#2298 『ムジーク・クーゲル/完璧な美』
『Musik Kugel / Beauté Parfaite』
text by Takashi Tannaka 淡中隆史
CD
Beauté Parfaite 完璧な美
Musik Kugel ムジーククーゲル
神田晋一郎 (ピアノ・作編曲)
瑠璃(二十五絃箏・十三絃箏・うた)
(01) 「白詰草」 The clover*
(02) 「蜩 (ひぐらし)」 Evening cicada*
(03) 八橋検校 「みだれ」 Midare
(04) 〜(09)J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲第一番」 (R.シューマン編曲)
1. 前奏曲 2. アルマンド 3. クーラント 4. サラバンド 5. メヌエット I/II 6. ジーグ
(10) 「盈虚(えいきょ)」*
(11) アントネッロ・ダ・カゼルタ 「完璧な美」 Beauté parfait
(12) 「彼方への憧れの詩」*
(13) 「俤 (おもかげ)」*
*作曲 神田晋一郎
Bishop Records 2023
Live
北とぴあ国際音楽祭2023 参加公演
「悠久と今をつなぐ」
〜古典音楽に新しい響きを聴き、現代の音楽に懐かしい音を聴く〜
Musik Kugel
神田晋一郎 (ピアノ・作編曲)
瑠璃(二十五絃箏・十三絃箏・うた)
(01) 「白詰草」 The clover* 二十五絃箏・ピアノ
(02) 「外科室」* ピアノ 独奏
(03) 「蜩 (ひぐらし)」 Evening cicada* 二十五絃箏・ピアノ
(04) 宮城道雄 「春の海」(Musik Kugel ver.) 十三絃箏・ピアノ
(05) ジョン・ケージ 「ヴァリエーションズII」 二十五絃箏・ピアノ
(06) 吉松隆 「すばるの七ツ」 より「火」「水」 二十五絃箏 独奏
(07) 「盈虚(えいきょ)」*二十五絃箏・ピアノ・うた
(08) 「孔雀」*ピアノ 独奏
(09) 八橋検校 「みだれ(乱輪舌)」(Musik Kugel ver.) 十三絃箏・ピアノ
(10) 〜(09)J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲第一番」 (R.シューマン編曲)
1. 前奏曲 2. アルマンド 3. クーラント 4. サラバンド 5. メヌエット I/II 6. ジーグ
十三絃箏・ピアノ
(11) 「俤 (おもかげ)」* 二十五絃箏・ピアノ
Enc.
(12) アントネッロ・ダ・カゼルタ 「完璧な美」 Beauté parfait 二十五絃箏・ピアノ
*作曲 神田晋一郎
―――――――――――――――――――――――――――――――
12月2日の午後、北区王子「北とぴあ カナリアホール」で神田晋一郎(ピアノ)と瑠璃(箏・うた)によるMusik Kugel(ムジーククーゲル)の音楽に初めて触れ、その夜に新譜CD「完璧な美」を聴いた。一日のなか、ふたつのかたちで同じ音楽に出会うのは稀なことだ。
「完璧な美」というアルバムタイトルって凄いな、と妙に感心しながら会場にむかう。しかし、大きな誤解でした。「この曲名は、アントネッロ・ダ・カゼルタという作曲家が付けたものです」とライブMCできいて、なるほどと腑に落ちる。15世紀初期のイタリア人カゼルタがフランス人ギョーム・ド・マショーの詩“Beauté Parfaite”(完璧な美)に作曲したものだったのだ。
この曲をピアノと箏で美しく現代化したバージョンがライブにとりあげられ、アルバムにも収録されている。
コンサートとアルバムのレパートリーは
1_日本の現代
神田晋一郎自身のオリジナル、吉松隆*
2_日本の古典、近代
八橋検校(1614−1685)、宮城道雄(1894−1956)*
3_ヨーロッパの古典
アントネッロ・ダ・カゼルタ(1380−1420? イタリア)、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685−1750 ドイツ)
