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CD/DVD DisksReviewsNo. 271

#2029 『Keith Jarrett / Budapest Concert』
『キース・ジャレット/ブダペスト・コンサート』

Text by Hideo Kanno 神野秀雄

『Keith Jarrett / Budapest Concert』
『キース・ジャレット/ブダペスト・コンサート』

CD 1
Part I (14:42)
Part II (6:54)
Part III (8:10)
Part IV (7:35)

CD 2
Part V (5:13)
Part VI (3:52)
Part VII (5:45)
Part VIII (5:35)
Part IX (2:42)
Part X (8:40)
Part XI (5:54)
Part XII – Blues (4:04)
It’s A Lonesome Old Town (8:01) (Harry Tobias / Charles Kisco)
Answer Me (4:55) (Gerhard Winkler / Fred Rauch)

Keith Jarrett: Piano
Recorded live July 3, 2016 at Béla Bartók Concert Hall, Budapest
Producer: Keith Jarrett
Engineer: Martin Pearson
Cover Photo: Martin Hangen
Liner photo: Daniela Yohannes
Design: Sascha Kleis
Mastering: Christoph Stickel
Executive Producer: Manfred Eicher

ECM Records ECM2700/01
ユニバーサル・ミュージック UCCE-1185/6 ¥3,850(税込)
2020年10月30日(金)リリース
視聴と購入は、jazz.lnk.to/KeithJarrett_BTPR

2016年 ヨーロッパ 5都市ソロツアー初日、活動休止半年前の記録

キース・ジャレットは、2016年の欧米8都市ピアノソロツアーの後、2017年2月15日ニューヨーク・カーネギーホールでのソロコンサートを最後に活動を休止し、ニュージャージー州の自宅で穏やかに暮らしている。2020年10月20日のニューヨーク・タイムズ紙に「Keith Jarrett Confronts a Future Without the Piano」という、インタビューに基づいた記事が掲載され、キースが2018年2月と5月の2回、脳卒中に見舞われ、左手、左半身が不自由となり、ピアノを弾くことが厳しい状況であることが2年間の沈黙を破って語られた。日本のニュース記事で”結論”を読もうとするに留まらず、ぜひ原文を読んでキースの想いを直接受け止めて欲しい。5月8日の75歳誕生日にあたり、「キース・ジャレットの音楽の足跡」をまとめたのでご参照いただければ幸いだ。

2016年ソロツアーは、2月9日カーネギーホールに始まり、4月29日ロサンゼルス、5月2日サンフランシスコ、7月3日ブダペスト、6日ボルドー、9日ウィーン、12日ローマ、16日ミュンヘン。本作は7月3日のもので、ツアー最終日7月16日に録音された『Munich 2016』(ECM2667)がリリースされているので、ヨーロッパツアーの最初と最後を聴くことになる。先だって、75歳誕生日にブダペストでのアンコール曲<Answer Me>が公開されている。



L: © Daniela Yohannes/ECM Records R: © Posztos Janos
※いずれも参考イメージ

この夏の夜のコンサートは、ドナウ川に面した立地で、2005年にオープンした「Müpaブダペスト」(旧ブダペスト文化宮殿)にある、最新の音響設計を誇る「ベラ・バルトーク国立コンサートホール」で日曜夜8時から開催された。この日の天候は晴れ、日没20:42。ドナウ川の美しい夕景が、新月直後の澄んだ星空に移り変わるミラクルな時間に演奏された。

コンサートは、<Part I>〜<Part XII>までの組曲のように即興演奏を重ね、加えてアンコール2曲という構成。7月16日に録音された『Munich 2016』でも、12パートから成り、キースが”12″という数字に意味を持たせているのか偶然なのかは興味深い。

両コンサートを比較してみると、<Part I>にはいずれも約14分と、コンサート中で最長の即興を配し、音の粒子がピアノから弾けてホールを舞い飛びながら、ときにパーカッシヴにピアノを鳴らしながら、音響そのもので美に挑戦するようなパフォーマンスを繰り広げる。その音響に身を委ねると、脳の日常使っていない領域に刺激を与え開発され聴覚を拡張されていくように感じる。観客の”音”そのものへの感覚を研ぎ澄ます極上の前菜のようなものだろうか?
約4分間の<Part II>では、不協和音的でありながらハーモニーの美しい移ろいと、朧げに浮かんで来るメロディのようなもの。ここまでは流れを決めていると思われた。
<Part III>以降は進行上の明確な共通点があるわけではないが、短いパートを重ねていく形を取りながら、以前よりも、音響に強くフォーカスしたパフォーマンスよりも、音響へのこだわりの中でもメロディやハーモニーが明瞭に浮かび上がるパフォーマンスが相対的に増えているようで、初期の作品を聴いていた日本のファンにも馴染み易い気がする。「正直、最近のソロは苦手」という方にも、耳を傾けていただけたらと思う。先行配信された<Part VII>をぜひ聴いてみていただきたい。いずれのPartも新鮮で美しい響きに溢れていて、ピアノの表現力の広さと、それを引き出すキースの凄さを再認識させられる。

