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Jazz and Far Beyond

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CD/DVD DisksNo. 281

#2119 『海原純子/ゼン・アンド・ナウ』
『Junko Umihara / Then and Now』

text by Toshio Kobari 小針俊郎

Nadja 21/King International ¥4500 (2枚組/税込)9/24発売予定
KKJ 9012                                              KKJ 9013

1. Quiet Nights (Corcovado)     1. 2020-2021
2. Bebop Lives (Boplicity)        2. ジーン・リースの魅力
3. Then And Now           3. Skiesは変化するこころ
4. Devil May Care                                4. レジェンドに捧げる
5. You Must Believe In Spring.         5. 同じ春は来ないけれど
6. Waltz For Debby                             6. Then And Now
7. Blue Skies                                         7. 雨の日の天使
8. Turn Out The Stars
9. Now’s The Time
10. I Get Along Without You Very Well
11. 雨の日の天使

海原純子 (vocal)                                   海原純子 (talk)
若井優也 (piano)                                  若井優也 (piano)
楠井五月 (bass)
海野俊輔 (drums)

録音・Mix・Mastering:Studio Dede 東京、2021.6-8
エンジニア:吉川昭仁


人生の明暗から目を逸らさない海原純子の歌の大きさ
「ブルー・スカイズ」にみる正確な解釈

海原純子の新作アルバム『海原純子/ゼン・アンド・ナウ』は、ファースト・アルバム『ロンド』からおよそ一年半の間隔をおいて制作されたものだ。私は『ロンド』の発表記念ライヴを聴いて某ジャズ誌にリポートを書いたのだが、初めて聴いた彼女のヴォーカルの解釈の深さにいたく感銘を受けた。プロを名乗る人でも歌意の解釈が浅薄で、かろうじて旋律をなぞって済ませるような者も多い。海原は原作者の作曲意図だけではなく、創作当時の社会の在り方、世相人情までを弁えたうえで歌っていると感じたから感銘を受けたのだ。詞の理解の深さからも英語に堪能な人であることも察しられた。

新作『ゼン・アンド・ナウ』にもこの探求心は遺憾なく発揮されている。一例をあげてみる。アーヴィング・バーリンの「ブルー・スカイズ」。

アメリカでは国民的といえるほどポピュラーな曲だが、古臭い(1926年作曲)と思うのか近頃は歌う人も少ない。特に日本人歌手は殆ど取り上げていないのではないか。

バーリンらしく一聴明るく親しみ易い曲だし、歌詞も恋の歓喜を手放しで歌っているが、バーリンはこれを短調で書いた。そこにこの曲の特異性がある。解釈とはこの「恋の歓喜」と「短調」という、普通はつながらない作曲手法が如何に整合されているかを考える作業だ。ここに彼女の卓見がある。

この歌の主人公はつい昨日まで絶望の淵にあった。ヴァ―ス(海原は歌っていない)が示すところによれば「I was blue, just as blue as I could be. Ev’ry day was a cloudy day for me」。鉛色の空に覆われたような重苦しい毎日だった。その雲間が割れて青空が現れ陽光がさすのである。「Blue skies, Smiling at me, Nothing but blue skies, Do I see」。

しかし幼年期から大道芸や、歌うウェイターなどの苦労を重ねてのし上がってきたユダヤ系のバーリンは「月満つれば則ち虧く」ることを知っている。だから恋の歓喜を短調系の旋律で表現した。

この曲を海原は、意図的と思うがアカペラでB(サビ)から入る。そこには「Never saw the sun shining so bright, Never saw things going so right, Noticing the days hurrying by, you’re in love, my how they fly」という歌詞がおかれている。有頂天にある者の陶酔の日々は光陰矢の如しというほどの意味だ。海原演じる主人公はその予感に戦慄を覚えている。海原の歌声には己の心に囁きかけるような心許なさがある。Bを終えてAにもどると楠井五月のベースのみの伴奏でワン・コーラス。セカンドからトリオ全員が加わりフェイクもまじえて軽快に飛ばすが、ベース・ソロ、若井優也のピアノ・ソロの後はAA’をスキャットで終えるとまたしてもB(サビ)から歌詞にもどってハミングでエンディングを作る。このエンディングの覚束なげな声の揺れは、不安定な半終止音で極まる。明るくみえても心底はあくまでBlueなのだというように。

この歌はエラ・フィッツジェラルドをはじめ、あらゆるスタンダード歌いが手掛けているが、海原のような心の揺れを感じさせる歌唱は少ない。歌意の解釈とともに演出力にも長けている人なのだ。アーヴィング・バーリンの周到な作曲術を活かした海原の見事さというべきだろう。

このほか「You Must Believe in Spring」の「冬来たりなば春遠からじ」という儚い希望にすがる哀切感。「Devil May Care」の恋の達引き。「Blue Skies」がそうであるように、いずれも歌意の解釈に自らの人生経験の裏打ちがあるから光るのだ。

 

ジャズを封印した青春時代

こうした人間心理を読む術については海原は達人である。ご存知の方も多いと思うが彼女の本業は博士号を持つ心療内科医。研究者として、また臨床医としての経験から精神療法にも通じている。しかし彼女にも悩める若き日があったのだ。

