#2066 『関根みちこ/Colorful Scenery』

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タイムマシンレコード

関根みちこ (vocal)
木畑晴哉 (piano)
*Kibata plays Bösendorfer Model 170

1. Lover Man
2.Emily
3.Where Do You Start?
4.The Boy From Ipanema
5.I Didn’t Know About You
6.Blackberry Winter
7.The Nearness Of You
8.East Of The Sun
9.People

Produced and arranged by Haruya Kibata
Recorded and mastered by Akihiko Goto
Recorded at Our star Studio , Japan, August 1&2, 2020
使用録音システム
1)金田式バランス電流伝送DCマイクロフォン (Schoeps MK2使用タイプ)x2
2)金田式バランス電流伝送DC録音ユニット
3)オーディオインターフェース RME Fireface UC


text by Toshiro Kobari 小針俊郎

関根みちこのColorful Sceneryを聞いて
楽曲の未知の魅力を引き出してくる自由な精神

ジャズ・ヴォーカルの開放性

僕が手にした最初のヴォーカル・アルバムはビング・クロスビーのクリスマス・ソング集だった。いまから65年ほど前のことだ。これをジャズ・ヴォーカルと呼ぶべきかどうかは分からないが、滑らかな歌唱、スバ抜けた表現力、なによりもそこに漂う華が子供心を惹きつけたのである。

あの当時、ぼくが住んでいた横浜の下町では、ラジオでも普及し始めたTVからも、流れてくるのは陰隠滅滅(と僕は感じた)とした歌謡曲や浪曲ばかりだった。短調の曲や和旋法が嫌いというわけではない。クラシックのレコードを集める叔父や、三味線を弾く伯母の長唄などでそれらはいくらでも聴いていた。僕が歌謡曲に嫌悪を感じたのは、やたらに閉塞感に引き込もうとする暗さだった。

そこへいくとクロスビーの歌は開放感と楽天性に満ちていた。これから成長しようという子供からみると、救われた(!)思いがしたのである。以来この種の音楽を追い求め、そろそろ後期高齢者かという齢に達した。当然ジャズ・ヴォーカルには楽天性だけがあるわけではないことも知ったが、どれほど絶望的な失意を歌った曲(と歌唱)にも自堕落な閉塞感だけは感じたことはない。

何故か?それはいかほどふしだらで不道徳な生き方を歌った曲(と歌唱)でも必ず主人公(と歌唱者)の主体性を感じるからだ。そういう生き方もあるのか、と共感を覚えこそすれ嫌悪はない。往時の日本の歌謡曲にそれが希薄なのは、歌に描かれる人生に演者が過剰に同調して、歌手としての主体性を放念してしまっているからではないだろうか。

原作者も気付かない美の発見

ジャズ・ヴォーカルの良さはこの真逆にある。歌手には楽曲を自由に解釈する大きな裁量余地がある点だ。有名スタンダード曲にはおそらく何百何千というカヴァーが存在するだろう。その全てがとは言えないが、後世に残る名唱には必ず演者その人の解釈による表情が濃厚に表れている。つまりジャズ・シンガーは楽曲に歌わされているのではない。

スタンダード名曲の多くを生んだブロードウェイ・ミュージカルやハリウッド映画の初演時には、俳優は作詞作曲家や演出家の指示によって歌わされただろう。この場面におけるあなたの役は、このような感情を持っているのだから、このように歌いなさい。

しかし楽曲がジャズ・シンガーの手もとに来たときは、既に映画演劇という枠組みは取り払われ、旋律、和音そして歌詞が裸で投げ出された状態であるはずだ。巨匠といわれるホーギー・カーマイケル、ジューリィ・スタイン、ジョニー・マンデル、ジョニー・マーサー、デューク・エリントンなどの作詞作曲家からの指導圧力もない。

ジャズ・ヴォーカルの開放性は、シンガー一人一人の創造力と相俟つことによって、原作者が想像もしなかった美しさに我々を導いてくれるのだ。

関根みちこの歌唱力

彼女のファースト・アルバムを聴いて感じたのは、ジャズ・シンガーの特権である開放性を存分に享受しているということだ。

まず自分が歌うべき曲を十分に吟味している。一見散漫にみえるが、自身の主張に貫かれ、曲づらで購買意欲をそそるような卑しさがない。むしろ地味な選曲だ。これをピアノの木畑晴哉と二人きりで演じていこうという敢闘精神。簡素な編成は可能な限りの裁量余地を確保したいからだ。しかし素顔がむき出しになってしまう怖さもあるだろう。CD制作への意気込みを関根はこう語る。

