JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 13,535 回

CD/DVD DisksNo. 306

#2269 『sara (.es) & tatsuya nakatani / CREATURE IN A FOREST』
『サラ(ドットエス)&ナカタニタツヤ / 森の創造物』

text by 剛田武 Takeshi Goda

Nomart Editions  CD: NOMART-125 発売日:2023年9月27日(水) 価格:2,000円(税込2,200円)

sara (.es): piano, percussion
ナカタニタツヤ tatsuya nakatani: percussion

1.CREATURE IN A FOREST 33:55

Recorded live at Gallery Nomart in Osaka on 7 Jan. 2023
ギャラリーノマルでのライブ・レコーディング

Art direction and production:林聡 Satoshi Hayashi
Cover art:東影智裕 Tomohiro Higashikage “Line of Sight 002 / 視線 002”(detail),2021
Recording and mastering:宇都宮泰 Yasushi Utsunomia
Text: sara (.es)
Translation:クリストファー・スティヴンズ Christopher Stephens
Design: 冨安彩梨咲 Arisa Tomiyasu
Staff:今中規子 Noriko Imanaka / 吉田亘 Wataru Yoshida /山田将也 Masaya Yamada / 井上さおり Saori Inoue

Gallery Nomart Official Site

聴覚スペクタクルとアート的言語感覚のMIXから生まれる創造物

今年5月に3作同時リリースされたギャラリー・ノマルの「Utsunomia MIX」シリーズの第4弾。音楽プロデューサー宇都宮泰が独自のシステムでレコーディング&ミックスしたsara(.es)のコラボレーション・ライヴ作である。”最初はアルバムのシリーズの名称のような感じでしたが、今は宇都宮さんとノマル、.esにとってのプロジェクト名ともなっています“(Interview #267 sara (.es)より)と語る通り、Work In Progressive(現在進化型)プロジェクト=Utsunomia MIXの新局面を明らかにする作品である。アコースティック楽器の生音共演という意味では、橋本孝之とsaraのデュオ編成時の.esの作品に似た感触があるが、Utsunomia MIXとして再構築された生々しい音像は、過去の作品を遥かに超えるリアルさで、深いリバーヴに包まれた音楽創造空間としてのギャラリーノマルが眼前に広がる体験を与えてくれる。これこそ聴覚スペクタクルの極致といえよう。

2023年1月7日、新年で作品展示のないノマルで開催された『NOMART NEW YEAR LIVE』で、真っ白な壁で囲まれた空っぽのギャラリーに壮大な音の風景を描き出した二人の表現者。その一人ナカタニタツヤは、弓や特殊スティックなどで造形された生音による、従来のドラマーの概念を覆すアプローチで知られるパーカッショニスト。筆者にとっては”擦るドラマー”=山㟁直人と双璧をなす変態打楽器プレイヤーだが、音数や音量を最小限に絞り込み、緊張感のあるプレイを聴かせる山㟁に対して、複数の楽器をダイナミックに演奏するナカタニは対極にあるマキシマリストと言えるだろう。ソロ演奏の動画をみると、両手両足はもちろん身体すべてを駆使して絶え間なく音の波動を放ち続ける姿が、暴風雨や大地震、もしくは暴れる猛獣をイメージさせる。また、スネアに密着させたシンバルに息を吹き込む奏法はサックスそっくりの音色を放ち、本作では橋本孝之の音に聴こえてドキッとする瞬間がある。楽器との格闘から生まれるナカタニの”行為としての即興演奏”は、橋本が共感を表明していたジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングに通じている(参考記事:CD/DVD Disks #2043 『ドットエス(橋本孝之&サラ)/ カタストロフの器』)。