Part VII (Budapest 2016)

アンコールは、ブダペストもミュンヘンも<It’s A Lonesome Old Town>、<Answer Me>の2曲に、ミュンヘンでは<Someday Over the Rainbow>を加えているので、ある程度考えてあったと推測される。<It’s A Lonesome Old Town>で両コンサートの音響を聴き比べると、ごく僅かな差だが、ブダペストは深く膨(ふくよ)かな音の印象を、ミュンヘンの方が明るく華やかな音の印象を受けた。キースはその土地土地をイメージして演奏を変えていると証言しているので、異なる想いが異なる音に繋がるのか、ピアノやホールの特性、録音によるものなのかはよくわからない。

キースは、『ブダペスト・コンサート』を、他のソロ・レコーディングの基準となる「ゴールド・スタンダード」と捉えているという。前例のない音楽の旅の到達点として聴くこともできるし、何より素晴らしいアルバムとなった。

Answer Me (Budapest 2016)

It’s A Lonesome Old Town (Munich 2016)


L: 『Munich 2016』(ECM2667) R: Carnegie Hall, 2016 ©Hideo Kanno

ジャレット家のルーツのひとつしてハンガリーがあり、子供の頃、バルトーク「ミクロコスモス」などからも学んだ。キースは、このコンサートを「帰郷のようなもの」と捉えていて、祖母のルーツであるこの地で演奏する意義、祖母の思い出、バルトークへの生涯にわたって愛着と深いリスペクトがあり、インスピレーションを受けていることなどを観客に語ったという。遡ること、1985年「TOKYO MUSIC JOY」でのバルトーク<ピアノ協奏曲第3番>も『キース・ジャレット/バーバー:ピアノ協奏曲、バルトーク:ピアノ協奏曲第3番』(ECM NS2445)としてキース70歳誕生日にリリースされている。キースとバルトークについてはこちらの解説も参照されたい。


L: 2014 NEA Jazz Masters Awards Ceremony and Concert, January 13, 2014 ©Alan Nahigian / ECM Records R: New Jersey Performing Arts Center (NJPAC), November 30, 2014 ©Hideo Kanno

この後、2017年2月15日カーネギーホールでソロコンサートがあって、2017年中は他のコンサートはなく、2018年にはカーネギーホール、ヴェネチア・ビエンナーレでの表彰式とコンサート出演などが予定されたが、”健康上の理由”ですべてキャンセルされた。なお、スタンダーズ・トリオでの演奏は2014年11月30日のニュージャージー・パフォーミング・アーツ・センター(NJPAC)が最後となり、2020年9月4日にゲイリー・ピーコックが安らかに永眠したことにより永遠にその幕を閉じた。活動休止直前の『Budapest Concert』と『Munich 2016』は最近のキースを知る貴重な記録だ。

10月22日、日本のメディアからの報道を見て、ピアニストとしての”キースがもう聴けない”ことを悲しむ声が多く上がったが、キースは厳しい現実を抱えながらも穏やかに暮らしていて、長い沈黙の後にようやく現状と音楽への想いを語ってくれたことを前向きに受け止めたい。何かを諦めるでもなく、復帰へ過大な期待を投げかけるでもなく、たくさんの音楽の歓びをくれたキースとご家族への想いを持ち続ける、、ことが大切ではないかと思う。心からの感謝をこめて。

Keith Jarrett – Over the Rainbow (Tokyo 1984)

自宅スタジオにチャーリー・ヘイデンを迎えてのセッション

【Answer Me について】
<Answer Me, My Love>は、1952年にドイツ語の歌<Schütt die Sorgen in ein Gläschen Wein, Mütterlein>または<Mütterlein>として作曲され、1953年にカール・シグマンによって英語詞がつけられ、フランキー・レインとデヴィッド・ウィットフィールドの両者のヒットを経て多くのシンガーに歌われ、特にナット・キング・コールの演奏で知られる。キースもたびたび演奏しており、2013年スタンダード・トリオとしての最後の来日公演でも演奏された。

神野秀雄

神野秀雄 Hideo Kanno 福島県出身。東京大学理学系研究科生物化学専攻修士課程修了。保原中学校吹奏楽部でサックスを始め、福島高校ジャズ研から東京大学ジャズ研へ。『キース・ジャレット/マイ・ソング』を中学で聴いて以来のECMファン。Facebookグループ「ECM Fan Group in Japan - Jazz, Classic & Beyond」を主催。ECMファンの情報交換に活用していただければ幸いだ。

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