら亡者の権利を主張し、改善される筈の無い地獄環境を改革せんと叫び続ける理由があるのだ。もう怖いものはない。なにしろ死んでいるんだから。
どうせ多少のずれはあってもいつか往くのは皆同じ。片山先輩が血の滴る杯を掲げて待っているぞ。片山さん、ボトル入ってますか?
なに、CDのレビューになっていないって?そんなものが読みたかったのかい?