JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

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CD/DVD DisksNo. 208

#1218 『Weasel Walter & David Buddin / Quodlibet』

text by Narushi Hosoda 細田成嗣

Not On Label (Weasel Walter Self-released)

Weasel Walter (Drums)
David Buddin (Composition and Piano Realization)

  1. Augury Prelude
  2. Augury

Published by Sedition Dog Music(BMI)
Copyright Walter/Buddin 2015 – All Rights Reserved

Drums recorded on April 10, 2015
by Colin Marston at Menegroth, Queens, NY
Mixed and Mastered by Weasel Walter

Photos and collage by Dominika Michalowska


作曲作品と即興演奏によるデュオ・アルバム

40年近く前にニューヨークで巻き起こったノー・ウェーブのジャンル破壊的なありようを現在へと接続するキーパーソンとも言うべき存在であり、もっぱらドラマーとして活動を行っているウィーゼル・ウォルターが、同じくニューヨークの音楽家であるデイヴィッド・バディンがあらかじめ作曲しピアノ演奏を行った録音を相手取って、即興による「共演」を試みたデジタル・アルバムがリリースされた。バディンはウォルターが立ち上げたレーベル「ugEXPLODE」から2012年に電子音楽作品を発表していて、はじめに設定した6つの音の順列をもとに楽曲の細部から全体の構成まで決定していくことでつくりあげたそのアルバムは高く評価され、ヴィレッジ・ヴォイス誌によって同年のベスト・コンポーザーに選ばれている。他方ではティム・ダール、ケヴィン・シェイとともに組んだ「アメリカン・リバティ・リーグ」というグループにおいて路傍のブルーズ・マンさながらの渋味を効かせた歌声を披露しており、そこからはセリエリズムの流れを汲む作曲家にとどまることのない彼の活動の幅広さを看て取ることができる。ちなみに彼がテーマ曲を手がけレギュラー・メンバーとして出演している「BJ Rubin Show」というテレビ番組があるのだが、これは昨今のニューヨークの動向をたとえば「Jazz Right Now」とはまた別の切り口から眺めることができてなかなか興味深い。

ライナーノーツに記されているようにウィーゼル・ウォルターは以前、主にフリー・ジャズの音盤とセッションする「ノンウェーブ」シリーズという試みを行い、その音源をインターネット上で密かにばら撒いていたことがある。楽器経験者なら誰しもミュージック・レジェンドとの擬似的な共演を楽しんだことがあるかもしれないし、いまの時代ならなおさら、たとえば自宅にひとりで居ながら動画サイトを渉猟しつつそうした遊びを気軽にやってみることができる。エレキ・ドラムを手にしたもののひとりで叩くのがあまりにも退屈だったという彼がそうした試みをはじめたのも、だから特別珍しいわけでもないようにみえる。だが気になるのは次のような証言だ。ライナーノーツによれば、彼はソロ・ピアノというものがどうにも気に入らないらしい。西洋音楽の基準の具現化とも言えるこの楽器の音は彼にとって「綺麗」すぎるのである。言い換えれば無機的に聴こえる。そこにはノイジーな要素が足りない。そこで彼はピアノに即興によるドラミングを加えることで、いわば泥まみれにすることで、「綺麗」すぎるもとの演奏を補完しようと試みる。デイヴィッド・バディンの作曲スタイルが西洋音楽の極北とも言うべきセリエリズムに根差したものであることも重要だ。つまりもっとも「綺麗」な演奏だからこそ、「泥まみれ」にする価値がある。

しかしこのことはなにもソロ・ピアノに限らないのではないか。録音の完了というただそれだけの理由によってあらゆる響きが音楽作品として聴取の対象となることを考えるならば、「綺麗さ」とはまさしくパッキングされた録音物の安全性に他ならないからである。調律されたピアノをどれほど出鱈目に叩こうとすべての音が西洋音楽の範疇へと回収されてゆくように、どのような響きも録音されることで完結した音楽作品としての体裁をなす。いかに精緻に作曲されていようとも、デイヴィッド・バディンのピアノ演奏は、再演されるたびに異なる響きとして立ち現れる可能性を秘めていたのだった。だが録音を終えたまさにその瞬間にただひとつの響きとして固定され、あらゆる偏差は切り捨てられる。このような「綺麗さ」を見いだすならば、それに対して絶対的な遅れを伴いながら一方的に反応し続けるウィーゼル・ウォルターのドラムスは、単に「共演」しているのではなく、完成されたかにみえたピアノ演奏をもういちど音楽が生成する途上へと連れ戻しているのだと言えるだろう。そしてそれを録音行為による音楽作品の暴力的な完成をどこまでも遅延させていく営みの一環として捉えるとき、「ノンウェーブ」シリーズもまた、ただのありふれた遊びとして見過ごすことができなくなる。ウォルターは社会的/技術的制度性に絡めとられた音楽にもういちど生きる場所を与えようとしている。少なくとも本盤では、それらが二重に「泥まみれ」にされた演奏として表されている。

初出:2015.5.31 Jazz Tokyo #208

細田成嗣

細田成嗣 Narushi Hosoda 1989年生まれ。ライター/音楽批評。2013年より執筆活動を開始。編著に『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社、2021年)、主な論考に「即興音楽の新しい波──触れてみるための、あるいは考えはじめるためのディスク・ガイド」、「来たるべき「非在の音」に向けて──特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から」など。2018年より「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」と題したイベント・シリーズを企画/開催。

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