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CD/DVD DisksR.I.P. 坂本龍一No. 301

# 2245 『土取利行・坂本龍一/ディスアポイントメント・ハテルマ』

review by 金野Onnyk吉晃

ALM RECORDS, AL-7, 1976

坂本龍一 (p,voice)
土取利行 (per)

A1.綾 (Aya) 20.06
B1.器の中 (Utsuwa no naka) 6.10
B2.a/φ (musique differencielle 1°) 13.50
B3.∫/ (musique differencielle 2°) 6.10

1975年8月,9月
produced by Kenichi Takeda


「1976年、<学習団>と未達の革命」

このレコードを聴いたのはリリースから二年ほどした、多分21歳くらいの時だったろう。INCUS、FMP、ICPという存在を知り、入手困難なそれらレーベルのレコードを、ジャズ喫茶で嫌な顔されながらリクエストし、知人の伝手を頼って聴かせてもらい、懇願して貸してもらったものだ。快くレコードを貸してくれた竹田賢一という存在は、間章、高橋悠治と並んで私の音楽観を拡張してくれた師の一人であった。
三人には幸運にも直接会う事が出来たけれど、活動を共にしてくれたのは竹田氏である。竹田氏の文章は、音楽における革新、社会批判という問題を常に突き付けて来た。その竹田氏が、なんと今(当時の、である)をときめくYMOの坂本龍一と懇意であるのを知ったのは暫く経ってからだった。そして前衛的ジャズドラマーとして知られた土取利行と、坂本のデュオアルバムを、氏がプロデュースしているという。これは聴かずにはおれない一枚だろうと、通信販売で入手し、針を降ろした。

A面全ては〈綾〉という一曲で占められる。
いきなりプリペアド・ピアノの金属的な無調のノイズクラスター、そしてシンバル類を極力排した余韻の無い乾いた響きのタムの連打。そこにスネアもないのは、師たるミルフォード・グレイヴスの薫陶だったろうか。これは私の想像とは全くかけはなれたサウンドだった。打ち寄せる波のようなパルス。それは決して暴力的ではなく、異質な二つのサウンドが、せめぎあい、到達する事の無いアクメを模索してのたうちまわる様だ。敢えて言えばプリペアド・ピアノを弾くセシル・テイラーとミルフォードの共演。途中、坂本と土取のソロがあり、またデュオになって意外にも盛り上がって終結。
当時の私はA面を何度も聴いた。納得が行かなかったからだ。それまでかなりの即興演奏を聴いて来たつもりの耳に、この演奏は馴染まなかった。何かが違う。しかしその「何か」が分からないのだ。それは違和感ではなく、聴取意識の裂け目のようなものだった。プリペアド・ピアノもケージ流のリズムがはっきりした演奏ではなく、やはりフリージャズ的ではあるのだが。
そしてようやくB面。もしかしたらここに理解の糸口があるのではないか。
〈器の中〉と〈musique differencielle 1°〉は連続して演奏される。把握しやすいオスティナートが、マリンバやスティールドラムで淡々と流れ、またボンゴも決してラテン的な演奏ではなく淡々と奏される。そこにシンセサイザーや、プリペアド・ピアノなどが蔓性植物のように絡まってくる。
ここまでは土取・坂本の連名になっているが、最後の曲〈musique differencielle 2°〉は坂本の多重録音ソロである。彼自身の声が母音と子音を分割されるといった操作が用いられ、音響学的な関心を最後まで失わなかった坂本の初期の試みが既にある。またこの曲では「古代ギリシャのリズム」が要素として記載されているが、これは高橋悠治やその師クセナキスの影響でもあろうか。

