#2216 『マルクス・アイヘンベルガー&クリストフ・ガリオ/ユニゾン・ポリフォニー』
『 Markus Eichenberger & Christoph Gallio / Unison Polyphony』

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text by Yoshiaki ONNYK Kinno 金野ONNYK吉晃

ezz-thetics 1038, Hat Hut records Ltd, 2022

Markus Eichenberger – clarinet
マルクス・アイヘンベルガー
Christoph Gallio – soprano & C melody saxophones
クリストフ・ガリオ

1.New ways
2.When the Day is Short
3.When the Day is Long
4.How to Sleep Better
5.How Does My Cat Think
6.Strange Cave System
7.Gifts of the Artists
8.Update
9.A Walkable Swamp
10.The Balance of a Clay Figure


「トゥゲザーしようぜぇ!」〜共鳴共感的鑑賞論考〜

これは二人の木管楽器奏者の、静かな、ユニゾンをテーマにした曲集。
かつてアンソニー・ブラクストンは「ユニゾンこそは最高のアンサンブルだ」と言った。なるほど彼の70年代のコンボ、またオーケストラにおいては徹底的にテーマをユニゾンにしている曲が多い。
嘗てのフィリップ・グラス・アンサンブルや、ジョン・マクラフリンの「マハヴィシュヌ・オーケストラ」や「シャクティ」の迫力も、一糸乱れず、めくるめく変転するユニゾンの賜物だった(プログレ少年の私にはたまらなかった)。
たしかにテーマがユニゾンでびしっと始まり、そこから各自ソロに入ったり、ユニゾンで奇麗にフィニッシュすると「決まった!」と叫びたくなる。
音の無いユニゾンもある。ブレイクというやつだ。これまた決まるとカッコいい。失敗するとみっともないこと甚だしい。後々までメンバーにも客にも言われる(という経験をしている)。

津軽三味線の合奏を聴いた事はあるだろうか。小さい編成だと3人くらいから多い時には100人ほどでユニゾンするのだ。これは圧巻である。ユニゾンによって音は倍加どころか共鳴現象で何十倍にもなる。

クセナキスの合唱曲〈ポラ・タ・ディナ〉は子供達の声で、全く旋律無く一定のピッチで歌われる。これは儀式的なサウンドスケープになる。

アルヴィン・ルシエは、ユニゾンではなく「うなり」に凝っていた。彼は一定の周波数の正弦波を出している環境で、箏を鳴らす。その周波数から少しだけずらして。すると「うなり=ビート」が生じる。そのうなりを観賞するのが、その作品の肝という訳だ。なんだ、そんなものと思うかもしれないが、実際聴いてみると、そのうなりの変化に意識は集中する。単に実験的なのではなく非常に美しい。そこがルシエの素晴らしさだ。
これは永遠の持続音に、自分の声を重ねて行くラ・モンテ・ヤングの永遠劇場音楽にも通じる。

このデュオのアルバムのライナーを書いているのはシカゴの作曲家、アート・レンジだが、彼のテクストの冒頭も面白い。
「簡単な方程式から始めよう:1+1=1」
そうだろうか。ポール・ブレイ、アネット・ピーコックには『デュアル・ユニティ』という作品があったけれど。対概念の止揚を求める弁証法?。
もしユニゾンで共鳴が起きれば=1でも2でもなく3とかになることもあるのだが。まあ、ここでは観念的に二人の奏者の融合は二つになるものではなく、やはり一つになると考えてもいい。異なる二杯の水を混ぜても、そこにあるのはやはり一杯の水だ(これがいわゆる「合祀」の考え方なのだ。合祀した霊は分離できないという)。

さてユニゾンとポリフォニーは同時に存在できるか。まあ、あまり硬く考えないようにしよう。二人は互いに探りあいながら共鳴させてみたり、うなりを楽しんでいる。決して早いフレーズが応酬されること無く、最後までゆったりと響かせあう。

この緩慢さについて思い当たる事が在る。
マージョリー・ウォレス著 「沈黙の闘い―もの言わぬ双子の少女の物語」(大和書房、1990)という本だ。
70年代から80年代、英国に実在したジューンと、ジェニファー・ギボンズの一卵性双生児のドキュメンタリーである。この女性の双子は、精神的結びつきが異常に強く、会話は双子同士だけで暗号のようなやりとりをするが、他者との会話は不能だった。しかし知的停滞ではなく、ジューンは小説を書き、自費出版したほどだ。二人は18歳の時、窃盗や器物損壊、放火、性的放縦を繰り返し、特別病院に隔離される。この双子をどうみるか、精神医学的、心理学的、社会学的に非常に関心が高まったことが在る。
さてこの双子の運命はどうなったか。カスパール・ハウザーの例の如く映画にしたいほど面白い。下記ブログを参考にしてほしい。

https://smjournal.blog.fc2.com/blog-entry-1490.html

私も、かつてあるセミナーでこの双子のことを聴いて興味を持ち、本を購入した。
今回、当CDを聴いて思い出したのは、この双子の日常行動の話である。
彼等は何事をするにも非常に緩慢であったという。おそらくどちらかの行動が先んじたり遅れたりしないように、互いに注意を払いながら動いていたからだろう。二人は常に相互の束縛に依存していた。
もし我々が、何か同時に行動しろと言われたなら、そしてそれが予め決められた通りに動くのでなければ、ジレンマとなる。当然互いを観察して、動きは緩慢にならざるを得ないだろう。双子はそうしろと命じられたのではなく、生来その束縛を選んだ。

アイヘンベルガーとガリオは、ユニゾンに歩み寄りながら、着かず離れずの距離で、束縛された即興を楽しんでいる。楽譜通りに演奏しているのではない。
この演奏には貴方自身も参加できるかもしれない。出来れば管楽器で。

実は私も友人二人と、管楽器のトリオを組んで、ライブをしたことが在るのだが、技術的にも高くは無いので、ミニマルな手法と「うなり」「共鳴」が自然に生まれればそれを楽しむというポリシーだった。ある意味自己完結的な演奏。

トリオと言えば「ボルビトマグース」をご存知だろうか。サックス二人、エレキギター一人の、強烈無比なノイズを延々と即興でやる怪物トリオだった。彼等の決め技の一つが、サックスのベルを互いに密着させて、吹き捲くるという荒技 「BELLS TOGETHER」。それじゃ音が響かないだろうって?とんでも無い。彼等は大概、マイクを直接サックスの中にぶち込んでいるから、聞こえないどころか「うなり」「共鳴」は悲鳴雷鳴咆哮となって生来する。彼等は阿鼻叫喚地獄を楽しんでいる。

https://www.discogs.com/release/956530-Jimmy-Sauter-Donny-Dietrich-Bells-Together

そこまでやらずとも、合唱の経験者なら、声の融合が快感になることを知っているだろう。個が全体の中に溶け込んで往く忘我〜エクスタシーの境地である。あるいはまた、エスキモーの女性達の遊び歌、「カジャクトク」というものもある。二人で向かい合ったり、三人で環になり、一人の声を互いの口の中に反響させて変えるという極めて親密な仲間の遊びだ。非常に早いテンポで行われるのが面白い。
私もストローをダブルリードに改造して吹き、友人と互いの口で共鳴させるという真似をしたが、予想外の変な音に爆笑して持続できなかった。

ちなみにアイヘンベルガーとガリオは、共にスイス出身、生れも1957年と一緒だ。そして筆者もまた同い年である。生まれは岩手だが。
ガリオはよく日本ツアーで盛岡にも来た。次には彼と、できればアイヘンベルガーも一緒になって、カジャクトクか、ベルズ・トゥゲザーしてみたいものだ。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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