saraはピアノとパーカッションをプレイ。”最近は内部奏法と共に、ピアノと鈴を両手で演奏するスタイルに変わってきています“と語り、”自然にそうなっていったので、録音を聴いても、どうやって演奏しているのか分からない“(同上のインタビューより)と告白している。それはすなわちsaraにとってパーカッションや鳴り物とピアノ/キーボードの区別はなく、同じ感覚で演奏しているということだろう。鍵盤つまり音階やメロディの有無は彼女にとっては重要ではない。自分の身体から楽器を通して創造される音そのものが表現の核であり、何を表現するかではなく、何を生み出せるか、そしてどこまで行けるかが重要なのだ。同じ意識で鳴らされるナカタニのパーカッションがsaraの音と共振し、本人が聴いてもどちらの音かわからない混然一体とした音の森が創造された。まるで深いリバーヴの森の中に蠢く得体のしれない生き物の生態のフィールド・レコーディングのようである。夜の動物園ではなく、アフリカやアマゾンのジャングルでもない、架空の森林で生まれた架空のクリーチャー。どんな顔や姿をしているかは聴き手が音から想像するしかないが、ひとつのヒントはジャケット写真にある。白い毛に覆われた瞼にギョロリと開いた黒い瞳。小さな星が宿っているから邪悪な生き物ではないだろう、どんなに可愛らしい動物だろう、と思いながらCDケースを開くと、封入カードの裏面で全身像が拝める。この異形の生物が森の創造物?と軽いショックを覚える人もいるかもしれない。

過去のUtsunomia MIXはノマルでのアート展と連動したイベントでのレコーディングだった。そのためCDには展示会と同じタイトルが付され、アートワークは出品作家の作品が使われた。しかし本作は前述した通り展示会のない時期の録音なので連動するテーマはなかった。『森の創造物 (CREATURE IN A FOREST)』というタイトルは、生まれた音を聴いたノマル・ディレクター林聡が直感的に発した「森だ」という一言から命名され、アートワークはsaraが音から想起した東影智裕の既存の作品を起用したという。その結果、筆者が音を聴いて想像したイメージにピッタリのタイトルとパッケージが生まれたわけである。いや、考えてみると音を聴く前に目にしたタイトルやジャケットに影響されて、森の生き物のイメージが植え付けられたのかもしれない。音が先か、タイトルが先か??それはともかく、ここではノマルの音楽作品のタイトルについて考察してみたい。

.es関係の作品のタイトルのいくつかは、林の直感的な一言から名づけられたことが明らかにされている。

橋本:『COLOURFUL』も『オトデイロヲツクル』もタイトルは両方とも林さんが付けてくれました。『COLOURFUL』は、写真家のはたさちおさんに撮影していただいた数百枚の私のモノクロのポートレートをジャケット用に選定してもらっている時に、突然「この作品のタイトルはカラフルだ!」と言いだしました。本人に理由を確認したところ「過剰な色彩はグレーになる。ニュートラルでいることの多彩さ。」ということでした。#163 橋本孝之(.es)インタビュー:確かな「心」の芽生えと「自己」の消失の先にあるものより)

イメージだけの抽象ワードではなく具体的な言葉で音楽の風景を俯瞰する林の言語感覚はギャラリーノマル&.esの大きな個性と言えるのではなかろうか。

絵画・彫刻・インスタレーションなどアート作品のタイトルは作品鑑賞に於いて重視される傾向があるように思う。ミケランジェロの「最後の審判」やレオナルド・ザ・ヴィンチの「モナ・リザ」など古典的作品のタイトルを聞くと、絵画のイメージと共に描かれたストーリーや背景が頭に浮かぶ人は多いだろう。タイトルに作品情報が要約されているのである。現代アートにおいてはタイトルが作品よりも意味を持つケースがある。最たるものがマルセル・デュシャンの「泉(または噴水)」であろう。”芸術の概念や制度自体を問い直す作品として、現代アートの出発点”(Wikipediaより)と評される20世紀アートの金字塔だが、違うタイトルだったらこれほど注目されたかどうかわからない。パブロ・ピカソの「ゲルニカ」はスペイン内戦でドイツ空軍の都市無差別爆撃の犠牲となった地域の名前だが、作品から離れて「ゲルニカ」という名称だけで戦争の不条理さをイメージさせることとなった。

