JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 29,147 回

CD/DVD DisksNo. 275

#2065 「アストル・ピアソラ 生誕100周年記念」シリーズ

text by Takashi Tannaka 淡中隆史

マイルス・デイヴィスに「マイルス学」があり、多くのマイルス関連書籍があるようにアストル・ピアソラには「ピアソラ学」がある。「リベルタンゴ」、「トリスタンゴ」といったピアソラ流の言葉あそびに従えばピアソロジーがあり、ピアソリストがいてもいいはずだ。

1980年代の4度の来日公演と1992年のその死の後に多くのピアソラ本が出版されてきた。日本でも時代と共にピアソラの専門家が生まれ、今では世界標準で「ピアソラ学」の中心のひとつになっている。今回、ユニバーサルミュージックより「生誕100周年記念」として発売されるシリーズはそのような日本の状況を背景として生まれた。

ラインナップはベスト盤1枚と「アストル・ピアソラ フィリップス&ポリドール・イヤーズ」シリーズ7枚の計8枚。

ベスト盤

『リベルタンゴ~ピアソラ・フォーエヴァー』UCCS-1293

代表曲「リベルタンゴ」、「ブエノスアイレスの四季」などをギターやフルート、オーケストラによる名録音で収録。シャルル・デュトワ/モントリオールS.O.、マイケル・ティルソン=トーマス/ニュー・ワールドS.O.による「アディオス・ノニーノ」や「タンガーソ」、パトリック・ガロワ(フルート)とイェラン・セルシェル(ギター)のデュオによる「タンゴの歴史」を含む。

「アストル・ピアソラ フィリップス&ポリドール・イヤーズ」のシリーズとして

『モダン・タンゴの20年』UCCM-45001(1964)
デビューからの20年間に率いてきた楽団の変遷を自ら再現。幻の<タンゴ・バレエ>から五重奏団用新曲まで初録音曲も多数収録。

『エル・タンゴ』UCCM-45002(1965)
ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩や散文に作曲、タンゴ界きっての名歌手エドムンド・リベーロによる歌唱。

『ニューヨークのアストル・ピアソラ+6』UCCM-45003(1965)
文化使節として訪れた五重奏団NY公演の成功を受け、帰国後にスタジオ録音した大傑作。ボーナス・トラックとして<ブエノスアイレスの夏>初録音など貴重な6曲を収録。

『タンゴの歴史 第1集~グアルディア・ビエハ』UCCM-45004(1967)
タンゴ勃興期を彩った古典名曲の数々を大編成オーケストラで大胆に料理する企画第1弾。<エル・チョクロ><ラ・クンパルシータ>など。

『タンゴの歴史 第2集~ロマンティック時代+7』UCCM-45005(1967)
ピアソラのルーツと言える好みの音楽家たちの作品中心。ボーナス・トラックとして貴重な7曲を収録した第2弾。

『コラボレーションズ』UCCM-45006(1975~1985年リリース)
1974年以降拠点を欧州に移したピアソラと各国の歌手たちとの貴重な共演を1枚に編集。ジョルジュ・ムスタキ(ギリシャ)からネイ・マトグロッソ(ブラジル)まで顔ぶれも多彩。

『オランピア ‘77』UCCM-45007(1977年リリース)
短命に終わった1970年代「エレクトリック・ピアソラ」期では最高の内容を誇る白熱のライヴ。<リベルタンゴ><アディオス・ノニーノ>を披露。

の合計8枚。いずれも1960年代から70年代までの作品だ。
*(上記、一部分はユニバーサルミュージックのリリース資料、ライナーをてがけ、ジャケットを監修した斎藤充正さんの文章による転載)

斎藤充正さんによると「音源自体はアルゼンチンで2012年から14年にかけてリリースされた “Astor Piazzolla Completo en Philips y Polydor” シリーズで使われたリマスターと同じ」とのこと。だがオリジナル・ジャケットと彼の日本語ライナーを含む、最善の配慮が加えられた待望の国内盤の登場なのだ。