「DUOは本当に難しいです。だからこそ楽しいとも言えますが。ドラムやベースなどのはっきりとしたリズムを刻む楽器がいるのといないのでは本当に変わってきます。ある意味いつも任せっきりなのかもしれません。DUOはものすごく集中力が必要ですね。自分のメトロノームをしっかり刻まないと成立しなくなるというのが本当によく分かりましすし、歯車が全くかみ合わなくなります。独特の緊張感...だからこそお互いの波長が合うと融合するというか、一体感が生まれる気がします。リズムに関しては今後も課題のひとつですね」

裁量余地が広ければ、己の責任もまた増すということだ。ことさら敢闘精神という所以である。しかもすべてワン・テイク。いまどきのスタジオ録音ではデジタル技術によるピッチの狂い、リズムのズレの修正は当たり前である。プロ・トゥールスと呼ばれるマシーンを使用する録音後の編集作業だが、要するに不美人を美人に見せようとする厚化粧と変わらない。この工程無しで商品化したというのも彼女の敢闘精神。奇跡のようなものだ。

「無修正一発録りだけにライブ感たっぷりのCDになったと思います。木畑さんのピアノもプロデュースももちろんのこと、レコーディング・エンジニアの五島さんのおかげで素晴らしい音質で仕上りになりました」

共演のピアニスト木畑晴哉は彼女の実力をこのように評価している。

「みちこさんの穏やかな語りかけるような声をイメージして選曲しました。歌手との録音で修正できない状態で録音することは珍しいのですが、みちこさんなら大丈夫!と思ってトライしました。みちこさんの人柄が出た柔らかな優しいアルバムになったのではないかなと思っています」

関根みちこの生い立ちと断ちがたいジャズへの情熱

関根みちこは群馬県の生まれである自分をこう評する。

「かかあ天下で有名な群馬県沼田市出身です。生粋の上州っ子です。沼田は城下町で美人が多い町で群馬では有名なんですよ。(笑) 」

彼女も上州の生んだ美人の一人だが、ジャズ・ヴォーカルを志望して今日に至るまでの道程にも、彼女の敢闘精神が躍如として発揮されている。まず幼時の思い出をこう語る。

「幼少期にヤマハオルガン教室に2年ほど通ったことがありました。その頃から歌うことが大好きでした。演歌には全く興味がありませんでしたがクラシックも童謡でもメロディのあるものはジャンル問わず好きでした。振り返ってみると幼い頃から、その日の気分に合わせてよく即興で歌ったりして遊んでいました。即興音楽、まさにジャズですね!小学低学年の頃は、リコーダーを学校で渡されてからはうれしくて30分の帰宅の道のりを黙々と毎日吹きながら帰宅していました。はたから見たらすごく変な子ですね!家でも暇さえあれば吹いていたので “うるさい!” と年中怒られていました。練習量が功を奏したのか学校代表でリコーダーの大会に出場したこともありました」

音楽となると、夢中になる子供だったのだろう。しかし特に音楽的環境の整った家庭ではなかった。

「(音楽とは)全く縁がなかったです。今自分の周りを見渡すと幼少期から音楽をされている方、専門的に学校で音楽を学んでいらっしゃる方、そういった環境に身を置かれていた方ばかりで何というか自分が場違いなところにいる気さえします。音楽を学べる機会がもう少し早かったらまた違った歩みがあったかもしれないと思うことも多々あります。でもそんなことを今さら振り返っても仕方ないのでその分の時間を取り戻すために一分でも一秒でも音楽に没頭したい、そう思います。自分が歌うと皆が喜んでくれる、笑顔になってくれる。子どもの頃から自分はおとなになったら歌う仕事をすると何となく意識していました。音楽の道へ進みたい...そのためには高等な教育を受ける必要があるのだと幼いながらにも漠然と感じていて、 両親に相談したこともありましたが猛反対だったのでそれからは音楽の事には一切触れませんでしたね。今になると親の心配も少しだけ分かる気もします」