海原がジャズに目覚めたのは慈恵医科大学に通う学生時代のことだ。大学の先輩にジャズ好きが多く自然に感化された。ヴォーカルではサラ・ヴォーンに魅かれた。自分でも歌ってみたくなり音楽教室にも通った。生活費を捻出する為に19歳から25歳まで東京新宿のクラブで歌手として活動した。

「フランス語で贈り物という意味の<Cadeau>という店で毎日バイトで歌っていました。平日は全部ライヴがあったのです。昼は大学、夜はドレスや化粧品をもってそのままクラブへ行っていました。結構ギャラもよかったし、良いお客が多かった。そこで現場で叩き上げという感じで5年間、卒業するまでやっていました」

しかし研修医になると事情は一変する。

「学生時代と違って世間の目が怖いと感じましたね。ジャズなんか歌っている医者は信用できない、そんなことやっている暇があれば勉強しろみたいな空気がありました。ただ私は趣味でやるのはいやだった。それで25歳で歌は全部やめました。持っていたLPもヴォーカルに限らずビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーンなど床が傾くほどありましたが、もう聴くのがつらいし、全くジャズとは関わらないように生きようと思って人にあげたり売ったりしました。以来音楽とは無縁に暮らして医学に一筋に20年やりました」

彼女の言葉にある「ジャズなんか歌っている医者は信用できない」という言葉が重い。

 

人生経験が彼女のジャズ・ヴォーカルを深遠なものにしている

専門家を尊しとする日本では、多才の芽は育ちにくい。それどころか惜しむべき才能の芽が伸びようとすると寄ってたかって潰されてしまうことも少なくない。最近の例では大リーグのエンジェルスで投打走に活躍する大谷翔平選手を、日本の某野球評論家は「プロはそんなに甘いものじゃない」と酷評していた。聖徳太子の「和をもって尊しとなす」は美風かもしれないが、反作用として突出するものを矯めようとする空気が日本にはある。

医学博士、心療内科医、日本医科大学特任教授、昭和女子大学特命教授、日本ポジティブサイコロジー医学会理事、一般社団法人「日本生活習慣病予防協会」理事、公益財団「社会貢献支援財団」理事である海原純子は、こうした医学関係におけるマルチ・タレントだけに収まらない多才の持ち主だ。

大好きなジャズを封印し、妬みや誹謗を跳ね返すだけの業績を残した現在、海原は大手新聞に連載を持ち著書も多数。そしてジャズ・ヴォーカリストでありジャズ専門誌にも執筆するなど縦横無尽の活躍。どの方面においても出色の成果をあげているのだから専門バカから見れば眩暈をおこすようなものだろう。

二十数年の空白期間をおいてジャズ・ヴォーカルに復帰した海原は、2020年初頭に始まるコロナ禍において、ジャズを通して人々の心を和ませる活動を始めている。それは「ジャズと小噺の夕べ」というもので、リスナーから寄せられたテーマに基づく海原の即席の小噺と、内容が通底し合うスタンダード・ソングを合わせて配信しようというものだ。

同様の制作方針で本作『ゼン・アンド・ナウ』にも海原のトークCDが付けられている。本編に収録された曲にまつわる話題をとりあげ、若井優也の静かなピアノをバックに優しく語りかける表情は嫣然一笑の趣。歌声とはまた違う笑みを含んだ艶やかな地声が魅力的だ。しかも「曲にまつわる話題」が考え抜かれている。

タイトル曲の「ゼン・アンド・ナウ」は海原自作の日本語詞に、前作『ロンド』で共演したサックス奏者スティーヴ・サックスが英訳し、若井優也が作曲したもの。一人の少女の成長と開花、様々な経験としなやかな生き方、そして人生の秋が描かれる。女性にとって普遍的な生き方かもしれないが、自伝的でもある。このように女の人生を描く海原の歌と詞は淡々。だが生老病死という誰にも避けられない真理が現前してくる。
前掲の「ブルー・スカイズ」についてはこのような小噺になっている。録音時メンバーと「何故アーヴィング・バーリンはSkyではなくSkiesと複数にしたのだろう」と皆々考え込んだのだそうだ。ここでも彼女の優れた洞察力が起動する。Skiesは気象情報などに頻繁に遣われる。空の表情はバーリンが書いたヴァ―スのように一定ではない。晴雨乾湿があり、落雷の夜もある。「一天にわかに掻き曇り」という言葉があるように、自然現象にたいして人知は及ばない。「短調」「Blue」「複数形のSkies」などを用いてバーリンが暗示したものを海原は受け取り考察し、そして読み解いた。人の恋には転遷のあることを。彼女の歌声に揺れがあるのはこれを表したかったからだろう。

多分、彼女のジャズへの取り組みはこれが原点なのではないか。人生の明暗、哀楽、生死。ここから目を逸らさない観念が出来上がっているから、海原の歌はスケールが大きいのだ。

小針俊郎

小針俊郎(ジャズ・プロデューサー)Toshio Kobari 1948年3月横浜生まれ。1970年開局の年にFM東京入社。番組編成、音楽番組制作部門に勤務。現在一般社団法人横浜ジャズ協会副理事長、横濱ジャズ・プロムナード実行委員会プログラム部会長、一般社団法人日本ジャズ音楽協会副理事長などを務めている。

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