#2037 『Takatsuki Trio Quartett / Live in Hessen』
Text by Akira Saito 齊藤聡
Creative Sources Recordings 682
Takatsuki Trio Quartet:
Dirk Marwedel (extended saxophone)
Matthias Schubert (tenor saxophone)
Rieko Okuda (piano, viola, voice)
Antti Virtaranta (double bass)
Joshua Weitzel (guitar, shamisen)
1. Kassel with Matthias Schubert
2. Wiesbaden with Dirk Marwedel
©2020
May 21, 2019 – live, Kulturhaus Dock4, Kassel
November 8, 2019 – live, Mauritius-Mediathek, Wiesbaden
Cover design by Nils Reuter
Takatsuki Trioは奥田梨恵子(ピアノ、ヴィオラ等)、アンティ・ヴィルタランタ(ベース)、ヨシュア・ヴァイツェル(三味線、ギター)によるトリオであり、3人ともドイツを拠点に活動している。奥田は日本生まれ、ヴァイツェルは日本で働いていた経験もあり、こちらでのライヴも多い。このトリオは演奏する地域のゲストをひとり加えることを基本的な方法論としており、最近では、トビアス・ディーリアス(サックス)やアクセル・ドゥナー(トランペット)を招いたりもしている。それゆえのユニット名Takatsuki Trio Quartettだ(カルテットは英語ではQuartet、ドイツ語ではQuartett)。
本盤のゲストは、カッセルではマティアス・シューベルト(テナーサックス)、ヴィースバーデンではディルク・マーヴェデル(エクステンデッドサックス)である。
藤井郷子オーケストラベルリンやサイモン・ナバトフ(ピアノ)との共演で知られるシューベルトのテナーは、独特なヴァイブレーションを持ち、深みのある音だ。かれのプレイを、藤井も、(同じカッセルの)ヴァイツェルも激賞しているのだが、それには確かな理由がある。本盤ではさらに表現を拡張しており、濁りだけではなく歪みも唸りもあって、人間の声に近づいているようだ。
はじまりから、擦音や撥音が誰によるものなのか混乱させられる。シューベルトのテナーやヴィルタランタのコントラバスの持続音が擦れ、ヴァイツェルのギターが撥く音は特定の周波数を放って心地よさを呼び寄せるが、やがて歪んでゆく。背後では奥田の弦がうごめいている。かれらは楽器演奏の様態を開かれたものとし、さまざまな姿に化け、互いに擬態して姿を交換さえもしてみせるのである。それがバンドサウンドとして昇華してゆくさまは愉快だ。
演奏も半ばを過ぎ、突然潮目が変わる。シューベルトのブロウとヴィルタランタのピチカート、さらに奥田のピアノの叩きとが衝突し、ヴァイツェルのギターがハウリングで包みこみ、息を呑んで聴き続けざるを得なくなる。ギターが浮上したあとのテナーのマルチフォニックはみごとであり、背後にはいつの間にかベースとピアノがうごめいている。ヴァイツェルは三味線に持ち替え、四者がエネルギーレベルを次第に上げて演奏が終わる。
ディルク・マーヴェデルを招いたギグにはまた異なる独特さがある。トリオは何をしているのか、叢の中に隠れ、気配だけを強烈に放っている。その中をマーヴェデルがトンネルを掘り進めるようにして「そこにいる」ことをあらわにしてゆくのだが、程なくして奥田のピアノもヴァイツェルの三味線も存在を主張しはじめる。ヴィルタランタが影の主役となってベースをピチカートで弾き続けるとき、その時間は、ヴァイツェルがギターをぽろんぽろんと弦をはじくことによる時間と進み方が異なるようでおもしろい。
ここで、周囲を睥睨して虻の低空飛行のごとき音を出すマーヴェデルがソプラノに持ち替え、突然飛翔をはじめ、そして全員が跳躍する。これも、サックスのネックにホースを、またマウスピースにバードコールを取り付けたりするマーヴェデルの「エクステンデッドサックス」が持ち込んだ力によるものだ。
この2曲目の聴きどころは中盤の静寂にもある。5分ほどの間、誰もが息をころしてかすかな音だけを発し、それがまたすぐれた音楽となっている。やがて枷を解かれてマテリアルの響きや風切りで遊び始めると、聴く者は奇妙に安心させられる。最後は呼応パターンの執拗な繰り返しであり、人為なのかそうでないのかの際があらわれる。
グループ名に付せられたTakatsuki(高槻)は、大阪南部出身の奥田と京都に住んだことがあるヴァイツェルとの間の話から出てきた単語だ。ふたりの間にある都市は高槻あたりで、また大阪にありながら京都的でもある場所という想像がもとになっている。これもまた際であり、境界である。
ところで、ヴァイツェルが三味線の弦に当てるヴァイブレイターはE-Bowなどではなくセックスショップで買った紫色のものだという。こんなところにも、もちろんサウンド自体にも、底知れない遊びの感覚がばら撒かれている。そしてこのグループは旅と開かれた共演とを前提としている。そういった点でも、きわめて現代の即興音楽的であるということができるだろう。
(文中敬称略)