#2158 『フレッド・ハーシュ/ブレス・バイ・ブレス』

閲覧回数 6,387 回

text by Takashi Tannaka 淡中隆史

Free Flying 2022 FFPC001

Fred Hersch (piano)
Drew Gress (bass)
Jochen Rüeckert (drums)
Rogerio Boccato (percussion)* on (6) Mara

Crosby Street String Quartet:
Joyce Hammann & Laura Seaton (violins)
Lois Martin (viola)
Jody Redhage Ferber (cello)

The Sati Suite:
1 Begin Again
2 Awakened Heart
3 Breath by Breath
4 Monkey Mind
5 Rising, Falling
6 Mara *
7 Know That You Are
8 Worldly Winds
9 Pastorale (homáge a Robert Schumann)
all compositions by Fred Hersch

Engineering by James Farber & David Stoller
Mixed by Brian Montgomery
Mastered by Klaus Schuermann
Recorded at The Samurai Hotel ,Astoria NY, August 24-25,2021
Produced by Franky Rousseau & Fred Hersch
Executive producer: Missi Callazzo


ピアニストのフレッド・ハーシュがベース、ドラムスとのトリオに弦楽四重奏を加えた新作

ハーシュの数多い作品の中でも弦楽四重奏との共演は初めてだ。
幼少期から彼の心の中にひびき続けてきた音は50年のときを経てニューヨークでかたちとなった。アイディアの萌芽はどこにあるのか。

アルバムに添えられた自身の文章によると1960年代前半、ハーシュはオハイオ州シンシナティの小学生だった。ピアノの先生は地元のラサール弦楽四重奏団のチェリスト夫人。当時「ラサール」のチェリストは初代からのメンバー、ジャック・キルステインだ。
「小学生だったころ、その家でリビングルームの絨毯に寝そべって 『彼ら』がリハーサルするのをきいた。8歳で勉強を始めて以来、作曲するときにはいつも4声部の各パートのあり方を考えている。弦楽カルテットの音から音楽をつくっていくのは僕には当たり前のことなんだ。」(ハーシュ)

そんなジャズミュージシャンを他に知らない。
稀なるめぐりあわせは『ブレス・バイ・ブレス』に結実する。

1960〜70年代のクラシック音楽シーンで「ラサール」はとりわけエッジーな存在だった。大作『新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲集』(1971 DGG)をはじめとして、ドビュッシー、ツェムリンスキー、リゲティにまで次々と道を拓いた弦楽のイノヴェーター。ウィーンのアルバン・ベルク・カルテットはシンシナティの「ラサール」なしではありえなかったし、クロノス・カルテットだってそうだろう。現在の視座から見てもアバンギャルドなのだ。
ハーシュが1963年ごろに「その家のリビングルーム」できいた音楽は何だったのか。
と、いろいろな想像が湧き出す。
モーツァルトあたりではないはず。時期的にはウェーベルンかヴォルフ、もしかするとリゲティだってありだ。
ジャズにとって「ストリングス」とは「Withストリングス」のように音楽をゴージャスにすることの手段に陥りやすい。それなのにジャズ・ミュージシャンのハーシュが「弦楽四重奏は私が音楽をつくるときの構成要素」と言いきっているのはとくべつだ。

アルバムの弦楽パートはクロスビー・ストリート・カルテット(Crosby Street String Quartet)の4人の女性が担っている。凄腕のプレイヤーたち。
“Crosby Street”がマンハッタンのストリートを指すのならば、ダウンタウンSOHOの東端を南北に6ブロックほど貫く狭い通りのことだろう。あまり陽があたらず、剥き出しのコンクリート壁はグラフィティだらけ。ある意味、もっともニューヨークらしい光景が目に浮かぶ。ラサール・カルテットの“LaSalle”にはニューヨークの地名起源という説がある。で、あればハーシュはレギュラーでないこのカルテットに“Crosby Street”の名を冠することで“LaSalle”へのオマージュを暗示したのではないか。もし、ほんとなら面白い、とまた妄想がふくらむ。

〈サティ組曲〉はエリック・サティ(Erik Satie)のこと、と考えたけれど、事実はぜんぜん違う。サティ(Sati)はバーリ語の〈気づき〉であり〈瞑想〉を意味するそうだ。ポスト・ビル・エヴァンスのジャズピアニストとして知られるハーシュは2008年からの「大患」と復帰の後、何かが変わった。15曲に及ぶヴィレッジ・ヴァンガードでの再度のライブ・レコーディング『Alive at the Vanguard』(2012 Palmetto)やヴィンス・メンドーサのアレンジ、指揮によるWDR Big Bandとの『Begin Again』(2019 Palmetto)など、まるでエヴァンスの衣鉢を継ぐ集大成的プロジェクトが続いた。しかし『ブレス・バイ・ブレス』だけは異なるルーツから派生しているようだ。
ハーシュ自身が全てのコンポジション、アレンジメント、音づくりを掌握、構成していて「セルフ純度」が高い。過度にピアニスティックな趣にならず、リズムセクションと弦楽器の対立はなくオーケストレーションの中に調和している。実際の進行は譜面の上であっても、まるでオリジナル曲のピアノ・コンチェルトを自在に「指揮振り」しているようなイメージをあたえる。そしてピアニストのハーシュ自身がアレンジャー、指揮者としてのハーシュに「振られて」いるような錯覚を感じる。

ハーシュの考えは音のつくりかたにも正確に反映している。
レコーディング・セッションはマンハッタンに近いクイーンズ区アストリアのSamurai Hotel(サムライ・ホテル・スタジオ)で行われた。郊外のギリシア人が多い地域の情景が見えてくる。
弦の4人、ピアノ、ベース、ドラムスが各々のブースに入り、修正が可能な典型的スタジオレコーディング。クラシック音楽のスタイルであれば、ホールを使っての「一発録り」を選ぶケースだ。
エンジニアは録音がジェームス ・ファーバーとデヴィッド・ストーラー、ミックスがブライアン・モンゴメリーと少し複雑だ。同じファーバーでもアバター・スタジオのスタインウェイで創りだす一連のECMのセッションとはあきらかに異なるシックな音が響く。
緻密で濃厚な楽器たちへの配慮は美しい。

エピローグの〈パストラーレ〉はロベルト・シューマンに捧げられた穏やかな安らぎのしらべ。
こんなハーシュのうちがわの世界を覗くことができるのも『ブレス・バイ・ブレス』の楽しさだ。
小学生ハーシュの体験はラサールからクロスビーへ途切れずに続いていく。

淡中 隆史

淡中隆史Tannaka Takashi 慶応義塾大学 法学部政治学科卒業。1975年キングレコード株式会社〜(株)ポリスターを経てスペースシャワーミュージック〜2017まで主に邦楽、洋楽の制作を担当、1000枚あまりのリリースにかかわる。2000年以降はジャズ〜ワールドミュージックを中心に菊地雅章、アストル・ピアソラ、ヨーロッパのピアノジャズ・シリーズ、川嶋哲郎、蓮沼フィル、スガダイロー×夢枕獏などを制作。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。