#2187 『Benoît Delbecq / The Weight of Light』
Benoît Delbecq(ブノワ・デルベック)の文体による調律法

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Text by Tomohiro Hara 原智広(footnotes by Ring Okazaki 岡崎凛)

レーベル:pyroclastic records
2021年2月12日リリース
https://benoitdelbecqpyroclastic.bandcamp.com/album/the-weight-of-light
Benoît Delbecq – piano
In memoriam Ken Pickering and Philippe Bailleul

1. The Loop of Chicago 08:00
2. Dripping Stones 03:07
3. Family Trees 04:15
4. Chemin sur le Crest 03:21
5. Au Fil de la Parole 02:25
6. Anamorphoses 07:37
7. Havn en Havre 05:30
8. Pair et Impair 09:47
9. Broken World 04:51

Recorded by Juien Bassères
Mixed by Benoît Delbecq at Bureau de Son Paris
Mastered by Klaus Scheuermann at 4ohm, Berlin
Piano Technician: Bastien Herbin
Album Design by Barbara Rigon
Album Artwork by Benoît Delbecq
Photo by Lukasz Rajchert courtesy of NFM Wroclaw and Jazztopad Festival
Documentary Film ‘The Weight of Light’ by Igor Juget

Track 4 is dedicated to the Pépin family
Thanks to Bureau de Son Paris, Kris Davis, David Leon, Igor Juget, Lucas, Pol, Nella, Julie.

