#1346 『キース・ジャレット・ピアノソロ/ア・マルティチュード・オブ・エンジェルズ』
text: Masanori Tada 多田雅範
ECM/ユニバーサル UCCE-1161 ¥4,860(税込)
キース・ジャレット (piano-solo)
Disc 1
1 パートⅠ(モデナ、テアトロ・コムナーレ)
2 パートⅡ(モデナ、テアトロ・コムナーレ)
3 ダニー・ボーイ
Disc 2
1 パートⅠ(フェラーラ、テアトロ・コムナーレ)
2 パートⅡ(フェラーラ、テアトロ・コムナーレ)
3 アンコール(フェラーラ、テアトロ・コムナーレ)
Disc 3
1 パートⅠ(トリノ、テアトロ・レジオ)
2 パートⅡ(トリノ、テアトロ・レジオ)
Disc 4
1 パートⅠ(ジェノヴァ、テアトロ・カルロ・フェリーチェ)
2 パートⅡ(ジェノヴァ、テアトロ・カルロ・フェリーチェ)
3 アンコール(ジェノヴァ、テアトロ・カルロ・フェリーチェ)
4 虹の彼方に
恋人たちのベストセラー名盤1998年録音『メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー』以降に発表されたキース・ジャレットのピアノ・ソロ作品群については、日本公演ソロ『レイディアンス』の一音も揺るぎのない達成を指摘しておくだけで良く、ほかは公演場所と聴衆との関数を読むことで足りると思う。ジャレットのピアノ・ソロはいくつかの断層、慢性疲労症候群もそのひとつ、があり、いつも最期のマウンドだと鬼気迫る広島カープ黒田投手を思うのは今日のわたしだが、長年ピアノ・ソロをやっているのねとまとめられてはかなわない。
まずは、スタンダーズ・トリオを開始し、クラシックの演奏鍛錬も加え、ソロとしては1988年の『パリ』、1991年の『ウィーン』、95年『ラ・スカラ』と深化していったジャレットの上昇をしっかり捉えたいと思う。そのうえで、慢性疲労症候群に悩んだ時期を想像する。
本作品は、1996年のイタリア4都市のソロ・コンサートを収録した4枚組だ。20年も経ってから発表された、というのは、それなりに懐古なり望郷なり、熟成とは音楽については言わないのかもしれないが、今では至ることのできない場所(音楽的な意味で)という視点が要請されるリリースかもしれない。明らかに技巧的には揺るぎない場所に着いている、が、楽想的な自己模倣からは逃れられていない。もちろんこのコンサートの会場に居合わせていたならば、聴きたいキースがそこにあったと実感しただろう、その意味ではイタリアのジャレット・ファンにとっては、この上ないスーベニアだ。ジャレットの身体に同化して、それこそ垣間見たであろう”たくさんの音楽的天使たち”を追いかける愉しみはある。
と、一旦は厳しい目でこの4枚組を位置付けておかなければ気が済まない。
20代からキースを聴き続けてきて、50代半ばとなりそろそろ人生の折り返し点に来たような心境になった今日になって、こう、何度も聴いてしまうのはどうしてだろう、追いかけきれずに手を離すような視線、二度とそのようにできない歩み、この慈しむような手の中のピアノを見つめる感覚、20年経ってから発表されたのは決して計算ではないようだ。
この作品への愛情をうまく記すことができない。
2014年に『サンベア・コンサート』国内盤が新たに大村幸則さんのライナーが加えられてリリースされていた。1976年11月の日本公演を10枚組LPでリリースしたという事件のような作品だ。このところ入手が難しい事態になっていたので、キース・ジャレットのソロと言えば外せないこの記録の現役化は重要だ。『ソロ・コンサート』『ケルン・コンサート』で、未踏の場所に進みゆく頂点にあったソロであり、京都(京都会館ホール)、大阪(サンケイホール)、名古屋(愛知文化講堂)、東京(中野サンプラザ)、札幌(厚生年金ホール)のそれぞれの都市特有の精神にまで感応したかのような奇跡がここでは聴かれるからだ。
ECMファンクラブとして小金井の自宅電話番号を公表していた頃に一番多くかかってきた問い合わせは「ケルン・コンサートに感動したのですが、このような作品はほかにはどれがおすすめですか?」だった。サンベアを挙げると、10枚組だし高いので他には?と10中8,9、じゃあステアケースですね、と。生まれたばかりの女の子の泣き声をバックにファンクラブの会長は答えるのだ。女の子が母親になって、白髪混じりになった今日もやはりサンベアを挙げるのだろうが、その次にすすめるのはこの『たくさんの音楽的天使たち』かもしれない。