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CD/DVD DisksNo. 285

#2153 『ジェーン・ホール/ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート』

text by Toshio Kobari 小針俊郎

ArtistShare AS0148B/MUZAK MZCF 1447 ¥2,520(税込)

ジェーン・ホール (vo)
エド・ヴィッカート (g)

1.ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート
2.メイビー・ユール・ビー・ゼア
3.ラウンド・ミッドナイト
4.ピープル・ウィル・セイ・ウィーアー・イン・ラヴ
5.マイ・フーリッシュ・ハート
6.マイ・ヴァニー・ヴァレンタイン
7.イット・マイト・ア・ウェル・ビー・スプリング
8.ラヴァー・マン
9.イッツ・マジック
10.アローン・トゥゲザー
11.ドゥ・イット・アゲイン
12.フォー・オール・ウィ・ノウ

1985年8月10日録音 Tronto , Canada


ジェーン・ホールの歌を味わえない聴き手がいるとすれば、彼はジャズ・ファンではない

日本の或る高名な演奏家で、ヴォーカルもよくする人物と話していたとき、彼女が発した言葉が忘れられない。私はそのとき心の中で快哉を叫んでいたからである。

「日本ではメロディーと歌詞さえ歌えばジャズ・ヴォーカルと言われる。そんなことは誰でもできる、本当は即興ができないとジャズ・ヴォーカリストとはいえないと思う。カーメン・マクレエ、サラ・ヴォーン、みな楽器が出来るし即興ができる」

彼女はヴォーカリストとして出発した人ではないが、幼少の頃から歌うことが好きで、両親が喜ぶ顔を見たくて「ちびまる子ちゃん」など子供らしい曲を歌っていたという。

「声って殆どの人が持っているものだから共感しやすい、良いエンターテインメントの中心だなと思っています」
彼女はジャズ・ヴォーカルというものの本質を言い当てている。即興ができる、人を喜ばせる、楽しませること。

果たして現在の邦人ヴォーカリストの何人が、これを弁えているだろう。特に少しばかり魅力的な容姿をもっている女性ヴォーカリストは、それだけで(ジャズ・ファンとはいえないオジサンで)終演後に寿司をおごってくれるような常連客がついてくるから、そこに胡坐をかいてジャズ・シンガーとしての錬磨を忘れているきらいがある。

故ジム・ホールの妻で、実にチャーミングなスタンダード・ソングを歌うジェーン・ホールの『ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート』を聴いて、ふとこんなことを思った。彼女の歌声の根底に「人を喜ばせる」「楽しませる」心の存在を聴きとったからである(即興については後述する)。

ジャズに限らず声楽には器楽ではあらわし得ない人間の情を届ける力がある。優れたシンガーの歌は、聴き手にたいして同席の聴衆が何人いようとも、この歌は「確かに自分宛」だと感じさせることができる。

上掲の器楽と声楽もこなす女性の言葉に戻ると、即興ができなければジャズ・ヴォーカルとは言えないということになるが、ジェーン・ホールは本作を通じて一か所もスキャットを用いていない。ではジェーンの歌は彼女の眼鏡に叶わないのか。

件の女性はそうはとらえていない。彼女は即興以前に、英詞の発音(強弱アクセントの位置)と楽曲の持つフレージング(ブレスの位置)、単語のシラブルの構造(1音節か2音節か3音節か)を徹底的に研究した。これが正確でなければジャズ・ヴォーカルにならないどころか、意味も伝わらないことを悟り「英語の口」に改造してきたのだ。器楽奏者としての訓練を積んでいるから、ジャジーなセンスは元来もっている。従って彼女はジャズ・ヴォーカリストとして見事に成功した。

生来の英語話者であるジェーン・ホールにここまでの苦労はなかったはずだし、ジャズ・ギター史上の巨人であるジム・ホールと仲睦まじく暮らしてきた経験から推せば、ジャズのセンスも磨かれているはずだ。山本勇樹氏のライナー・ノーツ(文章も情報量も構成も非常に優れている)には「毎晩、ジェーンはジムのギター練習にあわせて、色々な歌をうたってあげてサポートをした。ジムは彼女の歌声をとても気に入っていたという。」とある。