4_アメリカの現代
ジョン・ケージ(1912−1992)*
*はライブのみでCD未収録
に大別できる。
4つのカテゴリーは時空を超えて配置され、イマジネーションが縦横に飛び交う。そのスケール感覚で理解しようとすると、たちまち奇妙な妄想を抱きそうなシステムだ。でも、聴き進んでいるうちに、自然なかたちに作られた音楽だとわかってきた。
神田さんのオリジナル曲も時空を超えた匿名性を持つ。だから、いつ、どこで、だれがつくった音楽なのかわからない。洋の東西、長い歴史の時間を軽やかに飛び越えて、ふっと湧き上がる感覚。それを掬いとったような浮遊感が細部に宿る。
八橋検校の「みだれ」では「バッハと八橋検校は同時代人で」いう眼からウロコのMCがあった(たしかに生没年が同じみたいです)。そんな論点に立つ音楽家もめずらしい。なるほど、ムジーククーゲル版で八橋検校「みだれ」や宮城道雄「春の海」を聴いていると、なんだか、まるで「ゴルトベルク変奏曲」のように思えてくる。バリエーションとしての親近性に気づく。
バッハとケージの2曲を記号的テーマとして並べるこころみは高橋悠治〜フランチェスコ・トリターノまで続き、定番となっている。けれど、さすがに東洋の楽器まで駆使し、原曲を自在に変容させた前例を知らない。
こんなバージョンでバッハを聴いていると、18世期への妄想が湧いてくる。
職業音楽家バッハは良いパトロンや環境をあらたに求め、一生がかりでドイツのローカル各地を巡り歩いた。20世紀になってもジョン・ケージは生活のために幼稚園のスクールバスの運転手をしていたし、スティーブ・ライヒは水道屋だった(いつの時代も音楽家の人生は大変だ)。
そのバッハがヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロ)奏者のためにつくったのが「無伴奏チェロ組曲」。いくらバッハが天才で、(ありえない話)超SF的発想ができたとしても、300年後の東京で巨大音響の未来楽器(モダン・ピアノ)と奈良時代、中国渡来のハープ(箏)とで自作がトランスクリプション化されるのを想像できるはずはない。
バッハのケーテン時代から1世紀後、ロベルト・シューマンがロマン派の空気に満ちたアレンジを施す。さらに2世紀後、神田さんの再々アレンジはその構造を美しく変化させた。メロディーを委ねられる十三絃箏が美しい仕草で共鳴弦をミュートするとき、ピアノのロマンティックなオブリガードが主旋律を包む。
バロック・ピッチ415は遥か彼方だ。
ジョン・ケージの作品群の中、「ヴァリエーションズ」はとりわけ理解するのが難しい。
ライブでは「ヴァリエーションズII」 の演奏に先立ち神田さんの図形楽譜(?)による明晰な解説があった。そのあと実際に曲を体験すると、次々とナゾが解ける。ケージは宮田まゆみ(笙=マウス・オルガン・プレイヤー)を通じて邦楽器への理解があった。もし、ケージがムジーククーゲルの二十五絃箏・ピアノによるバージョンに接することができたら何をおもっただろう。
あたらしくスタートしたムジーククーゲルに対し、別動ユニットとして神田さんに「音樂美學」があり、瑠璃さんには「ヌーベルミューズ」(nouvelle Muse)がある。
ヌーベルミューズとは二十五絃箏、シタール、タブラの3人のユニット。曰く、「変拍子を多用したワールドフュージョン」であり、「ループが絡み合うアンサンブル」と。(う〜ん、)そういわれても、どんな音楽かさっぱり想像できないところが凄い。興味津々。ぜひ3月のコンサートに出かけてみよう。
もともとピアノも箏も超太古の祖先は同じに違いない。音程を変えて並べられた多数の弦をつまびくことから始まった。弦たちはタムマシンに乗り、出会って、揺れ合い、長い時間や広い世界を自在に越境して響く。
そんな大きなスケールが背後にあっても、ムジーククーゲルの表現は、なお清楚でたおやかだ。
彼らが今後どこに越境してあらたな「完璧な美」を目指すのか注視したい。