# 2217『ロル・コックスヒル|ジョン・ラッセル|豊住芳三郎|ヴェリヤン・ウェストン/武蔵水の如し』
『 Lol Coxhill, John Russell, Sabu Toyozumi & Veryan Weston / MUSASHI as THE WATER』
text by Yoshiaki ONNYK Kinno 金野ONNYK吉晃
ちゃぷちゃぷレコード CPCD-022
『Lol Coxhill,John Russell,Veryan Weston,Sabu Toyozumi / MUSASHI as THE WATER ~Live at St.Mary Magdalene Church, 2005』
Veryan Weston – tracker action church organ.
Lol Coxhill – soprano saxophone
Sabu Toyozumi -ds, percussion,erhu
John Russell – acoustic guitar
1.Body Awareness I ~Veryan Weston + Lol Coxhill (6:24)
2.Body Awareness II ~Veryan Weston + Sabu Toyozumi(erhu) (7:03)
3.Body Awareness III ~Sabu Toyozumi + Lol Coxhill (6:42)
4. MUSASHI as THE WATER ~Veryan Weston ,Sabu Toyozumi ‚Lol Coxhill,John Russell (10:39)
5.Song for Joanna Russell ~John Russell+ Sabu Toyozumi (6:02)
6. Song for Ulrike Coxhill-Scholz ~Lol Coxhill + John Russell (4:07)
7. Direct System ~Veryan Weston,Sabu Toyozumi ,Lol Coxhill, John Russell (3:32)
Recorded by Martin Davidson at St. Mary Magdalene Church – Welwyn Garden City in England on 24th August 2005.
Produced by Takeo Suetomi
Mastered by Takeo Suetomi
Artwork:Sabu Toyozumi
「新しき和歌のために」
サブさんが、近年とても素敵な絵を描く。このアルバムのジャケット・アートもそうだ。カラフルかつ動きのある筆致。
これとほぼ同時に出たNoBusinessレコードの「ちゃぷちゃぷシリーズ」では、高橋悠治との98年のデュオ『閑雲野鶴』のジャケットにも、実に渋い作品が使われた。こちらはモノクロの墨絵。
タイトルに誘われたわけではなく、私は昔から宮本武蔵の墨絵を非常に好んでいた。一気に、迷い無く描いた鳥の絵。剣豪の名にふさわしい切れ味。
若い時からサブさんの放つ雰囲気には、日本独自のものを感じている。いや別に「ミッキー・カーティス&サムライ」に居たからという訳ではない。考え直せばサブさんだけではないかもしれない。日本のジャズメン、フリージャズ・ミュージシャンは、日本という風土を常に意識していた。それは日本の代表的ジャズ・アルバムのタイトルを見てもわかるだろう(貴方は何を思い出すか。「銀界」?「しらさぎ」?「木喰」?それとも「藻」?)。
ジャズメンのソウルならぬ、「やまとごころ」は歳経るごとに滲みだす風合いが良くなってくるではないか。まあ聴く方もそれなりに古びて来たせいもあろうか。
そして私も、十年程前から時に感じて、俳句や歌を詠んでみたりもしてきた。正岡子規に言わせれば「一万詠んで入り口」というくらいだから、とても門前に達する事さえできない。しかし常に季を風を意識はしている。
俳句や歌は詠もうとして出来るものではないようだ。何か言い知れぬ状況と気持ちの「合気」が言葉となって自然にほとばしるものだ。あるいは一度水の底に沈んだ記憶が、時間をおいて言葉になって浮かんで来るような。
しかし、いつも気になっていたのは和歌と短歌の違いである。定型詩として同じ構造の、和歌と短歌はどう違うか。解説してくれたのは歌人中の歌人、藤原定家の子孫にあたる冷泉家の当主だった。