ジャズとの出会いはこうだ。

「地元で歌の活動を始めた時に、バンドリーダーから渡された課題の中にイパネマが入っていたんです。わぁ、素敵な曲!と思いました。引き金はボサノヴァでしたがジャズは一つの曲をスイングしたり、ボサノヴァにしたり、ワルツにしたりとても自由で。創造性に溢れていたんです。演奏者や歌い手によって全く違うものに聞こえたりもする。ジャズ!すごい!!そう思いました。そこからはもうあっという間に引き込まれてこんな感じになっております」

やはり、ジャズの自由と開放性に魅せられたのだ。しかしプロへの道のりは遠く厳しかった。

「音楽活動をする友人の誘いで地元での参加型ライブハウスへ付き合いで連れていかれた時に、マスターの “歌ってみて” のひと言が、シンガーとして出発するきっかけになりました。そこからOLのかたわらイベントやレストランで歌い始めました。この時はポップスでも演歌でも与えられた曲はなんでも歌っていました。レッスンは二週間に一度、東京で受けていました。OLのかたわら残業の多い職場で仕事をこなしながら、お風呂や食事、職場での休み時間などの隙間時間を利用してレッスンの録音を聞き、毎日ボイストレーニングをしました。私はジャズの知識も皆無、そもそもどうやったらジャズを勉強できるのだろう?どこで教えているんだろう?どんな人に教わったらいいのだろうか?そこからのスタートでしたから大変でした。今思うと本当に恥ずかしいです。ジャズに精通している人はどんな学校を出て活躍しているのか。そこから調べ始めてやっと見つけたキーワードが<バークリー>でした。なんとも短絡的ですが間違っていなかったみたいです。このキーワードを見つけてからは一気に情報が加速しました」

OL仕事とヴォーカル・レッスン。しかも群馬県から東京都内へ通う日々。いずれはジャズ・シンガーとして一本立ちする野望を秘めていたのだから、お嬢様のお稽古事の暢気さとは気合が違う。

「私の仕事はとにかく残業が多く、とくに繁忙期の四半期締めのひと月は帰りが22時を回るなんて日常茶飯事でした。徐々に練習量も学びたいことも増えてきていたこともあって、練習時間の捻出や出演スケジュールの調整に限界が来ていました。残業で一人職場に残りながらこのままでは歌も仕事も中途半端になってしまう。そんな事をふと思いました。私は自分の気持ちに正直に悔いのない人生を生きていく、父が亡くなってからそう決めていたので、次の日に上司に退職の報告をしました。2015年の4月でした。まったく迷いはなかったです」

デビュー後の活躍

「ステージ・デビューは2015年1月の稲垣次郎さんプロデュースのボーカル・ショーケース(汐留ブルームード)でした。埼玉新都心ジャズコンテストで審査員をしていた稲垣さんから出演してみないかと電話を頂いたのがきっかけでした」

苦労はあったが、ここまでは順調である。しかし関根みちこの本当の飛躍はここからだ。なんと上州女が東京を飛び越えて関西に移住するのだ。学ぶ機会も、仕事の機会も多い東京ではなく、なぜ関西なのか?

「関西にはジャズを育む何かがあるのでは?初めてそう感じたのが新都心ジャズコンテストの最終予選でした。予選出場に残ったヴォーカリストの7~8割が関西から来ていたこと、東京のライブハウスに出演している関西出身の素晴らしいミュージシャンが多くいらしたこと、当時、外国人ジャズ・ミュージシャンのワークショップが東京より大阪で遥かに多く行われていたこと。これは行くしかない、そう思いました。武者修行ですね。それから憧れのシンガーさんもいらしたこともあったので、指導頂けるメリットがありました。そんな理由で仕事を辞めてから迷うことなくすぐに関西に移り住みました。大阪、兵庫、京都、あちこち、至る所に出没しています。望まれればどこへでも飛んでいきます!出演依頼も受付中です!」

シンガーとして一本立ちしたあとも関根の敢闘は続くが、独立を後悔したことはないという。

「OLの頃は組織に守られている安定感がありました。あれは本当にありがたい事でした。毎月決まった額が決まった口座に入金され、冷蔵庫、洗濯機、レンジもベッドやテーブルも全て会社が貸してくれ至れり尽くせりの生活だったとしみじみ思います。シンガーに転向して決して安定しているとはいえませんが、とはいえ、まったく後悔はありません。今、自分の好きな仕事をして生き生きと過ごせていますから。だから歌手を断念しようと思ったことは考えたこともありません。ジャズを習い始めたころ先生に “全くスイングしていない” と言われたときは絶望的な気持ちになりました。スイングできないってジャズは無理!と宣言されたようなものですよね。でもそんな事で諦めたりしないんです。じゃ、スイングするまで練習すればいいんでしょ?そう思いました」