一例として「ニューヨークのアストル・ピアソラ」の場合

国内で普及している90年代の「ポリドール盤」はジャケットが変更されたもので、音源はオリジナルどうりに9曲を収録。今回のリリースではオリジナルLPのアートワークから新たにジャケットを起こし、<ブエノスアイレスの夏>他の6曲を追加した計15曲、2012~14年にリマスタリングされたバージョンとなっている。従来のLP、CDを長く聴き馴染んできた人たちが「新バージョン」に心を動かされない訳がない。

今まで各国でリリースされてきたピアソラのアルバムではジャケットの変更、表記の誤記、勝手なフェイドアウトや曲の組み替え、著作権侵害などがまかり通ってきた。特にイタリアのレーベルには問題が多い。

そもそも『ニューヨークのアストル・ピアソラ』は出発点のオリジナル自体がタイトルを“CONCIERTO EN EL PHILHARMONIC HALL DE NUEVA YORK”としている。しかし実際にNYのフィルハーモニックホールでレコーディングされたものではない。アルゼンチンへ帰国後のスタジオでのレコーディングに「ニューヨークの」とタイトルをつけたものだ。「大らかなお国柄ゆえ」で済まされることだろうか。 1972年にフランスのポリドールからリリースされたLPに至ってはタイトルまで“REVOLUTION DE TANGO”に改変され、写真もデザインも変更された。(コルトレーンの『ブルートレイン』の日本盤だけジャケットを変え、タイトルも「ジャズの革命」にしたようなものです)このような状態がファンのピアソラ理解を大きく妨げてきた。

1998年に『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』(斎藤充正 青土社)が出版されて状況は一変した。一枚一枚の出どころ、その後の変更の過程までがジャケット写真入りで正確にわかるようなった。何を聴けば良いのか、どの道を辿ってピアソラを理解すれば良いのかがようやく明らかになった。

ベスト盤と「アストル・ピアソラ フィリップス&ポリドール・イヤーズ」のシリーズではこれまで蓄えられてきた「ピアソラ学」を背景にして原点に立ち返り、正すべきものを正したリリースが行われている。

ユニバーサルのリリース資料にはいくつかのコメントが寄せられている。
その中でとりわけ若い世代を代表する三浦一馬さんの文章は頼もしい。彼は演奏家であり、研究家でもある新しいタイプの音楽家。ピアソラの未来を託すべき人だ。文頭の「僕ですら」に感じさせる自負が美しく響く。

《僕ですら聴いたことのなかった秘蔵音源が、これでもかと収録されていたことに思わず目を見開いてしまった。これは、間違いなく「生誕100周年」という節目でもない限り、我々が俯瞰することのできなかったピアソラの「軌跡」と言えるだろう。》
三浦一馬(バンドネオン奏者)

アストル・ピアソラを巡る私の記憶はなぜか視覚を伴っている。
1988年に見たミルバとの最後の来日公演の素晴らしかったこと、特に6月26日の中野サンプラザホールでの演奏は目に焼き付いている。この日のコンサートはNHKが録画して同年にオンエアされた。エアチェックを幾度見たことか。しかし30年もたって自分がDVD化に携われるとは夢にも思わなかった。

1980年〜90年代、ニューヨークを訪れた時の私の定番の散歩のひとつ。
ピアソラの最初のニューヨーク時代(1925〜1930)、少年期に住んでいたリトル・イタリーのマルベリー・ストリートを出発、アスター・プレース(Astor Place)を目指し北の方に歩いていく。10分もたたないうちに道はラファイエット・ストリートと合流。さら4th ストリートを左折するとブロードウェイの角に深夜まで開いているダウンタウンのタワーレコードが見えてくる。階段の先にはワールドミュージックのコーナーがあった。左側三列目「アルゼンチン」コーナーに“Piazzolla.A”の仕切り板がある。そこが私の「アストル・プレース」。東京では見た事もないレコードを発見。ブートレグでも何でも片端から買って大満足してホテルに帰る。よくよく調べてみたらタイトル、ジャケットが違っているだけで自分が持っているのと同じものでガックリ。フランス盤LP『REVOLUTION DE TANGO』などもこうして入手してしまったものだ。メゲずにあちこち買い続けるうち、ピアソラ作品の全体像が少しづつわかってきた。そんな経験は20世紀のピアソラ・ファンには多かったはず。本もインターネットもなかったのだから。