確かにジムの練習にもなっただろうが、歌い手にとって「毎晩」ジム・ホールの伴奏で「歌える」ことは望んでも得難いことだ。

ジェーン・ホールは本格的に声楽訓練を経た声ではないし、声域も限られている。しかしそのチャーミングなことはプロのシンガーにもよほど成しがたい。その一例として、ジャズ・ファンの間ではレイ・チャールズとベティ・カーター、サミー・デイヴィス・ジュニアとカーメン・マクレエのデュエットなどで知られる曲を取り上げてみる。

アルバム4曲目に収録されている「恋仲だと人はいう(People Will Say We’re in Love)」。ロジャース=ハマースタイン二世の有名なミュージカル『オクラホマ!』の挿入歌は同じロジャース作品でも「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」(6曲目収録)ほど頻繁に歌われる曲ではない。しかし微妙な恋模様、それも純心な二人の慄く気持ちを描いた曲として秀逸である。

若い男女。互いに好意をもちながら、わざとらしく気の無い素振りで、時には口喧嘩もするという間柄。「花束を投げかけたりしないで、みんなが誤解するじゃないの」という歌い出しに、態度とは裏腹の女心の嬉しさが滲み出る。その恥じらいと幸福感が背中合わせになっている表情は、誰が見ても恋する女のものだとわかる。こんなハマースタイン二世の絶妙の詞の味は、無論未熟な者にはだせないが、かといってカーメン・マクレエのような巧者が歌うとかえって演出が過剰になり、初心な心が浮かび上がらない。

ジェーンはこのデリカシーをなんの手管も用いずに、自然に出してしまう。やや不安定な部分もある音程も、主人公の心の戦慄を伝えて来る。カーメンの鋭く正確な音程と異なり、揺れる少女の心を表すのだ。ジェーンの楽曲への読みの深さが巧まざる表現力となって、おてんば娘のときめきを伝える。エド・ビッカードのギターにのって、おおらかなスウィングも生まれている。音の出と切り上がりが適所に決まり、歌詞が光り輝くようだ。このアルバム自体、夫ジムへのサプライズド・プレゼントとして作られたというからそこには「喜ばせたい」心が密度濃くつまっている。

敢えていうが器用なスキャットだけがジャズ・ヴォーカルを作るのではない。ビリー・ホリデイ、フランク・シナトラが好個の例だが、彼らはスキャットを使わずに、あらゆるジャズメンから尊敬されるヴォーカル・スタイルを作った。発音、発声、フレージング感覚が絶妙だったからだ。この意味で、ジェーンの歌は彼らの後裔たるダイナ・ショア、ドリス・デイなどに通じるものがある。彼女ら大メジャーに属して豪勢なオーケストラをバックにした歌とは違うが、曲の魅力を確かに伝える技は同じである。

畢竟、ジャズ・ヴォーカルとは原曲の表す人情百態を借りて、自らの人生観をそこに反映させる仕事である。敢えて名を伏せたが、私が快哉を叫んだヴォーカル観の持ち主である女性も帰するところは同じことを言ったのだ。ジェーンの歌を聴いてアドリブ・スキャットが無いからジャズではないなどと野暮なことを言う人物ではない。

もしジェーン・ホールのこのアルバムを聴いて、以上の微妙な味わいを解さない聴き手がいたら、その人物はよくいる美人ヴォーカリストのファンと同列の耳しか持っていないと断じてよろしいと思う。

 


♫ Interview(稲岡邦彌)
https://jazztokyo.org/interviews/post-72895/

♫ 及川公生の聴きどころチェック
https://jazztokyo.org/reviews/kimio-oikawa-reviews/post-73120/

小針俊郎

小針俊郎(ジャズ・プロデューサー)Toshio Kobari 1948年3月横浜生まれ。1970年開局の年にFM東京入社。番組編成、音楽番組制作部門に勤務。現在一般社団法人横浜ジャズ協会副理事長、横濱ジャズ・プロムナード実行委員会プログラム部会長、一般社団法人日本ジャズ音楽協会副理事長などを務めている。

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