https://pyroclasticrecords.com/releases/
delbecq.net

BENOIT DELBECQ THE WEIGHT OF LIGHT – Trailer


Benoît Delbecq(ブノワ・デルベック)の文体による調律法

音楽を聴かなくなってどれほどの月日が経つのであろうか。少しづつ、少しづつ時間が消え去っていく中で、私が辛うじて掴みとることが出来るとするならば、Simeon ten Holtなどの現代音楽、ブリジット・フォンティーヌ、阿部薫、レクイエム、それは破滅性を時として、暗闇の中に自ら入り込むように、世界は寒いと呟き、苛酷な優しさもそう何も知らぬまま、私は受け入れてこなかったのだから。フランスの鬼才のピアニスト、ブノワ・デルベックの存在をある音楽ライターから知ったとき、まるで空間全体が振動するかのように指先のそう、震えと、テクニックや形式(演奏の)から崩れ落ちるような疎らなリズムが、魂の揺さぶりとともに蘇ってくる。ここは空白だ。何もない。音を聞こう。音楽だ。恐らく私が知っている数少ない音楽に沈殿したものたちは、その狭間で揺れ動き、イジドール・デュカスの泊まっていた部屋にはピアノしかなかった(身分証明なしで。死亡。)彼のポエジーたる文体は幾つかの意味において、ブノワ・デルベックとの相関性が見てとれる。ふらふらと足取りおぼつかずにウルグアイから船旅にてパリにやってきたデュカスは、裏路地に迷いこみ、雑踏の中で音を聞くことで文体の破壊を試みた、中間の音を喋る、そう、スペイン語たるもの、フランス語たるもの、造成語たるもの、中間の詩を当然のように韻律、奏でているのは彼ではない、彼の残した息遣いと残響だ、デルベックの音楽は、構成された曲の配置では当然なく、既存のジャズたるものの(それが何だかよく分からないのであるが。それを掴むことすらままならない)否定性と時に暴力性を孕んでいて、危うげであり、繊細な、そう、とても冷たく、分裂(或いは真逆のものとしての対置法としてのパラノイア)しかじかの彼の肉体を通して奏でられる、消滅=浄化の繰り返しは或る分裂、亀裂、引き裂きを前提たるものとして、予期せぬ手法を無意識の渦中において時が一瞬止まったかのように流れゆくままに一音、一音が、西洋を頂点とするくだらないヘーゲル的「歴史観」の中から逸脱していく。全くもってそう自由であるさま。酔っぱらいは丘の上に狂ったように駆けていき、少女はピアノで夢の中で演奏し、夢想的なヤコブの涙、光の泡と砕け散る涙のような旋律、まるで眠っているかのように、時はこうして始まっていく。ブノワ・デルベックはボードレールや、パウル・ツェラン、ボリス・ヴィアンを愛していた、音楽よりも先に文学を好んだらしい。音楽でいうと、セロニアス・モンク、ポール・ブレイ、つまりは古典であると同時に前衛的なものに接し自身の「声たるものを」発見していく、当然この過程は方法論でも技術でもなく、「ひとつの生き方」としてだ、或いは「世界との向き合い方」と言ってもいいかもしれない。規則的ではないが限定的ではあるさま、空間の広がりは移りゆく景色の中何を思い描くのであろうか、「私は、そう、此処にいる」この声がこれほどまでに響いてくるのは、恐らく、幻視と幻聴、空気が震えてそれが旋律となって破裂し、「一個の肉体」を通して(器官なきアルトー的身体)浸透し、すぐさま自分が異常であることに気づくのだ。今宵も大勢野蛮な奴らがやってくるだろう、だから私は身を守らねばなるまい、ブノワ・デルベックの〈Strange Loop〉**をスピーカーへと繋げ大音響で響かせながら、そう、ジャン・ジュネが、あのパレスチナにいたときに常に「レクイエム」を聴いていたように、おのれを殺すのはおのれではあるまいなと強迫観念を逆さまに置いて亡霊たる〈Anamorphoses〉*の幾つかの霊気を通すような冷たい声、「それはなんでもない 言葉にすぎない ほんのちょっとの音、静寂を埋めるための ほんのちょっとの音 ただそれだけ(ブリジット・フォンテーヌ)」 あたらしく 舞い上がる 錚々たる景色は この音とともにうたかたの泡と消え去りましょう わたしは 奇しくも 世界に異なったかたちとして 生み出されましたが それはもう耐え難いとき ブノワ・デルベックを召喚しましょう 必死に声をふりしぼらなければならなかったのか?早く、早く、消えてしまう。同時にクラシックの技法もブノワは取り入れつつメスで切開し、切り刻み、ズタズタにボロボロになるまでに、私がそう今夜、ここへやってくることを 気づいておいででしょう、長い長い夜の中に優しい不安ととらえどころのない静けさの中で震える彼の音楽がこの部屋で思い出の破片と共に飛来し、私が私であることを今日も認証出来ない。つまり独自性と、対峙、潜在的な恐怖から逃走するすべをもつ唯一の音楽を、嘆きとともに、逆らって、うようよしているものたちを、誘い、この音楽へのかすかな予感が、霧の中へと、救われたわたしたちはすすり泣く、死を前にした喉のおそるべき沈黙を、瞬間を別の暗さで染めながら、あゆみが終わったことを思う、奏でられた光の音と調律のリズムが、波乱とともに扉が開く、フリー・ジャズへ向けての実践は楽理的な固定的な枠組みを外し、もっと初源的な、情動、旋律、肉体的制限、手癖、潜在的フレーミング、記憶系、フィーリング、テクニック等によって抑圧されてしまっていた。そして、ブノワ・デルベックは恐らくそれに気づき、さらに新しい表現の可能性と自由で開放的な旋律と哀しみを携えて歩みを進めたのだ。もう一度、さらにもう一度、より以上音楽にすることを自由に開放するための方法を。音楽行為の行為化のための意識的な自己組織化と作品志向するとか作曲的手心を演奏に組み入れるということではない。つまり、言葉をもってして音を断ち切る行為、肉体と音と情動との三位一体なるものへと立ち向かうことをあらわし、作品の不可能性に全速力で向かっていくこと、世界と共に孤立する作品こそがそこで唯一歴史性と共に垂直に立つ。ブノワ・デルベックはすぐれたオリジナリティと才能を証していることは言うまでもなく私を驚かせた。このいわば旋律自体が永遠と繰り返されて、重ねられた二つのパターンのモアレ効果が、もう一つのレフを生み出していくような構造をもった作品で、新鮮でナイーブで哀しみをどこか漂わせる個性をうかがわせるものがあった。音の断片の果てに向けて、あらゆる事物、混成、芸術、発狂、言葉、概念、エトセトラ、それらをすべてねじ伏せて、ある意味ではピアノの調律によってどこでもない場所へと向かわせ、死にそうで死に得ない旋律が、決して滅び得ないありのままの感情を訴えかけ、永久不変に残響する。これは文体と音が相見えない一体化と共に不可能性へと到達し、ある到達点にあるかないか分からないオリジナリティを要求するのだ。瞬間、そのオブセッション、受感が何かを明確にする術はないが、その受感が音感へと接近しある不意の出逢い(ロートレアモン流に言うならば、蝙蝠傘とミシンの手術台の上での不意の出逢いにように美しい…と。)を喚起させ、ある意味ではこのような意識のあり方は揺れ動きの中で、未知と未明に晒されつつも、云わばドルフィー体験のように、演奏について頭を巡らし、その行為そのものについて考えさせられる。文体とは人間であるとマルクスが確か言ったはずだが、これはそのまま音楽とその行為者と言ってもいいのかもしれない、アルトー、セリーヌ、ロートレアモン、ランボー、ガタリ、ピエール・ギュヨタ、ケルアック、デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ、ジョルダーノ・ブルーノ、丹生谷貴志etcと同じく強烈な刻印を遺してブノワ・デルベックは反響し続ける。一体何者なのか、演奏の断片が存在と共に、彼らの音律と文体が特に愛着もないのに、永遠にどこにも辿りつくことが出来ないのは何故なのか、私はそれに献身的に音楽に熱中するタイプではない、文体と共に音楽とは、私にとっては、時に対峙するためでもあり、憑依するためでもあり、拠り所とするためでもあり、不可能性への問いを投げかけるためでもあり、確かに私にとってブノワ・デルベックはそのような存在であるだろうし、ただ単に表現が突出しているというだけではすまされない存在だった。音楽の未明とは?存在論とは?神学とは?哲学とは?音楽、そして文学とは?私には必要なことではあるのだろうが、私には何も分からないと言えるだけだ。今、ひとつだけ断言でき、あると言えるのはその果てにある、なんでもない、世界でもない、何者でもない、この世ならざるもののあるひとつの光景である。


注1:文中に登場する2曲〈Anamorphoses〉*と〈Strange Loop〉**についての補足

〈Anamorphoses〉* from『The Weight of Light』by Benoît Delbecq

〈Anamorphoses〉は本稿で紹介するピアノ・ソロアルバム『The Weight of Light』に収録されているが、もう一つの曲はデルベックのカルテットによる『Gentle Ghosts』に収録されている。このアルバムは『The Weight of Light』と同じく2021年にリリースされた。パーソネルは、ブノワ・デルベック(p)、マーク・ターナー(ts)、ジョン・エベール(bass)、ジェラルド・クリーヴァー(ds)である。
『Gentle Ghosts』の詳細については下記のBandcampのページ参照:
https://jazzdorseries.bandcamp.com/album/beno-t-delbecq-4-gentle-ghosts

〈Strange Loop〉** from『Gentle Ghosts』by Benoît Delbecq Quartet

注2:Benoît Delbecq(ブノワ・デルベック)略歴など

1966年生まれ、3児の父。パリ近郊のボンディに在住。

木の枝などを用いたプリペアド・ピアノで打楽器のような音を紡ぎ出し、独特のグルーヴと冷えた音の感触を一台のピアノから生成させるピアニスト、ブノワ・デルベックは、図形楽譜による作曲を行い、ジョン・ケージやジョルジ・リゲティの現代音楽に接近しながら、アフリカン・ルーツのリズムをふんだんに使った躍動感あふれるジャズ作品をリリースし続けている。

6歳からクラシック・ピアノを学んだ彼は、16歳のときに1960年代の米国フリー・ジャズ運動に深く関わったベーシスト、アラン・シルヴァ(Alan Silva)の薫陶を受ける。’70~‘80年代にパリとニューヨークを活動拠点としたシルヴァは、フランスの前衛的音楽を牽引する重要人物でもあったようだ。彼のビッグ・バンドに在籍し、即興音楽を学んだデルベックは、ほどなくマル・ウォルドロンに出会い、彼の教えを受けるという恵まれた音楽環境の中にいた。18歳のときに始めたサウンド・エンジニアの勉強を終えると、デルベックはパリのジャズ・ワークショップで腕を磨き始める。そこではデイヴ・ホランド、スティーヴ・コールマン、ケニー・ホイーラーなどが講師を務めていた。

これまで多数のアルバムをリリースしてきたデルベックの代表作を挙げるのは簡単ではないが、ピアニストでジャズ批評家としても知られるイーサン・アイヴァーソンが、2005年のデルベックとのインタビューの冒頭で、『Pursuit (2000)』, 『Nu-Turn (2002)』,『Phonetics (2004)』がとりわけ素晴らしいと賞賛している。
https://ethaniverson.com/interviews/interview-with-benoit-delbecq/
『Nu-Turn (2002)』はソロアルバムで、今回の寄稿で取り上げた2021年の『The Weight of Light』と比較するのも興味深いだろう。『Phonetics』はクインテット作品で、上述のデルベック・カルテットの2021年作『Gentle Ghosts』に加わるマーク・ターナー(ts)が加わっている。

米国ジャズ人脈とつながりが深く、ヨーロッパのみならず世界的に活躍するピアニストであり、カナダ、バンクーバーのジャズ・フェスティヴァル(TD Vancouver International Jazz Festival)に何度も出演している。

『The Weight of Light』には最近他界した2人の人物への追悼の意が込められているが、その1人はTD Vancouver International Jazz Festival の共同創設者でアートディレクターを務めたKen Pickeringであり、もう1人はピアノ調律師、Philippe Bailleulである。


原智広のプロフィール写真
原 智広
1985年生まれ 作家。フランス文学。映画制作。中学卒業後、様々な職を転々とし、モロッコへ遊学。フランス語を学ぶ。訳著に「ジャック・ヴァシェ大全」(河出書房新社)Boidマガジン、HAPAXなどに寄稿。海外文学の紹介をメインに「死者たち」や「光」をテーマに編んだ全作初公開のアンソロジー「イリュミナシオン」創刊号が発売中。
Tomohiro Hara Né en 1985. Écrivain. Traducteur de littérature française. Réalisateur. Après être sorti du collège, il a changé incessamment d’emploi. Et il est allé au Maroc et a appris le français. Sa traduction est “Œuvres complètes de Jacques Vaché” (Kawade Shobo Shinsha). Et il a écrit dans Boid Magazine, HAPAX, etc. Le premier numéro de l’anthologie “Illumination”, qui a but de présenter la littérature étrangère et s’articule autour des thèmes des “morts” et de la “lumière”, est en vente.

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