曰く「短歌は明治以降のもので、物を書ける人が増え、日常感じた事を定型詩で『書く』ようになった。それは書く詩、読む文学なのです。それに比して和歌とは。大和の歌ではないのです。和物の意味ではない。これはある座に集まった人達が、その場で即興で、季節を、風物を読み込みながらあるいは、誰かを思う気持ちを伝える為に、そこで和合する歌だったのです。それは声に出して詠む事が基本です。和歌は『歌う』詩だった。」
私が何を言いたいかもう分かるだろう。すなわち和歌は即興演奏、そして短歌は作曲されたものに比すことができるのではないか。
座をつくり、音を即時に相和して響かせる。まさに即供宴奏。
この座に集まった歌人は皆達人である。惜しくも既に二人が鬼籍に入ってしまった。まずはソプラノサックスの仙人、ロル・コクスヒル。彼程英国のジャズ、ロック界で知られた人は無い。あらゆるスタイルでやってきた。私としてはケヴィン・エアーズのホールワールド参加とか、ダムド、突然段ボールとの共演が嬉しかった。またカンタベリーツリーの重要バンド、デリヴァリーへの参加と、そのキーボード奏者、スティーヴ・ミラーとの共演盤を愛聴しているのだが。勿論即興演奏においても多くのアルバムを遺し、デレク・ベイリー、フレッド・フリスらとの共演も印象的だった。彼の音はいつもユーモラスで、グリッサンドが美しく螺旋状に聞こえる。まさに「笑って=lol」いるような、鼻歌が途切れること無く続く。
そして昨年逝ったジョン・ラッセル。彼はデレク・ベイリーに師事したが、アコースティック・ギターの演奏に特化した。そのギターは決して自己主張すること無く、却ってそのことでアンサンブル全体を沈静化し、澱みのない流れを形作る。容易に出来る事ではない。彼の人徳の為せる業だろう。
彼はジョン・ブッチャーとレーベルを立ち上げ、また自らクラブを運営し、即興アンサンブルの場を常に提供してきた。またソニック・ユースのサーストン・ムーア等の若手との共演も辞さなかった。しかし還暦前に心臓疾患で療養を余儀なくされてしまった。
そんな中でサブとの親密な交流から、ラッセルは日本に度々来ていたが、2013年の大阪と千葉でのデュオライブが、『無為自然』というタイトルで「ちゃぷちゃぷレコード」からリリースされている。もし、静かなるラッセルの溌剌さを知りたければそちらを聴く事をお勧めする。これはのっけから音が凛と立ち上がって来るアルバムだ。
そして英国の即興演奏界の層の厚さを教える知られざる名人、ヴェリアン・ウェストンが居る。彼はロルとは十枚以上の共作を複数のレーベルから発表している。
今、私はちゃぷちゃぷと協力して、発掘されたこの二人のデュオとソロのライブ録音をCD化したいと考えている。ヴェリアンの変幻自在なピアノ、コクスヒルの切れの良いソプラノ、その生き生きとしたコンビネーションはぜひとも紹介したい70年代即興精神の精華である。実にもって記録というのは遺しておかなければならない。特に即興演奏においては。
本アルバムでは、彼はピアノではなく、教会付属のパイプオルガンを演奏している。このライブ全体が、その聖マリアマグダレナ教会で、マーティン・デヴィッドソンによって録音された。教会は写真で見る限り大きくは無い。大きなチャーチオルガンの派手な演奏ならば、フレット・ファン・ホーフェなども好きなようだが、ここでのライブは親密というか、まさにちょっとした座という雰囲気である。
とくに面白いのはトラック2で、サブの二胡が女性ボーカルの様に歌い上げ、背景にウェストンのオルガンが不気味に調和する。オルガンという楽器は、アタックや減衰をコントロールできないから加算的な表現にしかならないように思える。即興演奏では不利だろう。しかし彼はオルガンの得意な和音を重ねていくことで背景を支配してしまうのだ。
もはやサブさんについて改めて書く事は無い。
何が彼をこれほど活発にさせているのだろう。パワーもテクニックも若いときを凌駕している。つまりこの人はまだ発展途上なのだ。
米人サックス奏者、リック・カントリーマンとの共演盤もかなりの枚数になった。それもフィリピン録音である。ポストフリー型即興の生地とも言える英国と、即興不在の地フィリピンを、さらに音楽の坩堝、日本の各所において同時に遍在する打響人サブ。時にスティックを絵筆に持ち替えて、新たな和歌の世界を拓いて行くのか(了)
♫ 購入は;https://www.chapchap-music.com/chap-chap-records/cpcd-022/