さて、私は久しぶりにこのレコードを聞き直し、かつまた、その音楽が今回のJTに再録した75年の坂本龍一(と学習団)の文章に呼応していることに改めて驚いている。坂本がこのレコードに用いた音源をもう少し列挙してみよう。「能の拍子」「親指ピアノ(いわゆるカリンバ)」「木魚」「地下鉄の音」「竹の鳴子」等。
<学習団>のメッセージにこうある。
「無意識的に或いは故意に忘れ去られた過去の財産、民族の財産を発見し、拡張することで人民自身の財産とすること。….現行において難易度・新しさは階級性(社会性)と切り離しては考えられない。江戸時代において文楽を修業できた者の階級性を問う視座は、未だにある有効性を持っていると思われる。….このように我々は“音楽”に過剰な幻想を押しこめることをやめなければならないし、又それは静的な“小宇宙”などではなく常に批判検討に晒されることにより、いつでも誰でも変更できるsystemを担っていかなければならない。」
フリージャズや現代音楽という「小宇宙」の成果さえも相対化し、あらゆる音響素材を分析し、再構成するという極めて主知主義的な、同時にそれを即興と作曲という相補的な関係に結びつける作業の、初期の成果がここにある。

しかし、ここには決定的に欠けているものがある。
それはまさに「ウタ」であった。坂本がそれを実践するのはそれからしばらく先のことだ。
「我々の聴き方を人民の欲望の側から学びとること。その学習過程の相互批判(人民の中での)の材料として“音楽”をrealizationすること。」とは一体どのようなリアライズなのだろうか。人民の欲望はどこに、どのようにあるのか。しかし76年の彼には「人民の欲望」が聞こえていなかった。

「ある音楽を階級性・民族性ときり離して聴く聴き方(シニフィアンの専制)をマス・メディア・教育等を通して24時間的に流通させている体系を粉砕していくと同時に、….人民内部での階級分断に対して賃金平等、私的所有の廃棄を我々内部で模倣的に先取り実践していくことが必要である。」と宣言した事態は彼を取り巻く周囲で、どうなっただろうか。
はたまた「我々自身(音楽スペシャリスト)を揚棄していく作業過程でなければならない。」という宣言は…。
坂本の震災復興活動、すなわち仮設住宅提供や「東北ユースオーケストラ」といった事業は、好機と言えば悪いが、最も端的に、民衆の欲望の充足、というより生存への支援として実践されたことは記憶に留められる。
私はただ、成功者の宿命というものがあるとすれば、それを見てしまう。
そしてこんな事も思う。もし坂本=学習団の理念がそのまま成就したような「音楽の搾取なき生産と供給」が構築できたとしたら、それは何か恐ろしいシステムになってしまうのではないだろうかと。それは、誰もがパソコン、スマホであっさりとサンプリングした音源で快適な音楽を楽しむ事なのか。
コーネリアス・カーデューは、小杉武久との対話の中で毛沢東主義を称揚し、当時の中国やルーマニアの芸術の発展を称賛する。その一方で実験音楽、即興演奏を否定する(*)。若き坂本が、そのままカーデューの道を歩むとは思えないし、カーデューの晩年の美しいピアノ曲もまた忘れられない。

一方で、土取利行の生き方も注目に値する。ご存知の通り、世界を巡ったこの希有な音楽家は縄文文化に出会い、土器から縄文鼓を再生、銅鐸、サヌカイト等の演奏を通じ、この弧状列島の文化古層へと垂鉛を降ろす。彼もまた独自の視線と理念から、「我々の聴き方を人民の欲望の側から学びとること。その学習過程の相互批判(人民の中での)の材料として“音楽”をrealizationすること。」を成就させたといえないだろうか。

そしてまた、このレコードのプロデューサーで、<学習団>の共同創立者たる竹田氏は、早くも「ウタ」の不在に気づいた。そして彼は「革命の余興」をもって任じるバンド”A-MUSIK”を結成し、坂本とは全く異なる方向で「我々の聴き方を人民の欲望の側から」音楽をリアライズすることになったのである。
(*:小杉武久『音楽のピクニック』1991、2017、書肆風の薔薇。この対話の初出は雑誌『トランソニック』第9号、1976。対話自体は1972年、英国で行われ、出版に際し高橋悠治が翻訳した)

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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