こうした開き直りともいえる押しの強さも関根の魅力の一つだろう。一方協調性を求められるコーラス・グループにも加わっている。柔軟性もあるのだ。女性三人で作る舞グラント・シスターズがそれだ。

「首都圏で活躍されている桃井まりさん(リーダー)と長野県にお住いの堀内実智代さんの3人でマイグラントシスターズというコーラス・グループをやっています。お二人は大先輩であり、普段からとても親しくして頂いている素晴らしい実力派シンガーさんなんです。首都圏の方はご存知な方も多いと思います。それぞれが地方から集まり首都圏で活動することから「出稼ぎ労働者」ならぬ「出稼ぎ三姉妹」というユニット名でした。しばらくしてファンの方からもう少しお洒落な名前に改名するようとのご指摘がありまして、マイグラントシスターズ(渡り鳥三姉妹)になりました。住まいが離れているので集まる機会がほとんどなく練習もろくにできないのですが、本番前日のリハでピタッと息が合うんです。これは正に仲がいいからできることですね。活動が年に数回なので、ライブ遠征の時はお客さまが<ライブのはしご>をするほど楽しみにしてくださっています。昼会場→(夜までどこかで休憩暇つぶし)→夜会場へ、といった具合に。3人それぞれ個性が違うのに本当に美しいコーラスなんですよ。ぜひ皆様に聞いて頂きたいです。首都圏のライブハウスやイベント、雪村いづみさんや渡辺真知子さんなどとも共演したりしました」

これでおおよその関根みちこ像がおわかり頂けたかと思う。因みに彼女の尊敬するシンガーとしてカーメン・マクレエ、アニタ・オデイ、シャーリー・ホーン、チェット・ベイカー、ナット・キング・コール、 セシル・マクロリン・サルヴァントをあげる。

そしてティアニー・サットン、シェリル・ベンティーン、ミッシェル・ウエア、キャシー・シガールその他沢山のアーティストのワークショップやプライベート・レッスンを受講してきた。

「もちろん現在も練習、ボイストレーニングも欠かすことはありません。ジャズは奥が深くて学ぶ事が尽きないですし、スキルや感性を磨くことはもちろん声帯を若く保つためにも日々の練習やトレーニングは永遠に続くのでしょうね」

こうした努力が続く限り2021年における関根みちこの到達点『Colorful Scenery』もいずれは彼女の通過点の一つになるだろう。では彼女にとって歌うことの究極の目的とはなんだろう。

「今日は聞きに来て本当によかった。そう思って頂くこと。私の歌を聞きにきてくださったお客様にハッピーな気持ちで家路について頂くこと。音楽には素晴らしい力があります。共感し、癒し、励まし、祝福...確かに音楽でおなかは一杯にはなりませんし、聞かないからといって緊急を要するものではないとは思います。でも誰もが音楽には力があるってわかっていると思います。贅沢なひとときだったなぁ。癒されたなぁ。多くの方にひとときの安らぎを届けられる、そんなミュージシャンになりたいですね。そして一人でも多くの方にジャズを好きになるきっかけを作る事ができたらいいな、そんな風に思っています。というのはもちろん私がジャズが好きだからです。でも、どこに行ってもジャズは流れています。焼き鳥屋さんでも、美容室でも。皆さんの周りにあまりにも身近にジャズがあるんですよね。せっかくならぜひライブハウスに足を運んで生演奏の素晴らしさ、楽器の奏でる響きや振動を体感してほしいです。ジャズに興味のない方々にジャズって素敵!そんな風に感じて頂きジャズを好きになってもらえたら。そのためにどんどん発信していきたいです。沢山の皆さんにジャズをもっともっと身近に感じて頂きたいですね」


小針俊郎(ジャズ・プロデューサー)Toshio Kobari
1948年3月横浜生まれ。1970年開局の年にFM東京入社。番組編成、音楽番組制作部門に勤務。現在一般社団法人横浜ジャズ協会副理事長、横濱ジャズ・プロムナード実行委員会プログラム部会長、一般社団法人日本ジャズ音楽協会副理事長などを務めている。

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