一方で音楽作品のタイトルはどうだろうか。オペラをはじめジャズ、ロック、パンクまで歌詞がある曲は殆どが歌詞のテーマに因んだタイトルが付けられる。歌のない器楽曲だと、ベートーヴェンの『田園』や『英雄』(豆知識:『運命』は通称であり作曲家の命名ではない)、ベルリオーズの『幻想交響曲』、ムソルグスキー『展覧会の絵』などは標題音楽と呼ばれ、音楽以外のイメージを喚起するための命名であり、音楽の本質を表すものではない。モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は”小さな夜の曲”という意味でしかなく楽曲内容とは関係ない。ジョン・コルトレーンの『至上の愛』やアルバート・アイラーの『スピリチュアル・ユニティ』は確かに演奏内容をイメージさせるが、むしろ演奏家の思想や取り巻く時代を象徴するキャッチコピーの香りが強い。即興/フリー・ミュージック系になると、録音日付や場所やコンサート・タイトルの流用か、デレク・ベイリー/ハン・ベニンク/エヴァン・パーカーの『トポグラフィー・オブ・ザ・ラングス(肺の解剖学)』のように音楽とは無関係の用語を使うケースが多い。後者はある意味では現代アート的でもあるが、総じて考えると、歌のないインスト作品のタイトルはムードの創出やメッセージの表明の傾向が強いといえるだろう。

その中で異彩を放つのはエリック・サティの「官僚的なソナチネ」「犬のためのぶよぶよとした前奏曲」「梨の形をした3つの小品」といった奇妙なタイトルである。現代のアンビエントや環境音楽のルーツとなった”家具の音楽”に付された不思議なタイトルは、聴き手に戸惑いを与え音楽とは別の興味を醸し出す。”意識的に聴かれない音楽”を意図したサティが、聴き手の意識を音楽からそらすために仕掛けた罠と考えられないだろうか。現代アートに通じる手法は、デュシャンと交流があったサティのアート志向の賜物であろう。また、海外ロック作品の邦題の中には、音楽的文脈や歌詞のテーマを超えて作品の世界観を象徴するものがあることにも注目したい。ピンク・フロイド『原子心母』、キング・クリムゾン『太陽と戦慄』、イエス『こわれもの』、ジェネシス『怪奇骨董音楽箱』など、読んでも意味が分からない謎かけが音楽を面白くすることもある。

林聡が直感的に名づけるタイトルは、作品内容の言語化以上の意味を持つアート的な命名と言えるだろう。音楽を聴いて閃いたイメージを即座に言語化する能力は、長年アートの現場に携わってきた専門家ならではの姿勢に裏付けされている。通常アート展のタイトルは作家本人が決めることが多いが、ノマルの場合は林が決めたり作家にアドバイスすることが多いという。また、林がタイトルを先に決めて、コンセプトや制作アイデアを作家へ投げかける場合もよくあり、自分では思いつかない球(アイデア)を投げられて、驚きつつ喜ぶ作家が多いらしい。音楽作品でも、林が名付けたタイトルが聴き手はもちろん演奏家自身にも大きなインスピレーションを与えている。企画者・制作者・表現者などの境界がない多様な相乗効果により生まれるクリエイティヴィティ。音楽とタイトルとアートワークが同列にMIXされて生まれる創造物こそ、音楽とアートの境界なしに表現活動するsara(.es)/Utsunomia MIXが他の音楽ユニットとはまったく次元の異なる地平に立つことの証明である。(2023年9月29日記)

 

【イベント情報】*参加者へ当日のライヴCDを無料進呈するメディア実験

10/7 sara(.es) × 神田綾子デュオ FUJIN / RAIJIN @大阪Gallery Nomart

 

剛田武

剛田 武 Takeshi Goda 1962年千葉県船橋市生まれ。東京大学文学部卒。サラリーマンの傍ら「地下ブロガー」として活動する。著書『地下音楽への招待』(ロフトブックス)。ブログ「A Challenge To Fate」、DJイベント「盤魔殿」主宰、即興アンビエントユニット「MOGRE MOGRU」&フリージャズバンド「Cannonball Explosion Ensemble」メンバー。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください