#2203 『archeus / archeus(アルケウス)』

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text by Yoshiaki ONNYK Kinno 金野ONNYK吉晃

haang niap Records 004

ヒグチケイコ(voice, percussion, trombone)
TOMO (hurdy gurdy)
内田静男(bass strings)

cassette 51 min (with download code )

CD


「残酷な天使の….」

夢の中では感情が増幅され、覚醒時よりも極端に喜怒哀楽を感じる。そして安寧でも不穏でも、その夢見を誰かに伝えたくなってしまう。しかし一旦その内容を言葉にしようと思った瞬間、既にそれは夢とは全く違う何か、ごくつまらぬものに変容していることに気づく。だから他人の夢語り程面白く無いものはない。
この即興のトリオ『アルケウス』を耳にした途端に、夢の中に引き戻されて行くような気分を味わった。それは決して愉快な夢ではない。否応なく引き込まれる「ああ、またか」というお馴染みの、懐かしい悪夢の一種だ。行き方はわかっている道筋なのに、どうしても抜けられない迷路。
そんな言い方をした所で何も伝わらない。それでも言いたくなるのが夢だ。
なぜなら、我々は夢を昇華したいからだ。
精神の、記憶の、汚辱、廃棄すべき何物かを、我々は夢という。だから夢を見るとは精神の排泄である。
その有様がある者には身体の病状となり、ある者には「表現」となる。いずれにせよそれは「物語」となる。
捕足しておけば「病い」は、その病む者にとってのモデルがあり、プロセスがある。ある症状があり、どの薬を服用し、どの治療を施し、そして病いは癒えるか、共に生きるか、あるいは…。これはひとつの物語であり、それが語りきれないとき、まさにトラウマ(外傷)はトラウム(夢)となって何度も繰り返す。
我々は録音されたメディアによって、何度でもこの、言い様のない、とらえがたい生気=プネウマをして語らしむ。マクロコスモスを巡る汎的生気をプネウマとすれば、パラケルススは身体〜ミクロコスモスのそれ、局所的生気をアルケウスとした。このアルケー(ἀρχή始源)に通じる言葉に、否定辞ἀνを着ければアナルコスἀναρχος、つまり無秩序になろう。すなわち「アナルケウス」。身体生気の氾濫〜病いである。
『アルケウス』はそのようなアナーキーが招来しないように荘厳なまでの音の檻を作っている。つまり三者の音はあたかもオルフェウス教もかくやと思わせる古代の儀礼的音響、あるいはチベット仏教の法要音楽をも想起させる、あまりにも古式な弦楽器ハーディガーディは、通奏低音と不可思議な、しかし妙に器械的なリフレインを、あたかもオートマタが奏しているかのようだ。それよりさらなる低音が鼓膜のみならず、私の丹田を奮わす。
しかもそこに全く異なる、まさにこれこそが他の即興演奏と一線を画す要素を注ぎ込んでいる。それはヒグチケイコの言葉であり声だ。
ソロ4作目『垂直な言語』においてヒグチは馴染みのある歌を聴かせる。「時には母の無い子のように」(寺山ではない)、「黒いオルフェ」、「おけさ節」そして「江差追分」。
ヒグチはかつてこう話した。
「ある海外のコンサートに招かれて、そこで各国の歌手が自国で最もよく唄われる曲を歌ってほしいと頼まれました。しかしはたと考えてみると、私は『一体、老若男女の日本人が誰でも唄える歌ってなんだろう』と思ったのです。それで随分悩みました」
結局何を選んだのか、聴いたとおもうのだが忘れてしまった。『垂直な言語』にその答えの一部が在るのではないだろうか。
しかし、『アルケウス』では歌手ヒグチの、世界に唯一無二の「楽器」たる声は、酸が銅版を腐食してエッチングの画面を描き出すように、心に細かな、浅い、しかし広い領域のトラウマを遺す。これはどこまでもオブジェたる楽器では不可能なことであろう。
ヒグチはまた『アルケウス』は一種の化学反応だったという。三者がであったときに急速にその反応が進んでしまったのだと。これはまさにパラケルスス的錬金術ではないか。
『アルケウス』の演奏の様を画像で見た。トロンボーンを構えた観音を中央に配し、これは暗い神殿に鎮座した三尊像のように思えた。
『アルケウス』が齎(もたら)す、誰も見なかった、そして誰もが見る夢の残像は、しかしまた私の物語になりきれず、虚空に消えて行く。

archeus@Yellow Vision 2021-01-31 ©kazuyuki funaki

http://www.neconeco-rec.com/haangniap/
sample sound
http://www.neconeco-rec.com/haangniap/so-haang004.html

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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