#2123 『Evan Parker Electroacoustic Quartet / Concert in Iwaki』
text by Kazue Yokoi 横井一江
Uchimizu Records, Uchimizu 02
Evan Parker (soprano saxophone)
Paul Lytton (percussion, live electronics)
Joel Ryan (computer music instruments)
Lawrence Casserley (signal processing instrument)
1.ichi (26: 08)
2.ni (23: 16)
3.san (20: 30)
Recorded live at Iwaki City Art Museum, Fukushima, 5 October 2000
Engineer: Yoshiaki Kondo (GOK sound)
Mixing by Joel Ryan
Mastering by Adam Skeaping
Produced by Evan Parker and Hisashi Terauchi (jazz & NOW)
Cover Art: Lee Ufan ‘from Line’ 1980, Iwaki City Art Museum
エヴァン・パーカーはイギリスの即興演奏家として、サックス奏法を拡張してきたパイオニアとしてよく知られている。その彼がエレクトロ・アコースティック・アンサンブル(EAE)を始動したのは1990年のことだ。1997年にはECMから『Toward the Margins』を発表する。そして、jazz & NOW の主宰者である寺内久が、2000年にエヴァン・パーカーを招聘するにあたり、エレクトロ・アコースティックでの企画を提案したことからエレクトロ・アコースティック・カルテットでの来日となった。本作はそのツアーの一環として開催されたいわき市立美術館での演奏のライヴ録音だ。
即興演奏家として名高いパーカーだが、電子音楽や現代音楽にも60年代から興味を持っていたという。「ジョン・スティーヴンスの世界よりもそちらのほうが面白く思えた」とさえ、2000年来日時のインタビューで言っていた。彼がデレク・ベイリーとデュオでリハーサルを始め、さらにジェイミー・ミューア、ヒュー・デイヴィス、クリスティーン・ジェフリーズが次々と加わった、ミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニー(MIC)での活動は、そのような志向の表れだといえる。そしてまた、彼が後に循環呼吸法とマルチフォニックスなどを組み合わせて独自の言語を編み出したのも、そのサウンド戦略から辿りついた必然ではないのだろうか。
MICでの活動は1960年代終わりから70年代初頭にかけての数年間だけだった。なぜ、1990年になって再びエレクトロ・アコースティック音楽に取り組んだのか。パーカー曰く「デジタル・エレクトロニクスの発達は、新しい楽器の可能性を引き出した」ことが大きかったからだと。ECM第1作は、長年に亘って活動してきたバリー・ガイとポール・リットンとのトリオの延長線上にあった。その後、EAEのメンバー構成は時に応じて異なっている。2000年来日時のメンバー、現代音楽をバックグラウンドに持つロレンス・カサレイとアムステルダムにあった電子音楽センターSTEIMで活動してきたジョエル・ライアン(*)の2人は、各々独自の機器(楽器)をソフトウエアも含めて開発し、リアルタイム・プロセッシングを即興演奏の場に持ち込んできた。他方、ポール・リットンはアナログ的なライヴ・エレクトロニクスの使い方をしている。パーカーは「昔からの古いアナログ・ライヴ・エレクトロニクスと新しいコンピュータによるデジタル・ライヴ・エレクトロニクスを加えることによって、とても面白いミックスが出来ると思った。(中略)かつてのミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニーやポール・リットンとのデュオでも、様々な要素を組み合わることをやっていた。時代が変われば、音楽もまた変わる。変化はチャレンジでもある」と語っていた。
エヴァン・パーカー・エレクトロ・アコースティック・カルテット、この編成での公演は2000年来日時が最初だった。私は横浜公演に出かけたのだが、機材のトラブルもあったためか、さほど良い印象は残っていない。当時はライヴ本番でもコンピューター・トラブルが起こることも珍しくなかった。ただ、ロレンスがシンセドラムのようなものを用いていて、そこに他のエレクトロニクス奏者とは違う身体性を感じたことはなんとなく覚えている。続く新宿ピットインでの演奏も観たが、特段すごいものを見たというわけではなく、ぼんやりとした記憶が残っているだけだ。それでも、当時西麻布にあったデラックスでパーカーのソロを間近で見ることが出来たことは嬉しかった。
そのような来日時の印象が残っていただけに、このいわき市立美術館でのライヴ録音を聴いて驚いた。このサウンドの新鮮さはなんなのだろう。21年前の録音なのに…。私が観た2公演とは全く違う異世界が立ち上がってきたのである。来日後、3度目の公演だったことから、ユニットとしての親和性が出来て、より自由に音を空間に遊ばせることができるようになったことがあるだろう。何よりもいわき市立美術館のホワイエという場が、このサウンドをもたらしたことは言うまでもない。ここのホワイエは吹き抜けになっていて、音が心地よく響き、残響面も含めて、即興演奏家やサウンド・アーティストには面白い場だ。パーカーとリットンの放つ楽器音、そしてサウンド・プロセッシングによって変容したサウンド、ホールの残響も含めた音空間が有機的に、音響的に変化していく。パーカーの名刺代わりともいえる演奏も、その音色も不思議なくらいいつもと違って聞こえる。間違いなく、ロレンスとライアンは即興演奏家としてその場で残響も含めた楽器音と対峙し、機器を楽器として機能させている。カルテットというシンプルな編成がここでは功を奏したのかもしれない。どのようなマイクセッティングだったのか(あの場から考えるとマイクを林立させてというのは考えられない)、ロレンスとライアンが音響面でのどのようにコントロールしているのか素人には知るよしもないが、相互の音楽的な理解があってこその即興的交歓だったといえる。そしてまた、このサウンドが聞けるのは録音エンジニアとマスタリングのセンスもあるだろう。
本盤の演奏は時にドラマティックでさえあり、そのディティールは何かを物語るかのように想像力を刺激する。いわき市立美術館のホワイエを思い浮かべつつ、共感覚ではないが、もしひとつひとつの音に色彩がついていて、様々な色が空気中を浮遊し、混じり合い、色相や明度、彩度が変化している様を見られたとしたら、さぞかし甘美な体験なのだろうなと夢想した。それほど、カルテットの放つ音はシンフォニックであると同時に色彩豊かだ。時代性にもたれかかることなく、それを超越して屹立している音楽に出会うことは稀有である。そのような録音に出会えたことが何よりも嬉しい。
* ジョエル・ライアンについては、下記の記事に詳しい。
空気を造形する楽器 ジョエル・ライアン by dj sniff
https://jazztokyo.org/column/special/post-68774/