#2163 『河崎純 feat. ジー・ミナ/HOMELANDS – Eurasian Poetic Drama –』

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Text by Akira Saito 齊藤聡

Bishop Records

ジー・ミナ(歌)、河崎純(作曲・編曲)

青木菜穂子(ピアノ)、河崎純(コントラバスほか)、熊坂路得子(アコーディオン)、近藤秀秋(ギター、薩摩琵琶ほか)、崔在哲(韓国打楽器、歌)、高岸卓人(ヴァイオリン)、髙橋奈緒(ヴァイオリン)、松本ちはや(打楽器)、森口恭子(ヴィオラ)、山本徹(チェロ)、渡部寿珠(フルート、ピッコロ)、セルゲイ・レートフ(サックス)、ヌルヒャン・ラフムジャン(ドンブラ・コブス)

マリーヤ・コールニヴァ、三浦宏予、吉松章、サインホ・ナムチラク、サーデット・テュルキョズ、三木聖香(声・コーラス)

1. 暗くなる前に
2. 船からの眺め
3. 蓮の華から
4. 済州島の子守唄~てぃんさぐぬ花
5. 北朝鮮歌謡 子守唄
6. まつろわぬものたちが
7. 挽歌(「沈清歌」より)
8. 葬列の歌(江原道の「香頭歌」)
9. ユーラシアン・シナウィ
10. 父の記憶の日2
11. 故国山川
12. 眠りのお船がおりたぞ
13. 千千萬萬歳(青いその波を)
14. 美しき天然(コブス独奏)
15. 韓国の子守唄

コントラバス奏者・河崎純は音楽劇プロジェクト「ユーラシアン・オペラ」を創出してきた。やはりコントラバスの齋藤徹が韓国シャーマン音楽とのコラボレーションを契機として展開した「ユーラシアン・エコーズ」は主に東南アジアから琉球弧、日本、韓国へと北上する黒潮の流れに表現を重ねあわせたものだったが、「ユーラシアン・オペラ」は日本、朝鮮半島、ロシア、中央アジアのつながりを視野に入れている。

そのつながりは歴史的な記憶にほかならない。長距離の越境移動を強いられたディアスポラにとっても、否応なく同じ地に縛り付けられる者にとっても、また当事者と共鳴する者にとっても、である。たとえば、韓国併合(1910年)のあと、農民は生活を圧迫されてロシアに越境したが、1937年、満洲の緊張を懸念したスターリンにより17万人もの者がふたたび極寒の中央アジアへと追放され、いまなおその子孫たちが生活している(*1)。スターリンはそれに先立ってウクライナで強制移住により多数の者を死に追いやっているが(ホロドモール)、これが現在のウクライナ危機につながっていることを考えれば、記憶のつながりが過ぎ去った物語に過ぎないとはだれにも言えまい。

作家の徐京植(ソ・キョンシク)は、国家的暴力によって人間の「根」ごと引き抜かれる「根こぎ」について語っている。それがユダヤ人のホロコーストであり、広島・長崎の原爆投下であり、福島の原発事故であったのだ、と。しかしそれは想像力をもって直視されてこなかったのだ、と(*2)。「ユーラシアン・オペラ」が指向する音楽的なひろがりは、徐のいう想像力の表現のかたちだと位置づけてよいだろう。それゆえに、ともにマージナルな場所にあって大きな国家から抑圧されてきた琉球と済州島とが重ね合わされてもいる。

本盤でもっともフィーチャーされているジー・ミナは韓国宮廷音楽の歌い手だが、ここではパンソリも歌う。パンソリとはパン(舞台)とソリ(曲、唄)の合成語であり、もとはクッ(巫祭)から発生して娯楽へと転用したものだと考えられている(*3)。娯楽とはいえ大変な修練を必要とすることは、たとえば、林權澤(イム・グォンテク)の映画『風の丘を越えて/西便制』(1993年)において、重要な場面での歌唱を韓国の人間国宝・安淑善(アン・スクソン)が吹き替えなければならなかったことでもわかる(この映画でも本盤と同様に「沈清歌」を取り上げている)。それではジー・ミナが役不足なのかといえば、そうではない。むしろ、パンソリに不可欠とされる「恨」(ハン)をのみ表現するのではなく、ジー・ミナが自身の獲得してきた声で歌い、他の音楽家たちとともにそれを重層的なものにしていることに注目すべきだろう。河崎とのふたりだけによる「挽歌」でも、それは成功している。もちろん彼女が歌うのはパンソリだけではなく、しっとりとして伸びやかな声がとても魅力的だ。

河崎純のコントラバスは要所でサウンドを揺るがし、共鳴させ続けている。熊坂路得子のアコーディオンからは花の香りが漂ってくるようで、つねに人間くさくやさしい。崔在哲(チェ・ジェチョル)は在日コリアンとして生まれ育ち、韓国伝統音楽を再発見した人であり、そのためかこのようなハイブリッドの音楽に自然さという力を与えているように思える。松本ちはやの打楽器はじつに多彩なもので、力強くはあってもしなやかなことは、最終曲の「韓国の子守歌」からも感じ取ることができる。

かつて先鋭的な喉歌でフリー・ミュージックのシーンに衝撃を与えたトゥヴァ共和国(ロシア)のサインホ・ナムチラクの声は、近年丸みを帯びてサウンドを包み込むようなものへと変貌してきており、「故国山川」でもその存在感を発揮している。2018年の「ユーラシアン・オペラ」公演の際にサインホらとともに来日し、あまりにも深い情の表出で驚かせてくれたサーデット・テュルキョズの声も、「千千萬萬歳」において聞こえてくる。サーデットの両親は東トルキスタンからトルコに流れ着いた政治難民であり、彼女もまた歴史を体内にもち、間接的にも直接的にも表現に注ぎ込んできた人だということができる。「ユーラシアン・シナウィ」で聴くことができるセルゲイ・レートフのサックスは意外なほどにアジア的であり、2008年の来日時に「お互いを押しのけるような西側のジャズと異なり、ロシアのジャズは聴衆との近いコミュニティであり、アジア人のサイコロジーとも近い」と発言したことを思い出す(*4)。

このように演者たちはまったく別々の場所から集まってきたようでいて、互いに共感しうるものをもっている。本盤では河崎の作ったスコアや音源にあわせて韓国でジー・ミナが録音し、それをもとに河崎が再構成したスコアによって日本側の音楽家たちが演奏したという。また上述の日本や翌19年のソウルにおけるライヴ録音も用いられている。コロナ禍ならではのサウンドの制作手法であり、それゆえの困難さも発見もあっただろう。筆者が来日したサーデットとすこし言葉を交わしたとき、彼女は「たしかに互いに遠いけれど、この世界はとても狭いからまた逢える」と言ってくれた。コロナ禍明けの対面のコミュニケーションは、以前とは異なるなにかを生み出すにちがいない。そのとき「ユーラシアン・オペラ」もまた新たな模索をしているのかもしれない。

(文中敬称略)

*1 朴三石『海外コリアン』(中公新書、2002年)
*2 「フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」」(NHK『こころの時代』、2011年)
*3 李社鉉『朝鮮芸能史』(東京大学出版会、1990年)
*4 「現代ジャズ文化研究会」におけるセルゲイ・レートフの発言(2008年12月7日)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『温室効果ガス削減と排出量取引』(共著)、『阿部薫2020』(共著)、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(共著、細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』(共著)など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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