#2116 『Lyle Mays / Eberhard』
『ライル・メイズ/エバーハルト』by 布施音人

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Text by Otohito Fuse 布施音人

『Lyle Mays / Eberhard』
『ライル・メイズ/エバーハルト』

2021年8月27日 CD、レコード、デジタル、ストリーミングで世界公開
CD、デジタル音源、関連グッズの通販はLyle Mays Store

EBERHARD 13:03

COMPOSITION, ARRANGEMENT & PRODUCED BY Lyle Mays
ASSOCIATE PRODUCERS Steve Rodby and Bob Rice
EXECUTIVE PRODUCERS Lyle Mays and Aubrey Johnson
RECORDED, MIXED, AND MASTERED BY Rich Breen
RECORDED AUGUST 2019 THROUGH JANUARY 2020

LYLE MAYS piano, synthesizers
BOB SHEPPARD tenor sax soloist, flute, alto flute, clarinet, bass clarinet
MITCHEL FORMAN Wurlitzer electric piano, Hammond B3 organ
STEVE RODBY acoustic bass
JIMMY JOHNSON electric bass
ALEX ACUÑA drums, percussion
JIMMY BRANLY drums, percussion
WADE CULBREATH marimba, vibraphone, orchestra bels, xylophone, tone bells
BILL FRISELL guitar
AUBREY JOHNSON vocals (featured)
ROSANA ECKERT vocals
GARY ECKERT vocals
TIMOTHY LOO cello (principal)
ERIKA DUKE-KIRK PATRICK cello
ERIC BYERS cello
ARMEN KSAJIKIAN cello
より詳細なクレジットはこちらを参照

過去は変えることができないし、未来を予め知ることもできない。人は決して巻き戻ることのない時間の流れの中で生きるほかはない。私たちは、この耐えがたい事実から一時的に目をそらすことはできても、病や老い、死別の苦しみや悲しみは不意に目の前に立ち現れ、自らもまたいつかは必ず死ぬ。であるならば、どうにかしてこの事実と折り合いをつけて希望を持って生きたい、この苦しみを超克した境地に近づきたいというのは、多かれ少なかれ人類共通の願いなのではないだろうか。

この超克の契機となりうるものの一つは、異なる世界の時間の流れの同調にあると私は考える。

例えば、映画を観ている最中、登場人物と自分とが自ずと重なって感じられる瞬間があるとする。このとき、自分がたった今映画を観ているという事実がこの世界の中で起こっているのと同時に、映画の中の世界での時間の流れと、映画の外の世界での自分の時間の流れとがある種同調している。そして、このような二重性は、翻って自分が属する世界の更に外の世界との同調を予感させる。

優れた音楽はしばしば、「流れが自然」であると評される。それは、このような同調をあらゆる層で感じさせるということではないだろうか。音楽そのものは眼前の一つの事実としてこの世界に流れる時間と共に進んでいく。しかし同時に、人はその音楽の中に、音同士の力関係が生み出す世界、モチーフ同士の距離が生み出す世界から、その音楽が形作られた経緯、個人的な記憶といったものまで、様々な世界を見出すのであり、「流れが自然」な音楽においては、それらの世界に流れる時間が互いにうまく同調している。言い換えれば、それぞれの世界における自然法則が調和している、と言えるのではないか。

Lyle Mays の音楽はこのような調和に溢れていると私は感じている。ピアノの高音域で少ない音数で紡ぎ出されるメロディーにおける各音の強弱やタイミングのずらし方、コード進行に則ったインプロヴィゼーションにおける音の移り変わりのバランス、シンセサイザーを用いた様々な効果音など、いろいろな水準から見た音楽的世界がどれもとても自然で、水がただ重力に従って流れ落ちているのを観察しているかのような心地よさがある。かといってそれは記述可能(交換可能=没個性的)なものでは決してない。Lyle Mays の巨大で寛容な音世界は、彼自身がその尽きない好奇心と謙虚さとを持ってこの世界をつぶさに観察し、広大な「全て」の中に少しずつ探し出していったものなのだと思う。

さて、つい先日発表された “Eberhard” は、結果的に Lyle Mays の最後の録音作品であり、それも長年の沈黙ののちに一曲だけ制作されたもの(曲の原型は、80年代からのアイデアも合わせながら2009年に作られたもののようだが)とあって、彼の集大成だとか、聴いてしまったら終わりだとかいう、「意味」に毒された聴き方をどうしてもしてしまうだろうという危惧はあった。しかし、聴き始めてみると、そこで感じたのはこれまで Lyle Mays の音楽に触れてきた時と同じワクワク感であり、夢中で最後まで聴き通した。

聴いている中で、これまでに触れてきた Lyle Mays の音楽が自ずと思い起こされるような場面が何度もあった。音群の意味内容についての即物的な類比から、言語化できない直感のようなもの、誘起される感情まで、”Eberhard” の中の「流れ」と彼のこれまでの楽曲の中の「流れ」、そしてそれを聴いているときの自分を取り巻く世界の「流れ」が様々な水準で調和しているように感じられた。上の文章はこのときに浮かんできた思考をまとめたものである。誤解を恐れずに言えば、この作品には Lyle Mays の音楽の全てが入っていると思う。それはこの作品で彼の音楽が完成されたとか、これまでの彼の音楽がこれよりも未熟であるとかいうことでは決してなく、言うなれば、彼の音楽は太古の昔から完成されていて、彼のこれまでの作品は(”Eberhard” もそれ以外もひとしく)その一端を映し出すものであると同時に、そのまま彼の音楽自体でもあるというような、部分と全体の違いがなくなるような、そんな感覚を私にもたらしてくれた。

Pierre Piscitelli により6月に出版された “The Music of Lyle Mays” の中に、楽曲 “Close to Home” について述べた Lyle Mays 本人の文章が載っている。それによれば、この曲の最初のモチーフについてのインスピレーションのひとかけらは、別の世界への窓(a window into another world)らしい。

今回の “Eberhard” は、Lyle Mays の音世界への新たな一つの窓である。この繊細で奥深い窓を通して、また一つ彼の音楽に触れられること、そして音楽への希望、ひいては音楽と非音楽全てへの希望を感じられることに、心から感謝したい。

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布施音人 Otohito Fuse
1996年東京生まれ。音楽家の両親の元、幼少期より音楽に親しむ。4歳からクラシック・ピアノを学び、中高では吹奏楽部に所属。高校時代にBill Evansに触れ、ジャズの演奏に興味を持つ。2014年、東京大学入学と同時にジャズ研究会に入部。学内外のジャズ研究会を中心にセッションを重ねる。2017年、慶應義塾大学ライトミュージックソサエティに所属し、山野ビッグバンドジャズコンテストにてバンドで最優秀賞、個人で優秀ソリスト賞を受賞。2018年Seiko Summer Jazz Campに参加し、優秀賞(作曲・アレンジ部門)を受賞。2021年現在、都内の企業に勤める傍ら、首都圏のライブ・ハウスを中心に活動中。

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