その後、機会を得て2002年よりNHKに眠る(はずの)ピアソラの放送音源と映像をCD化、DVD化を始めた。この時に初めて斎藤さん宅を訪ねて、膨大な資料を見せていただき、お話をうかがった。その時の鎌倉や大船の印象も情景を伴って記憶されている。

ピアソラの来日公演4回のうち3回はNHKがTVあるいはFM放送のために収録されている。もとより放送音源のレコード化は大変むつかしい。音源は一定期間の後には廃棄するのが決まりごと。まず「編集して放送される前の完全な録音」を探し出すことから始める。「有ってはならないもの」を「いや、それでもどこかにあるはずだ」と血眼になって何年も探した。
最初のアルバムの発売時、ジャケットのオビ裏に「音源をお持ちの方、見つけた方はご連絡ください」と告知しておいて次のアルバムへの情報が寄せられるのを待つ。
『ミルバ&アストル・ピアソラ』の時も「自宅を整理していたら、サブマスターのコピーようなものが出てきました、これのことですか」とNHK録音部の方から連絡をいただいた。メールを受けたのはニューヨークに出張中で「アストル・プレース」のそばのホテル。こうなると(大げさですけど)「前世からの因縁」すら感じてしまう。

貴重な機会をつなぎ続け、世界に散らばったピアソラの遺族たちと契約をして、斎藤さんと12年がかりで4つのアイテムを作ることができた。

『アストル・ピアソラ ライヴ・イン・トーキョー 1982』(MTCW-1012/13  2004)『東京のアストル・ピアソラ(ライヴ 1984)」(MTCW-1015/16  2006)
『ミルバ&アストル・ピアソラ  ライヴ・イン・トーキョー 1988』(DDCB-13012/13  2009)

映像版DVD

『ミルバ&アストル・ピアソラ  Live in Tokyo 1988 DVD』(DDBB-13001  2015)

現在に至るまでライブ音源の発掘とCD化は盛んで、次々と作品化がなされている。しかしファン待望の名演奏、80年代ウィーンでの2回のライヴの残り音源がまだ「発見」されていない。
『ライヴ・イン・ウィーンVol.1』(1983)はあくまでも『Vol.1』の8曲。その後に未収録テイクが追加されることはなかった。当時のレーベルであるメシドールのスタッフは『Vol.2』以降の収録音源を準備していたはずなのに。
3年後のウィーン、ライヴ録音の最高峰『AA印の悲しみ』(1986)も内容は5曲のままだ。当時のコンサートの演奏は2時間近くあったはず。アンコールを含めると全体は15曲程度が録音されたと思われる。
世界のどこかでこれらピアソラ演奏史を飾る音源が見つかって、製品化されるまで探究は続くだろう。
「生誕100周年記念」のシリーズを手にしてピアソラのミッシング・リンクの完結を夢見たい。

淡中 隆史

淡中隆史Tannaka Takashi 慶応義塾大学 法学部政治学科卒業。1975年キングレコード株式会社〜(株)ポリスターを経てスペースシャワーミュージック〜2017まで主に邦楽、洋楽の制作を担当、1000枚あまりのリリースにかかわる。2000年以降はジャズ〜ワールドミュージックを中心に菊地雅章、アストル・ピアソラ、ヨーロッパのピアノジャズ・シリーズ、川嶋哲郎、蓮沼フィル、スガダイロー×夢枕獏などを制作。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください