#2108 『アンソニー・ブラクストン/フリーダム・イヤーズ』
『Anthony Braxton/Freedom Years』」
text by Yoshiki Onnyk Kinno 金野 Onnyk 吉晃
■E式W紙ジャケット MZCB-1443 (Freedom) ¥2,800円+税 (2枚組)
Disk 1:
アンソニー・ブラクストン(as, ss, cl, c-cl, fl)
チック・コリア(p)
ケニー・ホイラー(tp, flh)
デイヴ・ホランド(b, chello)
バリー・アルトシュル(perc, bell)
ロンドン・チューバ・アンサンブル
録音:1971年2月4.5日/ロンドン
1.アップ・シング
2.カルテット・バラッド
3.マーチ
4.フォー・ソプラノズ
5.ビバップ
6.ファイヴ・チューバス
7.ソプラノ・バラッド
8.コントラ・バス
『Complete Braxton Vol.1&Vol.2』(1971)
Disk 2:
Track 1-2:
アンソニー・ブラクストン(reeds, misc. instruments)
ルロイ・ジェンキンス(vln, misc. instruments)
レオ・スミス(tp, misc. instruments)
録音:1969年7月18日/パリ
Track 3-4:
アンソニー・ブラクストン(ss, as, c-cl)
リチャード・タイテルバウム(moog, synth)
録音:1976年6月10日& 1976年9月16日/ ニューヨーク
1.オフ・ザ・トップ・オブ・マイ・ヘッド
2.サイレンス
3.クロッシング
4.ベヘモス・ドリーム
『Silence』(1969) +『Time Zones』(1976)
60年代のある潮流のニュー・シングという呼ばれ方が、次第に「フリ―ジャズ」として認知され、フリーダム・レーベルは意欲的にその担い手達に吹き込みのチャンスを与えた(録音を、吹き込みというのは録音の歴史を思い出させる。既にリバティはあったからフリーダムなのだろうか)。
ここにフリーダムでの4枚の、ブラクストンを主とした作品群がCD二枚となって再発された。私には実に懐かしさと共に響いてくるのだが、70年代の始まりに、ポスト・フリージャズそしてフュージョンやクロスオーバーではないモダニズムとして鮮烈だった。
アンソニー・ブラクストンが、シカゴから渡欧して、フランスのBYGに吹き込んだアルバム群もまた強烈な個性を輝かせていて、今よりずっと前衛かつ実験的だ。若気の至りこそが武器だった。そして彼はロンドンに立つ。そこで出会ったのが後に<サークル>を形成する事になるチック・コリア・トリオの面々だった。「コンプリート・ブラクストン」は、まさにサークル存命中の録音である。
まずはCD1でのチックとのデュオ、トラック7「ソプラノ・バラッド」を取り上げたい。まるでメシアンの「世の終わりの為の四重奏曲」の一部を聴いているかのような、冷え冷えとした叙情性がある。「フリージャズの終わりの為の二重奏」だろうか。
トラック6「チューバ五重奏」は、英国での音楽活動を認可される為に譜面を書いたという。オーネットが弦楽や管楽器のアンサンブルを書いたのと事情は似ている。
またケニー・ホィーラーが参加しているのも注目される。彼は60年代中期から英国のジャズシーンでは、ハードバップからジョー・ハリオットのインド風ジャズまで参加し、遂にフリージャズの名作「カリョービン」(1968年)でも演奏している。この演奏集団SME(スポンテニアス・ミュージック・アンサンブル。ジョン・スティーヴンス主宰)には、デイブ・ホランドがいたという人脈だ。さらにサークル瓦解後のブラクストン・カルテットではチックが抜けてホィーラーが加わり、「New York, FALL 1974」(1974)の演奏では、サークルよりはこのトラック5「ビ・バップ」に近い、オン・タイムでテーマの明確なスタイルを形成している。
奇妙な印象を持つのはトラック3「マーチ」。通常、ベースでランニングしてスウィング感が出るだろうが、同じ事をチェロの弓弾きでやるとなんともノリが悪い。そしてドラムのバリー・アルトシュルはマーチなどやらず自由に動き回っている。
トリオレコードから発売されたLPジャケット写真では、楽器屋の店内かと思う程多様な使用管楽器に囲まれたブラクストンが座っている。この作品群は、其の時点での彼の幾つかの様式を陳列したショーウィンドウなのだ。そこには「フォー・アルト」(1969年)の、サックス・ソロ演奏イノヴェイターという姿ではなく、BYGでの過激な前衛・実験家でもなく、むしろ知的作曲家然とした、形式毎の美をご覧にいれようという意欲が感じられる。
となるとCD2、前半「サイレンス」の、無音ではなく沈黙の長い演奏を聴いて、ケージの「4分33秒」を連想する人もあろうか。それは違う。この演奏はケージの対極の位置から発せられた「ジャズ」である*。
渡欧後初の録音となる「サイレンス」では、シカゴ以来の盟友、レオ・スミスとリロイ・ジェンキンスが参加している。
ジェンキンスのヴァイオリンは何時聴いても、不思議にソウル=ブルースを感じてしまうのが面白い。ある意味ブラクストンと対照的な位置にあるように思える。
スミスはといえば、ニュー・ダルタ・アークリのような構成的フリーから、とても受けの良かったマイルス・トリビュート・バンドまで、理知的、かつ変幻自在なところがあるのだが。
そして時代は、電子的な素材、機材、方法を要請してくる。それは単に電子楽器がジャズに取り入れられたとかいう問題ではない。そうならサン・ラでもギル・メレでも、あるいはポール・ブレイでも呼んでくればいい。しかしブラクストンと対決したのはリチャード・タイテルバウムという電子の巨人だ(惜しくも最近訃報が届いた)。
「タイム・ゾーンズ」というと(日本のヒット曲もあったが)、要するに生活の為の同一的時間帯の意味だ。しかしタイムとゾーンに分離すれば、まさに時間と空間。それは我々の生きている(と信じている)世界の概念の枠組みである。
後年、この二人は改めて「デュエット」(1993年)を録音した(もう吹き込んだとは言えない)。ブラクストンは作曲家ではあるが、常に自分をソリストとして想定した即興演奏家であることを拒否しない、というか根底に置いている。それに対してタイテルバウムは、電子的な技法、システムを常に音楽現象の支えとして構築して来た。それは60年代の即興演奏集団MEVでのライヴ・エレクトロニクス(嗚呼、MEVの中核の一人、フレデリック・ゼフスキーも鬼籍に!)から、その後、自動即興反応システムを発展させた「コンチェルト・グロッソ」(1988年)という作品では、ブラクストンは改めてソリストとしてフィーチャーされている(ジョージ・ルイスと共に)**。
そしてタイテルバウムは自らのユダヤ性を懐古するがごとく、ゾーンのツァディックに「ゴーレム」(1995年)を吹き込んだ(ここは、泥人形に生命を与える意味で「吹き込み」がいいだろう)。
ブラクストンにはこうしたテーマ性やドラマ、レシは無いに等しい。おそらく頑に彼の精神はそのような音楽の外側の時代や歴史を拒否している。というか歴史の外側に位置しようというのか。彼が理論化する「ゴースト・トランス・ミュージック」は先住民の儀式や舞踊からの抽出により記号化された象徴の操作で作曲、演奏するものである。その他「ランゲージ・ミュージック」「フォーリング・リヴァー・ミュージックス」といった独自の理論も並行して作曲家としての地位を確立して来た。作曲は歴史を超越するか。
彼の卓越した演奏能力=バードのアドリブを完璧に演奏してみせた等=は語られすぎたほどだ。そして彼がペデルセン、モントリュ、A. T. ヒースという意外なメンバーと組んだ「イン・ザ・トラディションVol. 1&2」(1974)はまさにジャズの伝承を彼流に重視していることを明示した。しかし、それでもなおブラクストンの諸作品が歴史的に残る理由はと言えば、その非歴史性、ジャズの伝承を超克する故だろう。
ジョン・ゾーンはベイリーに「プラスティック・バップ」と呼ばれたが、実は「ジューイッシュ・バップ」であり、「ジューイッシュ・ハーモロディクス」であった。そして彼もまた即興と作曲の対立をゲーム理論で解消した。ではブラクストンはそれを、理論で無化するか。
アイデンティティの桎梏を強引な方法論で排除し、俺は単なるジャズプレイヤーでも作曲家でもなく、同時に其の両方で、それ以上なのだと言う気概が感じられるのがこの二枚一組の作品集だ。
*トリオレコードから発売されたアルバムには、第1集、第2集とも同じライナーノートが付され、植草甚一と悠 雅彦両氏により興味深い概論と楽曲分析が記されている。機会あらば是非、このLP盤ライナーをご一読いただきたい。
**タイテルバウムの当時の演奏をニューヨークや東京でつぶさに体験し、細かい分析を加えた報告を、大友良英が書いている。雑誌「ORT LIVE」VOL. 2, NO.1=通巻10とNO. 2=通巻11、1989年、音場舎発行)
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